第35話 「秘策」
そこで俺は一旦言葉を区切った。
「このビルが建っている土地の貸与、一瞬で止めさせていただきます」
「――っ‼」
ここまでポーカーフェイスを貫いていた悠月も、さすがにこれには驚きの色を隠せていなかった。
しかし一瞬で普段の平静さを取り戻し、俺に牙を向けてくる。
「君、何の権限があってそんなことを言っている。ここはちゃんとした話し合いの場なんだぞ。戯言なら他所で言いたまえ」
悠月は、俺が出来もしないことを言っているだけのほら吹きだと読んだのだろう。だが俺だってこんな大それたことを言ってのけた以上、対策はきちんと取ってある。
「俺は一切ふざけてなんかいませんよ。もし俺の発言が信じられないなら、その証拠にこれを見てください」
そう言って俺は胸ポケットから一枚の紙を取り出し、黒のガラステーブルに広げた。
悠月は眼鏡を押し上げると、顔を近づけて書類に目を通し始める。
「これは……このビルが建っている土地の登記事項証明書か。これが何だと言うんだね」
「はい。悠月さん、もう一度よくご覧になってください。特に権利者――この土地の所有者――の欄を」
悠月はもう一度証明書に顔を寄せた。
「神塚良樹、と書いてありますよね?」
「ああ。だからどうしたというんだ。君は神塚幸樹だ。だとしたら君にこの土地をどうこうする権利なんてないじゃないか!」
俺がはっきりしない態度を取っているからか、悠月は苛立ち始めていた。よしよし、相手のペースが乱れてきたぞ。
「いえ。ありますよ、その権利」
「おい! あんまり調子乗るんじゃねぇぞガキ! 土地の所有者じゃないお前にそんな権限があるわけないだろ!」
俺は一度大きく息をつき、まるで理解力の低い生徒に手を焼いているかのように説明を始める。
「はぁ~。いいですか、よく聞いてくださいね。その神塚良樹っていう人、俺の父親なんですよ。だから今この土地をクラルテに貸し出しているのは俺の父親です。ということはつまり、子である俺にも土地を運用する権利があるんですよ」
ドヤ顔で説明してやったが、実はこれ何の論理も成り立っていない。というかこれが「オタク=犯罪者」レベルの暴論であることは、ちょっと賢い幼稚園児くらいでも理解できるだろう。
だが、俺のこの発言の狙いは別のところにある。
悠月もとうとう俺がただの狼少年だと確信したのだろう。嘲笑を浮かべながらこう告げてきた。
「お前高校生にもなってそんな初歩的なこともわからないのか。いいか、他人様の物を勝手に売り買いしたり捨てたりすることは禁止されている。それがこの国の法律だ」
よし! かかった! 俺はその言葉を待っていたぞ、悠月!
「あれ――――? おっかしいな――――?」
某有名探偵ばりに煽りの台詞を挟むと、俺は悠月の目を真っすぐに見つめ真剣な表情を作った。
「悠月さん、さっきあんた自分で何言ったか覚えてないんですか? 口約束だか権利者じゃないだか知ったこっちゃない、って言ってましたよね。忘れたとは言わせませんよ?」
悠月は虚を突かれたのか目を見開いている。
「俺の土地を俺の許可無く手に入れようというのなら、俺も父親の許可無しにここの土地の貸し出しを止める。逆に日本の法律に基づいて、他人の物を勝手に売買したりはしないというのなら天神ノ森の話も当然白紙だ。悠月さんは社会人ですからそんな初歩的なことぐらい分かりますよね?」
そう、これこそが俺の立てた作戦だった。
クラルテが俺の土地を奪おうとしているのなら、俺がクラルテの土地を奪ってしまえばいい。クラルテの心臓であるビルを人質にしてしまえば、クラルテとしても森を諦めざるを得ないはずだ。
そしてこの作戦のミソとなったのは、この土地の所有者だった。クラルテが既にこの土地を手中に収めている場合、ただのハッタリで終わってしまうからである。
だから俺は舞に土地の所有者を確認させたのだ。結果は既に分かっている通り、俺の父親だった。
半ばギャンブルのような作戦ではあったが、それでも俺には確信に似た自信があった。
それはクラルテと同様に、この地域で絶大な力を持っている存在がいたからである。そう、俺を含めた神塚家である。
亡き祖父はこの地域一帯の大地主であり、その後祖父の所有していた広大な土地は――泥沼の相続戦争の末に――親戚一同に引き継がれた。ならば、この土地もその中の誰かに相続されているだろう。俺はそう推測したのだ。
幸いなことにここを手に入れたのは俺の父親だったようで、俺としても安心してこの作戦を遂行することが出来た。
「貴様……このクラルテを人質に取るつもりか……!」
悠月としてもこうなることは想定していなかったのか、怒りと焦りを露わにしていた。
ここで一つの疑問が生じる。なぜクラルテはこの土地を購入せず借用していたのか、ということだ。
それは祖父の指針に起因している。
大地主であった祖父は、基本的に土地を売却しなかったのである。どれだけ多額の金を積まれても、安易に手放すことはしなかった。
その代わり、貸し出すときには破格の安さで提供するため、土地を借り受けて事業を起こす企業も多かった。このためクラルテもまた遠い昔、祖父に土地を借りていたのだろう。そのまま時が流れ今日まで借用し続けていたというわけだ。
そもそも俺の今回の作戦も、祖父が土地を売却していなかったというところに着想点を得ている。きっとクラルテにも売っていない、という前提のもとで動き始めていたのだ。
「で? どうしますか、悠月さん。クラルテを取るか、森を取るか。賢い選択をした方が良いですよ?」
「……………………」
悠月は俯きがちに地面を見つめたきり、微動だにしなくなっていた。
よし、勝ったな。これにて終劇だ。……ちゃんと守ったぞ、祖父ちゃん。
俺がそんな安堵感に包まれた、次の瞬間だった。
「…………やれ」
「きゃっ‼」
悠月の命令と椎菜の悲鳴が素早く連鎖した。
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