第三章 直接対決

第33話 「会社も社員も誤魔化し体質」

 森での生活に慣れ切っていた耳に車の音が騒がしい。


「やっぱり近くに来ると、より大きく感じられますね」


 右隣に立つ椎菜が、クラルテの本社ビルを見上げながらつぶやいた。


 今日は売却に関する一切のいざこざを解決するためにクラルテに出向いている。幸いにもあれ以降クラルテ側が強引な手段に出ることはなく、必要以上の摩擦は避けることが出来た。


「それにしても幸樹さん、制服でこの時間に街中を歩いているのも変な気分ですね」


「ああ。なんかサボっているみたいで落ち着かない」


 俺たちは一介の高校生に過ぎないので、当然スーツなどは持っていない。一応きちんとした話し合いの場なので身なりもある程度整えようと思い、今日は高校の制服でこの場に来ている。もちろん椎菜も。


「そろそろ約束の時間ですし、中に入ってしまいましょうか」


「ああ、そうだな」


 クールにそう答えてみるが、実は俺めちゃくちゃ緊張してます。マジで吐きそうなんだけど。社会人って毎日こんなことしてんのかよ。働きたくねえ……ヒモになりたい……。


 そんな俺のアンチ労働な思考回路には気づかず、椎菜は自動ドアを開かせる。置いていかれないように俺も慌てて後を追う。


「うわ……」


 磨き上げられた黒い大理石の輝く床が目に飛び込んできた。天井は吹き抜けになっており、日光による自然な明るさが保たれている。


 入り口から真っすぐ進んだところに受付のカウンターがあり、美人な受付嬢が二人スタンバイしていた。


 ここまで見た限りではまともな会社なんだけどな……。実態がこのフロアーと同じくらい真っ黒だとは……。


「あのー申し訳ございません。本日社内見学のご予約は入っていないのですが……」


 あからさまに社内をジロジロ見ている様子を不審に思ったのだろう。受付嬢の一人が、制服姿の俺たちに声をかけてきた。


「あ、いえ。見学ではないんですけど」


 というかこの会社、社内見学なんてやってんのか。見られたらまずいものだらけなのに。

 ああいやそうじゃない。俺は気持ちを引き締め、目の前の受付嬢に挨拶をした。


「申し遅れました。私本日土地の売却についてのお話で伺った神塚幸樹と申します」


「ああ! 社長とのご面会をなさる方ですね」


 ……え。 

 社長⁉ 聞いてないんですけど‼ もっとモブッぽい人が相手なんじゃないの?

 そう思って右隣の椎菜を見ると、あれ言ってませんでしたっけ、みたいな顔で小首を傾げやがった。おい、お前いつもそれだな。ホウレンソウは社会人の基本だぞ。


「ちょうどお時間でございますので、ご案内させていただきます」


 こちらのエレベーターへどうぞ、と言ってカウンター脇のエレベーターへ案内された。社長室ともあれば当然最上階にあるのだろう、受付嬢は上向きの矢印に手を伸ばした。


 ちょいちょいっと椎菜にわき腹を突かれた。


「……何だよ」


 椎菜が俺の耳に顔を寄せてくる。


「……今案内してくれてる方、絶対胸にパッド入れてますよ」


 何の話だよ‼ こっちは緊張してんだぞ‼ お前も少しは緊張感を……って、もしかして……。


「ふふっ、少しは緊張ほぐれました?」


 相変わらず顔を近づけたままで、椎菜はいたずらっぽく微笑んだ。


「大丈夫ですよ、幸樹さん。私が側についてますから」


 椎菜がふわりと言葉をかけてくれた。


 そうだな。俺がこんな情けない姿を見せてちゃだめだ。それに、何よりも心強い味方が隣にいるじゃないか。


「ありがとな、椎菜」


 落ち着いた声音で右隣の少女に感謝の思いを伝えた。


「神塚様、どうぞエレベーターにお乗りください」


 いつの間にか到着していたエレベーターに乗るように促される。大企業らしくエレベーターの内部も広く、三人で乗るには少々持て余し気味だ。


 椎菜と共に乗り込み、受付嬢の指先に注意を向ける。


 するとやはり俺の予想通り、押されたボタンはこのエレベーターが示す最も大きい数字だった。


 上昇を開始したエレベーターは、ほんの少しの緊張感を伴いながら目的地へ向かう。微小なはずの駆動音も鮮明に聞こえてくる。


「あの……」


 その静謐な空間に耐えられなくなったのか、受付嬢が口を開いた。


「失礼を承知で伺うのですが……そちらのお嬢さんはどういったご関係なのでしょうか……?」


 おっと、最も恐れていた質問が来てしまった。


 今回椎菜を同行させるうえで生じた最難点がコレである。つまり、椎菜の役回りをどうするか。表向きは土地に全く関係のない女子高生を連れていけば、不審に思われるのは自明の理だ。


「あー、えっと天神ノ森の使用者です」


 そこで考えた落としどころがこれだ。土地の所有者である俺が特別に許可を出して使用させている相手だとすれば、売却交渉の場にしゃしゃり出てきたとしても一応の筋は通る。さらに、この発言には一切の虚偽が含まれていないこともポイントだ。こちらの不利益にならない完璧な回答である。


「あーなるほど。そういう事でございましたか。承知いたしました」


 受付嬢が納得すると同時に、エレベータは上昇を止め扉が開いた。


「社長室前でございます。お降りください」


 廊下に出ると左側に一つのドアが見える。


「あちらが社長室でございます。ここから先は平社員の私には立ち入りが許されておりませんので、申し訳ございませんが案内はここまでとさせていただきます」


 それもう社長室に見られたくない秘密があるって言っているようなもんじゃん。


「あ、はい。ありがとうございました」


 まあとにかく俺たちは行かねばならない。受付嬢が再びエレベーターに乗り込んだことを確認して、椎菜と俺は社長室の方へ歩を進めた。


「幸樹さん、登記事項証明書の用意は大丈夫ですか?」


 椎菜が前を見たまま問うてきた。


「ああ、ちゃんと準備してあるぞ」


 そう言って俺は二枚の紙を胸ポケットから取り出す。一枚は天神ノ森の。もう一枚はこのビルの証明書だ。


「じゃ、行きましょう」


 目の前には黒地に金色のドアハンドルが付いた観音開きの戸がある。


 俺はその戸の前に立ち、静かにノックした。

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