第38話 「運命の引き金」
椎菜の眉間には既にピストルが押し付けられており、茶色のボブが苦しそうに揺れている。
「――っ‼ 椎菜、変身だ‼ 今すぐ変身しろ‼」
突然声を張り上げたため、悠月含め場の全員の注意が俺に向かった。
「椎菜、早く‼ 今しかないから‼」
「は、はい‼」
刹那、部屋一面に白い光があふれた。
「な、なんだ⁉」
悠月はパニックに陥り、眼鏡を押さえて必死に目を守っている。なんか三分間待ってくれそうな姿だ。
椎菜は無事にきのこになることに成功したらしく、大理石の床にはシイタケが一人立っていた。俺は彼女を掬い上げ手のひらに収める。
「椎菜、大丈夫か⁉」
「ええ! ありがとうございます!」
シイタケが手の上で頭を下げた。超シュールだな。
しかしどうしたもんか。このままでは俺も椎菜も逃げ切れない。
「そうですね……何とか逃げ出さないと」
そうこうしている間に、悠月と黒人二人は態勢を立て直してこちらを睨み付けていた。
「……ほう。こいつ人間じゃないな。あの森に魔物が棲んでいるという噂は本当だったのか……。子供の頃、親に聞かされた話がこんなところにつながるとはな」
悠月は不気味に笑う。
「椎菜、とか言ったか。なかなか面白い嬢ちゃんじゃねぇか。殺してやろうと思っていたが、生け捕りにして見せ物にするのもいいかもしれん……。かわりに神塚幸樹、てめぇを殺してやるよ」
もはや悠月には当初の冷静沈着な姿はなく、狂ったような悪意を全身から放出している。
手のひらの椎菜は慌てたようにうろうろしており、なんだかこそばゆい。
「……今度は私が何とかしないと……。考えて考えて考えて!」
どこかで聞いたような台詞を吐きながら、椎菜はぐるぐると手の上を歩き回る。
「おい悠月! お前いつもこんなことして商談を進めてるのか? だとしたらとんだヤクザ企業だな。失望したぜ」
俺は少しでも時間を稼ごうと、悠月に話を振る。
「そんなことは貴様にとって関係のないことだ。余計な詮索はしない方が良いぞ。苦しみながら死ぬのは嫌だろう?」
悠月はピストルを俺の正面に構えた。本当に撃つつもりかよ……。
ふいに、手のひらの椎菜が歩みを止める。
「おいおい、そんな物騒なものを人に――」
しかし、俺の言葉は手の上から湧き出た金色の光に遮られた。
「椎菜⁉」
普段の変身の時の光り方とは明らかに違う、柳花火のような黄金色の煌きが弾ける。
「貴様、また目眩ましのつもりか? 同じ手を何度も喰らうと思うなよ」
金の光は長い間尾を引いて輝き続けていたが、その間悠月がたじろぐことはなく相も変わらず銃口を俺の頭に真っすぐに向けていた。
「最後のあがきのつもりだったのか分からんが、もう終わりだ。安心しろ。お前の森は俺たちがきっちり有効活用してやる。せいぜいあの世で爺と仲良くやる事だな」
ゆっくりと撃鉄が起こされる。
時間の流れが異様に遅く感じる。ああ、これが走馬灯の前兆なのだろうか。俺の短い人生の中で、走馬灯が映し出す名シーンは一体どこなのだろう。少し、気になるな。
しかしいつまでたっても走馬灯が駆け巡ることはなく、かわりに聞こえてきたのは扉がものすごい勢いで開けられる音だった。……俺の人生に名場面が無かったとかいうわけではないんですよね……?
「社長‼ た、大変です‼」
「何だ、騒々しい」
片側だけ開かれた観音開きの扉に目を向けると、そこには明らかに平社員と思われる若い男性の姿があった。普段は社長室に近づくことすら許されていないんだろうな。
「警察が、家宅捜索に……!」
「何だと⁉ ガサ入れが入ったのか‼」
悠月は急に血相を変え銃を収めると、自分のデスクに駆け寄った。
「まずい……あれを隠さなくては……‼」
そう言いながら大きなバインダーを取り出した悠月は、素早くエレベーターのほうに走って行った。
こんだけ真っ黒な会社だと全てを隠しきるのは不可能だと思うが……。まあせいぜい頑張ることだな。
側でずっと成り行きを見守っていた黒人二人は、自分たちの仕事が終わったことを悟ったのだろう。帰り支度をして悠月と同様にエレベーターの方へゆっくりと歩いていった。お前らの出番短すぎだろ。
悠月に窮状を伝えに来た若手社員も、どうやら悠月と同じエレベーターに乗り込んだようだ。
「……助かったんですかね……?」
「……みたいだな」
あまりにも突然に事態が一変したため、脳みそが追い付いてこない。
「幸樹さん……」
「ん?」
「下ろしてもらっていいですか?」
「ああ、ごめんごめん」
俺は椎菜をそっと床に下ろし、ついでに俺自身もへたり込んだ。きっとこの床の下では今頃大騒ぎになっているだろう。
椎菜は人間フォルムに姿を変え、俺の右隣に座り込んだ。
「幸樹さん、さっきはカッコよかったですよ。助けてくれてありがとうございました」
「こちらこそ。俺の命を守ってくれてありがとうな」
「……? 幸樹さんを助けたのは私じゃなくて警察じゃないですか?」
「そこまで時間を稼げてなかったら死んでただろ。間一髪助かったのは、お前が悠月の気を引いてくれたからだ。だから感謝してる」
「ふふっ。じゃあそういうことにしておきましょう。お互いに命を助け合ったってことで」
椎菜は今日一日で最高の笑顔を見せ、俺もつられて笑う。
ひとしきり笑っていると、俺の右手にそっと椎菜の左手が乗せられた。
確かな温もりが感じられるそれは、俺たちが生きていることを強く実感させる。
その簡単な事実に、どうしようもない幸福感が織り交ぜられていて、熱い気持ちが全身を支配した。
だから俺もその柔らかな手にそっと手を伸ばし――。
そのまま握り返した。
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