第31話 「自己完結は他人を困惑させる最適手段」
厳かな扉に手をかけ、押し開ける。
すると、そこには天然パーマのメガネっ娘が立っていた。
「あ、幸樹君ちょうど良かった……ってなんで椎菜ちゃんと冬榎ちゃんは押されてるの?」
「ああいやこれにはキオガ湖より深い訳があってだな……」
「キオガ……? 何だかよくわからないけど、とにかくはい! ご依頼の登記事項証明書だよ」
「お、舞って仕事速いんだな! ありがとう!」
「どういたしまして! でもでも、仕事が速いばっかりに色々押し付けられちゃうんだけどねー。年中ブラックバイトしてるみたいなもんだよ」
本人は自嘲気味に笑っているが、こいつの忙しくなれるっていう菌力、もしかしたら有能さの副産物なのかもしれんな。
「まあこれだけ早く帰ってきてくれるのは、俺としても好都合だったわ。ちょっともう一回出かけてきてくれないか?」
「……ん? ちょっと何言ってるかわかんないんだけど」
まあそうなるわな。でも俺もこればっかりはどうしようもない。なにせ先ほど舞が出かけてしまった後にできた要件なのだから。
「冬榎、このUSB早速使わせてもらうぞ」
「ええ、構いませんが……どうなされたのですか?」
冬榎が怪訝そうな顔をする。直前に使いどころをわきまえろと言ったばかりなのだから、不審に思うのも無理はない。
「冬榎、舞、これからこのUSBをある場所に届けてきてもらいたい」
「ある場所?」
舞が首をかしげる。
「ああ。俺が届けてきてもらいたいのは……」
俺は、二人に顔を寄せるように手で合図する。
「……だ」
「え! この中にそんな重要なことが入ってるの?」
「あら! なかなか大胆なことをなされますね。でもこれってかなりリスキーでは?」
驚きの理由はそれぞれなれど、俺の告げた届け先に二人とも少しびっくりしたようだ。冬榎に至っては持ち前の落ち着いた思考で問題点まで提示してくれた。
しかし、これがこの情報を有意義に使う最善の手なのだ。
「どうせクラルテの上層部は社内から情報が洩れた時の対応くらい練ってるよ。目の前で顧客名簿を振り回しても、平然と言い訳されるのが関の山だ。そうだとしたらこっちに預ける方がよっぽどいい」
「確かに……。ですが情報の出所がアレですし……もしかしたら私たちの存続が危うくなるかもしれませんわ」
「おいおい何を言ってるんだ。きの娘は法律の対象外、だろ?」
最後のセリフを言うと俺はキメ顔を作った。今度は美味しい所を奪われなかったぞ。
「うふふっ。私としたことがてっきり失念していましたわ。なるほど、それならば過度な心配は無用ですわね。わかりました。行って参りますわ」
「ああ。頼んだ」
冬榎と俺は目を合わせ、大きく一度頷いた。
「ちょっとちょっと!」
何? ザ・たっち?
舞が困惑した表情で詰め寄ってきた。
「全然何話してるのかわかんないよ! わたしにもわかるように話してよ!」
「細かいことは移動中にでも冬榎に聞いてくれ。とにかく、頼んだぞ」
「え~⁉ そんなヒドイ! わたし働かされる身なんだよ? ねえ?」
舞が眼鏡をずり落とさせながら激しく訴える。言っていることはまさしく正論であり、暴論をぬかしているのは俺の方なのだが……。
「それにこの仕事別に二人じゃなくても良いよね?」
はい。おっしゃる通りです。
だが、今はとにかく二人には席を外してもらわなきゃならんのです。偉い人にはそれがわからんのです。
「いや、場所が場所だけに一人で向かわせるのは心もとないし……。舞だって仲間に万が一のことがあったら嫌だろ?」
「それはそうだけどさ……」
「じゃ、あとは任せたぞ冬榎。頼りにしてるからな」
ちょっぴりイケボで一言付け加えてみた。
「はい! 幸樹様のためならば何でもいたしますわ! 舞様、行きますよ!」
ちょろいなーこいつ。
「うぇ⁉ 待って待って引っ張らないで冬榎ちゃん‼ あ~こんな菌力嫌だ――‼」
俄然張り切りだした冬榎に後ろ襟を摑まれ、舞は断末魔を上げながら森の中に消えていった。
見れば太陽の位置は既に真南を通り越しており、朝からはだいぶ時間が経っているようだ。灰色一色だった空には少しずつ晴れ間も見えてきており、新緑の木々をいっそう明るいコントラストに仕立てている。
さて。
「おい、椎菜。どうしたボーっとして」
俺が冬榎と舞に席を外してもらいたかった理由はこれだ。さっきから俺と冬榎や舞が話している側で何やら心配そうな表情を浮かべ続けていた。特に俺が二人に届け先を伝えた後はことさらにヒドく。
「いえ、大したことじゃないんです。ただこのままじゃ負けちゃうかなって……」
「負ける? ああ、クラルテに? いや大丈夫大丈夫。俺が何とかす――」
「そういう事じゃなくて!」
椎菜が珍しく語気を荒らげた。しかしその様子から察するに、誰かに対して怒りを感じているわけでは無いようだ。
「ご、ごめん」
「……そういう事じゃなくて………………」
ただ彼女の姿はどうしようもなく寂しげで、なんというか、とても小さかった。
彼女の姿を形容する言葉も、彼女の気持ちを慮る台詞も、他人との関わりが救いようもないほど浅い俺には浮かんでこない。
目の前で微かに震えている少女の次の一言を、俺はただ待つことしかできなかった。
「ご、ごめんなさい幸樹さん……。ただちょっと私……その……焦ってしまいまして……」
いつもの椎菜とは程遠く、まるで人見知りの子が話すかのように、ゆっくりゆっくりと言葉が紡がれる。
「でも……これは私の戦いですから……私が何とかしないと……。うん、そうだ。これだけは譲れないんだ」
最後は自分に言い聞かせるように声を発した。
「幸樹さん!」
「は、はい!」
いつのまにか普段の力強さを取り戻した椎菜は、俺の目を見て名を呼ぶ。
その瞳にはいっぱいに満たされた闘志とほんの少しの雫が煌めいていた。
「そうです! これは私の戦いなのです! 今まで何をとっても一番になれなかった私が、どうしてもトップに輝きたいと願ったものなのです! だから誰にも負けません‼」
「あ、はい、頑張ってください。応援してます」
なんのことかさっぱり分からんが、とりあえずエールを送っておこう。頑張れ~椎菜。
「私頑張りますから……だから……」
「だから?」
またもや椎菜は次の言葉を躊躇う様に、言葉尻をすぼめる。
と思いきや、つかの間いつものように満開に顔をほころばせると――。
「だから、ちゃんと見ててくださいね!」
目元にアクセサリーを浮かばせながら、そう言ってのけた。
まあ、これに対する正解の返答は何かとか、正直全く分からないのだけど。
「おう! 任せとけ!」
でも、たぶんこれが最適解。
彼女が敗北を恐れ勝利を願うのなら、俺は彼女のために自分ができることを最大限やるつもりだ。
椎菜はゴシゴシと目を拭い俺を見つめた。
「なんか、お腹空きましたね」
照れたようにはにかみながらお腹をさする。
「あー確かに」
時刻はとうに昼過ぎである。朝食以来何も口にしていないのだから、当然腹も減る。
「私、何か適当に作ってきますね。幸樹さんはその辺の椅子に座って待っていてください」
そう告げると椎菜は俺が返事するのも待たずに、長老室の隣の扉の奥に消えていった。
「お、おう。サンキューな……」
俺は虚空に向かって、小さく感謝を述べる。客観的に見れば超不審者。
手近な椅子を引き、腰を落ち着ける。温もりが感じられる木製のテーブルと椅子は、疲れた心に心地よい。
「ふぅ……」
ため息と同時に、心の染みを吐き出す。
椎菜は――平凡であることを甘受していた少女は――今変わろうとしている。
俺は彼女の過去については深く知らないし、無理をさせてまで知ろうとも思わない。
けれども、彼女の変化への努力は俺の心に痛烈な一撃を見舞った。
お前はそれでいいのか、と。
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