第30話 「ここ長老室」
翌日俺と椎菜が集会所に到着すると、そこには冬榎の姿があった。
「幸樹様! お久しぶりですわ!」
「おお、冬榎! 偵察の仕事からは無事に帰って来られたんだな!」
「はい! 幸樹様のもとへ絶対に戻らねばなりませんので当然です。これからは思う存分幸樹様のお側にいられますわ」
やっぱりこういう粘度のあるところは相変わらずのようだ。
しかしその変わらぬ姿に、どこか安心している自分もいた。なんていったって裸の付き合いをした仲だ。息災だったことは素直に嬉しい。
「うん、そうだな。おかえり」
あんまり冬榎の求める言葉じゃないかもしれないけど。
これぐらいなら彼女の想いに応えても罪にはならないだろう。
それに、これだけでも冬榎には十分伝わるはずだ。
「はい! ただいま戻りました、幸樹様!」
冬榎はおしとやかなその見た目からは想像もつかないほど、無邪気に笑った。
「コホッコホン!」
わざとらしい咳ばらいをしたのは椎菜だ。
「えーお二人とも? そろそろよろしいですか? 偵察の報告を伺いたいんですけど」
そうだった。冬榎の任務によって何か有益な情報が得られているかもしれない。
「冬榎、クラルテの内部はどんな感じだったんだ?」
こういった交渉戦においては、相手側の情報が何よりも武器になる。
「それでしたら今ちょうど長老に報告に伺うところですので、ご一緒にどうぞ」
そう言って冬榎は、長老の部屋の扉に手をかける。軽く二回ほどノックをし扉を引いた。
「失礼します、長老。ご報告に上がりましたわ」
意外にも冬榎の入室態度は椎菜ほど丁重ではなかった。普段の言葉遣いだと冬榎の方が丁寧なのだが。案外きの娘によって、長老への敬意に差があるのかもしれない。
「うむ、待っておったぞ。まずは任務遂行ご苦労であった」
冬榎に続いて俺も入室する。最後尾の椎菜が扉を静かに閉めた。
「では、報告を頼む」
冬榎が承知しましたと言わんばかりに頷く。俺や椎菜も含め三人が聴く態勢に入ったことを確認すると、冬榎は口を開いた。
「はい。ではまずクラルテの雰囲気について述べさせていただきますわ。端的に言うと……」
そこで一瞬間を取る。
「ブラックですわ」
やっぱりかー。予想通り過ぎて怖いくらい予想通りだわ。数字選ぶ系の宝くじでも買ってこようかな。
下っ端社員が顧客に泣きついている時点で怪しさ全開だったけど、思った通り真っ黒だったみたいだ。
「社内の労働環境はそれはそれは酷い有様でしたわ。セクハラ・パワハラは当たり前。サービス残業はほぼ義務みたいになっておりましたわ。定時っていう概念が存在しないのかと思いましたよ。死んだような瞳でディスプレイをにらみ続ける人たちに埋もれて、私の心も病んでしまうかと思いましたわ」
いやお前はもうすでに病んでるから。手遅れだから。別の意味で。
「しかも、上の方の役職に就いている人は日がな一日職場でスマホをいじって左うちわ。炎上して潰れる企業の典型例を見ているようでしたわ」
日ごろ穏やかな言葉を使う冬榎にしては珍しく激昂しているらしい。言葉の端々に怒気が感じられる。
「ふむ、かなり悪質な労働形態をとっておるようじゃの。……じゃが、その情報だと今回の問題解決には上手くはたらかないかもしれんな」
「ああ。むしろ人の上に立つことに慣れたやつらと交渉するとなると、こちら側が消極的になってしまうかもしれない」
長い物には巻かれろ、というが、あれ実際は立場の弱いほうの人間に選択肢などないのだ。自発的に巻かれに行くのではなく、強者の持つ高圧的なオーラによって意思とは関係なしに巻かれてしまうのだ。
「ええ、その通りですわ。ですから肝腎なのはここからです」
「肝腎なこと……ですか?」
「はい。これだけブラックな企業ですもの汚職だって当然ありましたわ。横領なのか改竄なのかまではわかりませんが、帳簿の桁が全く合いませんの」
お? これは朗報かもしれない。株式会社という形態を取っている以上、株主にこの情報が洩れるリスクを考えれば森の一つや二つ簡単に諦めるだろう。
「それだけじゃありませんわ。取引先名簿を調べてみると、どうやらヤクザとの繋がりも深いみたいでしたわ」
「おお! でかしたぞ冬榎! もしそんな情報が世に流れれば――」
「会社としての信用はガタ落ちじゃの」
だから美味しい所を持ってくなよ! この玉葱頭の菌類!
「ちょっといいですか」
椎菜が口を開いた。
「それだけ素晴らしい情報を持ってきてくださったのはありがたいんですけど、それを証明する手立てがないと……」
確かにその通りだ。このままでは今日の俺の二の舞になってしまう。
「ご安心ください、椎菜様。きちんとデータは頂いてきましたわ」
そう言って冬榎は小さなUSBを取り出した。どうやらこの半人半菌は文明の利器も難なく使いこなせるらしい。
「こちらにクラルテの会計帳簿、それから顧客リストは入っていますわ。ご自由にお使いください。……ただこの情報の入手源から足元を見られるかもしれませんので、使い時は冷静に見極める必要がありますわね」
冬榎は俺にそのUSBを手渡した。
「ああ、了解した」
しかしこの情報は強力な武器だ。是非とも有効活用したい。
「冬榎、非常に良い収穫であった。改めて感謝する」
「はい。それもこれも幸樹様が私の心を支えてくださったからですわ」
冬榎が非常ににこやかに微笑みながら、俺の腕に絡みついてきた。ははっ相変わらず胸無いな、こいつ。
「ほほっ、そうかそうか。幸樹殿は人気者じゃの」
ねー本当にねー。学校でもこれぐらい他人からウケれば良いんだけどねー。
そんな俺の皮肉交じりの思考回路は露知らず、冬榎は幸せそうに腕に顔をうずめている。
まあ、こいつにとってもさぞストレスのかかる任務だったことだろう。本人が望むならこれぐらいはさせてやってもいいか。
「幸樹様ぁ……」
冬榎は恍惚の表情を浮かべている。
「はいはい、お疲れさん」
そう言って、俺は冬榎の頭を軽く撫でた。ある種の冷たささえも感じさせる、透き通った長い銀髪は、撫でているこちらの手にも滑らかで心地よい。
っていかんいかん。このままでは冬榎のペースに呑まれてしまう。
「はい、ここまで。おしまい!」
約一分ほどで俺は冬榎を引き剥がしにかかった。
「ええー? もう止めてしまわれるのですか? 私の事、お嫌いなのですか?」
涙を目に浮かべて上目遣いで俺を見上げてくる。可愛い! その仕草は確かに可愛いのだが、発言がそれを遥かに上回ってめんどくせぇ!
「こ、この続きはまた今度な? な? ほらここ長老室だし」
それを聞いてようやく冬榎は俺から距離を取った。
「では、また今度。楽しみにしていますわ」
「……きさん」
冬榎のご機嫌な声とは対照的に、低く掠れた声色が恐らく俺の名前を呟いている。声のした方に目を向けると、まるでクラルテの平社員のように虚ろな瞳を浮かべた椎菜がこちらを見ていた。焦点が合っていない。怖い。
「し、椎菜~? 大丈夫か?」
恐る恐る言葉をかける。
「え? ああイチャイチャタイムは終わりましたか? いやー、幸樹さんはどんな女の子にも優しいんだなあー」
もの凄い平坦な口調でそう言われた。相変わらずどこを見つめているのか分からない。
どうやら俺の先ほどの一連の行為が、椎菜の不興を買ったらしい。
「とにかく、そ、外に出ようか。ほらほら、ここ長老室だから」
便利な言葉「ここ長老室」。皆さんも困ったときには使うことをおすすめしますよ、「ここ長老室」。
俺は二人のきの娘の背中を押し、扉の方に運んだ。さっさとこの部屋から出よう。出たところで何が解決するわけでも無いけれど、少なくともこれ以上長老にこんな姿を見られたくない。
厳かな扉に手をかけ、押し開ける。
すると、そこには天然パーマのメガネっ娘が立っていた。
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