第26話 「舞茸は天ぷらが一番美味い」

 空を覆う淀んだ雲は次第に厚さを増し、かといって雨を降らせるわけでもなく沈黙を貫いている。


「何事もないと良いんですけどね」


 集会所に向かって歩きながら、椎菜が俺に話しかけた。


「確かにその通りなんだが……クラルテもなかなかやり手だからなあ……」


「たとえ今日何も無かったとしても、明日以降はどうなるかわかりませんしね」


「そうそう」


 口約束とはいえ土地を売ると言ってしまった手前、どんな手段に出られてもおかしくはない。実際には権利者が許諾していないのでなんら法的効力はないのだがな。


 森の青臭い空気を含んだ春風が身体に触れる。


「……冬榎さん上手くやってますかね」


 冬榎は今日からクラルテの内部調査に出向いているはずだ。


「上手くやってもらわないと困るんだけどな」


 冬榎が良い情報を手に入れてきてくれればこちらの強力な武器になる。穏便に事を済ませるためにも、冬榎には有力な情報を仕入れてもらわなければならない。


 それに冬榎が失敗するということは、すなわちきの娘達の終わりを意味する。きの娘の存在が世に知れれば、彼女たちはもはやこの森にとどまることはできないだろう。


 ただ光を透過するなんていうチートな菌力の持ち主だ。そう過剰に心配する必要もなかろう。


「何にせよ、今は良い知らせを待つのみだな」


「そうですね。私たちもできることをしましょう!」


「だな」


 集会所に着き、俺たちは一度会話に終止符を打った。


 昨日と同様に集会所は静寂に包まれており、俺達二人以外には誰の姿も見受けられない。光と同じように森のパトロールにでも出かけているのだろうか。


「それもありますけど、みんな仕事だと思いますよ。普通に生活していくうえで食料を手に入れたり、家事をしたりは必要不可欠ですから」


「へー。……そういえば、お前らって普段何食べて生きてんの?」


「人間が食べるような肉や野菜、果物なんかも食べてますよ。この姿で生きるにはエネルギーを使いますから。ただ最悪の場合、きのこフォルムで生活するならば土をもぐもぐしてれば生きながらえれますね」


 なんか嫌だなそれ……。米作りの達人かよ。


「幸樹さんも食べてみ……今何か聞こえませんでした?」


「……ああ、聞こえた」


 静かな天神ノ森に突然、低い唸るようなエンジン音が響いた。


「何が起こったんでしょう……」


「十中八九クラルテのやつらだろうな。実力行使に出たか……」


 一刻も早く止めに行かねばなるまい。


 そう思った矢先、集会所から駆け出して森へ急ごうとする俺の前方から天然パーマの女の子が走ってきた。


「た、大変大変‼ 長老は⁉ 長老はいる~⁉」


まいさん! いったい何がどうなっているんです?」


 天パで名前が舞……マイタケか。


「うん! あのねあのね、何かすっごい大きい車が何台も来てね、森の木を伐り始めちゃったの‼」


「何っ⁉」


 まさかそこまで事態が進んでいるとは。もはや一刻の猶予もない。


「なんということじゃ! 他人の土地を勝手に荒らしおって!」


 声のした方を振り返ると、長老が怒りを露わにして立っていた。また部屋から聞いてたのね、あなた。


「椎菜! 直ちに行動可能なきの娘に連絡を! 舞はそのきの娘達の準備が出来次第、現場に案内しなさい!」


「了解しました」


「う、うんわかった!」


 長老の指示に返事をすると、椎菜は集会所の螺旋階段を駆け上っていった。


「え、えっと森の後継者の神塚幸樹君ですよね?」


 隣にいる舞が、黒縁眼鏡をクイッと持ち上げながら俺に尋ねてきた。


「あ、はいそうです」


「わ、わたしマイタケの舞! 色々とよろしくね!」


 しゃべり方は明るく元気な印象だが、どこか動きが忙しなく挙動不審である。


「わ、わたしね、みんなに落ち着きがないって言われちゃうんだ。でもでも! 別に悪気は無いんだよ~。だから、あんまり気にしないで仲良くして!」


「うん、よろしく」


 しゃべる時に身体を動かす癖があるのか、ダークブラウンの天然パーマがゆさゆさと揺れる。その度に眼鏡もずり落ちるからまたまたクイッとする。……ねえ、コンタクトにしたら?


「そういえば舞の菌力って何なの?」


「わたし? わたしはね~この姿の時には『忙しくなれる』能力があるの」


 ……はい?


「てんてこ舞から来てるらしいんだけどね、次から次へと仕事が舞い込んでくるんだ~。だからだから! このまま人間社会に放り出されても失業はしない自信があるよ?」


 何その社畜向けスキル。応用しづらすぎだろ。


「ちなみにね! きのこフォルムのときは生物の免疫を強くできるんだ! マイタケは栄養満点だからね!」


 もうそれ普通に食品じゃん。これからキノコの舞茸見るたびに、お前の事思い出しちゃうだろうが。お前の顔が頭によぎって食えなくなるわ。


「幸樹さん、舞さん! とりあえず準備できましたよ!」


 椎菜の声が頭上から響いてきた。

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