第34話 「その瞳は、深く、鋭く」

 目の前には黒地に金色のドアハンドルが付いた観音開きの戸がある。

 俺はその戸の前に立ち、静かにノックした。


「土地の売却の件でお話に伺いました、神塚幸樹と申します」


「ん。入りたまえ」


 戸の内側からは、落ち着いているというか、ともすれば冷淡にも聞こえるような声の男性の返事が届いてきた。


「失礼します」


 俺は左側のドアハンドルに手を伸ばし、扉を引き開ける。

 戸を開けて一番最初に目に飛び込んできたのは、屈強そうな二人の黒人の姿だった。ドアの両脇にそびえるように立っているが、社長室専属のガードマンなのだろうか。いやでも、だとしたら普通外側に配備するよな。ここの社長はもしやアホなのでは?


 俺と椎菜が戸をくぐると、すぐさま黒人ガードマンの一人によって扉が閉められた。


「よく来てくれたね。歓迎しよう」


 全く喜びの気色を感じられない冷ややかな声のする前方に目を向けると、社長と思しき人物が革張りの豪勢な椅子に腰かけていた。


「私がクラルテコーポレーション社長の悠月正三ゆづきしょうぞうだ」


 椅子から立ち上がりこちらに歩み寄りながら、悠月が自己紹介をした。

 その声音のような冷たさを感じさせる細フレームの眼鏡をかけ、ほぼ無表情に近い薄い微笑を浮かべる悠月は、端的に表現するとインテリヤクザ感のある風貌だ。年齢は四十代から五十代前半といったところか。


「立ち話もなんだし、君たちも座りたまえ」


 そう言って、社長のデスクの手前に設けられた応接スペースへ導かれた。


 数々の重要な取引先をもてなすのであろうそのスペースは、黒のガラスでできた背の低い応接台とそれを挟むように設けられた一組の革張りソファ、応接台に置かれたクリスタルの灰皿など、色味には欠けるもののどれも高級感の漂う品物で設えられている。


 促されるがままに俺と椎菜はそのソファに腰かけ、悠月もまた反対側のソファに腰かけた。


「ところで……そちらのお嬢さんは?」


 まあ当然それを聞くよな。素性も知らない女子高生が社内でもトップシークレットな場所にズカズカと入ってきているわけだから。


 というか本来なら入り口の時点で、あのガードマン達につまみ出されてもおかしくないだろ。あの黒人たちは何のために立ってんだよ。


 俺は先ほど受付嬢に答えたように、悠月にも返答する。


「なるほど……森の使用者……」


「あの……私この場に居ても問題ないでしょうか」


「構わんよ。自分が普段使っている場所が無くなるかもしれないんだ。当事者の一人として参加するのは当然だろう」


「あ、ありがとうございます」


 やっぱり椎菜も緊張しているのではなかろうか。先ほどから声が震えっぱなしだ。


「さて、じゃあ早速本題に入ろうじゃないか。天神ノ森は当初の約束通り、うちに譲ってくれるんだよな?」


 眼鏡のレンズを妖しげに光らせながら、やはり温かみの無い重低音で悠月は尋ねてきた。


 いやいや約束って。なんかあたかも俺が売却を承諾したかのような表現するなよ。


「その件なんですが……そもそも何の権限も持っていない俺の両親が勝手に言っただけですので。俺としては森を手放すつもりはさらさらありませんから、申し訳ありませんが今回は手を引いていただけないでしょうか」


 おお! 俺よくやった! この緊張の場面で全く噛まずにこれだけのことを言い切ってやったぞ。


 ほんのりと自信に満ちた瞳で悠月の方に目をやる。すると悠月は表情一つ変えずに再び口を開いた。


「なるほど……。君たちはまだ若いからよくわかっていないのかもしれないが、一つ教えておいてやろう」


 ギラリと眼光が鋭くなる。


「……社会ってのはそんな甘ぇもんじゃねぇんだよ」


 悠月の声が一段と温度を下げた。


 無表情ながらも、その声音や瞳には確実に怒気をはらんでいる。今まで潜り抜けてきたいくつもの修羅場がそうさせたのか、悠月の周りは俺たちを射殺すような緊張に満ちていた。


「口約束だか権利者じゃないだか知らないが、こちらはもうビジネスとして動き始めてるんだ。ゴルフ場という新規の事業に参入する以上、今回の件は我が社の中でも重要なプロジェクトに位置付けられている。ということは多額の金が既に動いてしまっているっていうことだ。そこから先は……お前も高校生なんだからわかるよな?」


 まずい。悠月が上に立ち始めた。こういう交渉の際はどちらが上位に立つかが非常に重要となる。相手が受け手に回るしかない状況を作り出すことで、自分たちの条件を呑ませやすくなるのだ。


「そこから先というと……お金でしょうか……?」


 悠月は小さく頷いた。


「ご名答だ。わかっているのなら話が早いな。今回の件を白紙にすることでうちには多額の損害が生じる。本来なら当然許されるものではないが、君たちは高校生だ。まだ若い。もしそちらさんがこちらの提示する金額をきっちりと払ってくれるなら、それで森の件は手打ちにしてやろう」


 ここまで来て、ようやく俺はクラルテの真の狙いに気が付いた。こいつらが本当に欲していたのは土地ではなく金だったのだ。


 そもそもクラルテとしても、土地の所有者じゃない人物が勝手に取引したものを自由に使えるとは端から思っていなかったはずだ。これだけの規模で事業に取り組んでいる会社だ、そのあたりは熟知しているだろう。


 しかし、せっかくのチャンスを無駄にするのも惜しい。例え土地が手に入らなかったとしても何かしらは搾り取ってやろう。そう考えたクラルテ側のアイデアが、お取り潰しになった事業への補償という形だったのだ。


 きっちり払ってもらえれば資金が増え、もし払われなかったとしても広大な土地が手に入る。どちらに転んでもうまみの多い、完璧な算段だった。


「なるほど……。俺たちとしても荒事は避けたいですから、具体的な金額にもよりますが前向きに検討しましょう。大体どれくらいの金額をご所望でしょうか」


 ここは一度話に乗っておこう。払えるか払えないかは二の次だ。


 悠月が細長い指を組み、少し前かがみになった。


「そうだな……。計画通りにゴルフ場が出来ていた場合の利益、今までにかかった人件費等の費用、諸々含めて……」


 俺はゴクリと唾をのむ。


「ざっと三億円ってところだな」


『さっ、三億⁉』


 俺と椎菜は驚きの声を上げた。まさかここまで無茶な金額を提示してくるとは……。


 神塚家は先祖代々の大地主として名が知られている。そのため、多少無謀な額になることは容易に予想がつく。実際この金額も、今現在の一族の資産を合わせれば余裕で清算できるだろう。


 しかしクラルテの要求はあまりにも法外過ぎた。客もたいして来ないであろう地方のゴルフ場が一年に稼げる額なんてたかが知れている。どういう計算で三億なんていう突飛な値段になったのかは分からないが、恐らく本来の損失分にかなりの量を水増ししているのだろう。


「そ、それだけの金額になりますと……こちらでもおいそれと用意することは難しいですね……」


「まあそれならそれでも構わないがね。その場合は最初の計画通り森を譲ってもらうか、それもかなわないというのなら次に会う場所は法廷かもしれんな。言っておくがうちの法務部は優秀だぞ?」


 法的な手段に出ることをちらつかせ、揺さぶりをかけてきた。こちらが高校生二人組であることから脅しが効きやすいと踏んだのだろう。


 だが、こちらにも手があることを忘れてもらってはならない。


 椎菜が俺にちらりと視線を寄越し、微かに頷いた。俺の次の発言を予想したのだろう。


「そんなに慌てないでくださいよ。荒事は避けたいって言っているじゃないですか」


「しかし、現状ではそちらの重大な契約違反だ。何かしらの補償を――」


「こちらからも一つご提案があるのですが」


 悠月の言葉を遮るように、俺は一段声を張り上げた。


「……何だね」


 俺たちの空気感が変わったことを察したのだろう。悠月はいぶかしげな視線を投げかけてくる。


「はい。あくまで〝提案〟ではあるのですが、もしこのまま悠月さん含めクラルテ・コーポレーションの人間が、天神ノ森を手に入れようという動きを見せ続ける場合……」


 そこで俺は一旦言葉を区切った。

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