第25話 「菌類との朝チュンは恐らく世界初」

 白の割合が多い空とは対照的に、その日は爽やかな目覚めで朝を迎えた。


 和室には二つの布団が並んでおり、俺の右隣ではショートボブの美少女が安らかに寝息を立てている。


 昨晩祖父の家に着いた俺たちは、一階の和室を寝室として利用することに決めた。疲労困憊だった俺はいち早く身体を休めることにしたのだ。


 幸いにも昔使っていた寝間着は几帳面に保管されており、俺は少し窮屈になったそれに着替え、その後すぐに眠りに落ちてしまった。


 椎菜の方はといえば、まだやることがありますので、なんて言って夜中に出ていたみたいだったがいつの間にか戻ってきていたらしい。冬榎に任務を伝えにでも行っていたのだろう。


「……今、何時だろ……」


 障子の隙間から覗く薄い石灰色の空は、早朝特有のほんのりとした静けさを湛えている。そろそろ起き上がらねばなるまい。


 上半身を起こして、いまだ冴え切らない目をこすってみる。


 同じ姿勢で寝ていたからか、何だか腰のあたりが痛い。腰をひねってポキポキ鳴らしていると、枕元にきれいに畳まれた洋服が置かれていることに気が付いた。


「もしかして……昨日の夜の内に用意してくれたのか?」


 隣で寝ている椎菜の顔を覗き込んでみるが、そこには気持ちよさげな可愛らしい寝顔があるだけだった。


 普段の言動がナチュラルブラッキーだからつい忘れがちになるが、こいつもなかなか気が利くやつである。言葉遣いも基本的には丁寧だし、育ちの良ささえ感じる。


 ただ、たぶん椎菜の場合それは純粋な優しさだけに起因するものではないだろう。


 椎菜は――そして俺もまたそうなのだが――平凡であることにコンプレックスを感じている。自分には突出した能力が無く無個性であると思っているし、椎菜に至ってはそれが「菌力」という目に見える形で表れてしまった。他のきの娘達と違って、きのこフォルムの時に能力が発揮できないという事実は、彼女に劣等感を植え付けるには充分だろう。


 そんな感情の中で他人とうまくやっていくためには、自分よりも力のある人に気に入られるしかない。だから常に他人の顔色を窺って気を遣い、時には必要以上に腰が低い態度で向き合ってしまう。


 染み付いちゃってんだよな、お前も俺も。


 相変わらずスースーと静かな呼吸音を立てている椎菜に、そっと近寄る。


 こいつがどれだけそのことに関して悩んでいたのか俺は知らない。


 けれどこいつがどれだけ可愛い奴かっていう事は、きっと俺だけしか知らない。


 だから――。


「……あんまり無理すんなよ」


 彼女の柔らかな髪を、優しく撫でた。


 起きてるときには行動読まれちゃうから、リスキーすぎてこんなことできないけどな。


「さ、着替えちゃうか」


 せっかく用意してもらったことだし、ありがたく使わせてもらおう。


 温かい布団から這い出て、冬の空気が抜けきっていない朝の肌寒さに身を浸す。


 なんでこう、春になったのにこの時間だけは暖かくなんねぇのかな。一番暖まっていてほしいのは朝の着替えの時なんですけど。需要と供給どうにかしてくんない?


 そんな益体もないことを考えながら、ガサゴソと着替える。椎菜の用意した服は、俺が休日によく使う白のパーカーとチノパンの組み合わせだった。確かに動きやすくて気に入ってはいるんだけど……果たして何セットくらい常備されているのかが気になって仕方ありませんね、はい。


「ん……ん……?」


 ちょうど俺が着替え終えると椎菜が目を覚ました。


「幸樹しゃん……おはようございましゅ……」


 まだ頭がぼんやりしているのか、椎菜は微妙に呂律が回っていない。


「おう、おはよう。着替え用意してくれてありがとな」


「いえ……私から申し出たことでしゅし……。それより今何時ですか……?」


「んー正確な時刻は分からないけど、六時から七時ってところかな」


「そうですかぁ……顔洗ってきます……」


 どうやら椎菜はあまり朝が強くないらしい。むっくりと上体を起こしやおら立ち上がると、洗面所に向かってふらふらと歩き始めた。この家の間取りをどうして知っているのかとかは、もはや疑問に感じてはならない。


 俺も朝の支度をしよう。今日は大変な一日になるかもしれないからな。


 布団を畳んで押入れに突っ込み、着替えた寝間着もその上に重ねて押入れを閉じる。


「幸樹さん、洗面所空きましたよ」


 いつの間にか白のワンピースに着替えていた椎菜が廊下から俺に呼びかけた。


 とりあえず、顔を洗って歯を磨いたら簡単に朝食を取って集会所に向かおう。


「そうですね。何があるか分かりませんし、なるべく早く集会所に移動したほうが良いと思います」


「お、おう」


 やっぱり、思考を予測されてそれに返答されるというのは慣れないものだ。


「お前無闇に菌力使うなよ。びっくりするだろ」


「えー? だってすでにわかってることを二回聞くのも手間じゃないですか。全部予測できちゃうこっちの身にもなってくださいよ」


「はあ……まあいいか」


 椎菜によれば、これでもだいぶ抑えてくれてはいるらしい。


 確かに椎菜の視点に立って考えてみると、日常会話はものすごくウザったいものに聞こえるかもしれない。大事な事なので一回しか言いませんよ、は二回繰り返されるし、大事な事なので繰り返し言いますよ、は数えるのも辛くなるほど聞かされるわけだ。そういえば、大事な事なので一回しか言わないって矛盾してるよな。


 閑話休題。とにかくこう考えてみると、椎菜にとって「菌力」というものは「便利な能力」という位置づけではないのかもしれない。時には枷になることだってあるだろうし、嫌悪感を抱くことだってあるだろう。


 椎菜はそんな自分の能力についてどう感じているのだろうか。他のきの娘と暮らしている中で、本当に椎菜は幸せなのだろうか。


 ……ダメだ。こんな問題考えるだけドツボにはまる。別にあいつがどう思っていようがあいつの勝手だし、俺にどうこうできる権利も資格もない。うん、そう思おう。


 今は、何はなくとも森を守ることが先決だ。心にそう言い聞かせ、俺は余計な考えを洗い流すために洗面所に急いだ。

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