第23話 「夜の闇は学校生活をも黒く染める」

「おーい! 椎菜! 椎菜はいるか!」


 一階のホールのような空間には、意外にも誰もいなかった。俺の呼びかけにも返事はない。


「誰もいないのか? おーい‼」


 もう一度呼びかけると、ようやく上の方でガチャガチャと音がした。


 螺旋階段の先には、きの娘達の部屋に続くと思われるドアがいくつも並んでいる。その一つが外側にパッと開き、中からシイタケが出てきた。


「はーい、椎菜です。どうしたんですか? こんな時間に」


 そう言いながら椎菜は、ドアの外側に設けられた螺旋階段をきのこの姿のままでてくてくと降りてくる。


「ヴェッ⁉ 幸樹さんついに犯罪に手を染めちゃったんですか⁉」


 俺の腕の中にいる光の姿を見て、椎菜は目を見開く。やめろ。俺を幼女誘拐犯にしたてあげるのはやめろ。……あとその声どっから出してんの?


「違う! これは別にそう言う事じゃなくて……ってそうじゃなくて大変なんだよ! この森が、天神ノ森が売られちまった!」


「ヴエッ⁉ 嘘⁉ 何で⁉」


 だからお前その声どっから出してんの?


 抱きかかえていた光ちゃんを下ろし、椎菜の方へ向き直る。


「うちの両親が、土地の所有者の保護者ってことで勝手に売りやがったんだよ――」


 我が親ながら本当に情けない。


 呆れて口が開きっぱなしになってしまった椎菜に、俺は森が売却されるまでに至る経緯を丁寧に説明した。


「――というわけなんだ」


「はぁ……どうしましょう……。とりあえず皆さんにこの事を伝えないと……」


 説明を終えると、椎菜はいつもの能天気さを失い、深刻な表情でつぶやいた。


「幸樹さん、まずは長老に報告に行きましょう」


「ああ」


「光ちゃんは部屋に戻っていてください。もう遅いですし、そろそろ寝ないと」


「……わかり……ました……。おやすみなさい……こうきさん……」


 ぺこりと一礼し、光は螺旋階段を上っていった。


「お、おい! 椎菜聞いたか⁉ 今光が俺の名を――」


「いいから‼ はい行きますよ‼」


 そう言うと椎菜は、フロアに敷かれた真紅のカーペットの先に向かってズカズカ歩き始める。本当はもう少し光と俺の呼称について語り合いたいところだが……仕方ないか。俺もその後に続き、他のどのドアよりも豪華な長老の部屋のドアを目指した。……あ、ちなみに「おにいたん」呼びを希望でよろしく。


 俺よりもさきにドアにたどり着いた椎菜はコンコンとノックをし、ノブに手をかける。


「長老、失礼します」


「うむ。入れ」


 中から長老の返事が聞こえると、椎菜は堅く重い扉を軋ませながら引いた。


 以前訪れた時と同じように理事長室然とした部屋の中をのぞくと、高級回転椅子に座った長老がこちらを向いていた。


「長老、大変です! 森が売られ――」


「わかっておる、わかっておる。儂の耳はまだ老いぼれておらん。全部聞こえておったわ」


「あ、そ、そうですか……。これはとんだ無礼を……」


「構わん。それよりも今は具体的な対策を考えねばならん……」


 そう言うと長老は俺の方に視線を向けた。


「幸樹殿、どうやら本当にこの森に危機が訪れてしまったようじゃ。……改めて確認させてもらうが、幸樹殿は儂らに協力してくれるのじゃな?」


 これからは森を守るということが、両親と敵対するということに明確につながってしまう。だから長老は俺の気持ちを確かめてくれたのだろう。俺が両親を取るという選択ができるように。だが――。


「ああ、もちろん」


 森を守るということは既に約束したことだ。今更取り消すつもりも寝返るつもりもさらさらない。それにきの娘達に協力する気が無ければ、そもそもここには来ていないだろう。

 椎菜がちらりとこちらを見た。


「そうか。ご協力感謝する」


 長老は俺に向かって軽く頭を下げた。


 再び顔を上げると長老はさて、と切り出した。


「幸樹殿、儂はクラルテ・コーポレーションとやらがどんな会社なのか知らんのじゃが、話し合いに応じてくれそうな相手か?」


「んーどうだろう。何しろこの辺りの商売を牛耳ってるレベルのやつらだからな。かなり強引な手を使ってでも土地を手に入れようとしてくると思う」


 親父の話に出てきた若手社員の言葉が真実だとすると、なんとか業績を上げようとして無茶な手段すら取ってくることは容易に想像できる。


「そうか……。ではまずクラルテの内部に偵察者を送ろう。敵の内情を知らねば適切な手は打てまい。するとシイタケかエノキタケのやつら辺りが適任なのじゃが……」


 長老がそう呟くと、隣の椎菜がなぜか不安げな表情になった。ほとんど平素と変わらないほど、僅かに。


「うむ。今回は冬榎を任に命ずることにしよう。無駄なリスクは背負いたくはないからの」


 光を透過し完全に相手から見えなくなるエノキタケとは異なり、シイタケは単純に影が薄いだけなので見つかる可能性がある。


 加えてシイタケの影の薄さは菌力でもなんでもない。どう考えても今回の任務には危険性が大きすぎるだろう。


 その危険な任務から逃れられたからなのかどうか分からないが、椎菜はホッとしたような表情になり、再び俺を少しだけ見た。


「明日から冬榎にはクラルテの内部偵察に出向いてもらう。椎菜、その旨を冬榎に伝えておいてくれ」


「はい。かしこまりました」


「それと、幸樹殿」


「はい?」


「学校生活に復帰したばかりで非常に申し訳ないのだが、明日からしばらくの間は森に常駐してくだされ」


 うわーマジかー。もう本当に黒ずんだ青春確定じゃねーか。


 まあこれも天神ノ森のためだ。甘んじて受け入れよう。


「わかった。で、俺はここにいて何をすればいいんだ?」


 俺が当然の問いを口にすると長老ははっきりと答えた。


「きの娘達の指揮・統率と交渉じゃ」


「交渉?」


「そうじゃ。奴らがこの森に出向いてくれるとすればそれは実力行使に出るときじゃろう。儂らは何としてもそれを食い止めねばならない。すると当然話し合いでけりがつく方が望ましいのじゃが、儂らは迂闊に人の目に触れたくない。だからその時に対応できるようにしておきたいのじゃ」


「なるほど。そういうことか」


 だとしたら俺がこの森から外れるわけにはいかないだろう。存在が露見するだけで種の存続に関わりかねないきの娘達を無闇に人前に出していては本末転倒だからな。


「了解だ。役に立てるよう頑張るよ」


「そう言ってもらえるとありがたい。ではそのように」


 長老は深く息を吐き、椅子に座りなおすと椎菜に声をかけた。


「話は以上じゃ。あとは相手の出方次第じゃからの。下がりたまえ」


「はい。夜分遅くに失礼しました。おやすみなさい」


「うむ。おやすみ」


 椎菜は行きましょうと俺に言い、内側にも厳かな装飾がしてある扉のほうへ身体を向けた。

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