第21話 「子の心、親知らず」

「おい幸樹、話があるんだが」


 いつもは帰ってきてすぐに部屋にこもる俺を、親父が引き留めた。

 リビングでは父親のみならず母親までもが、俺の帰りを待っていたかのように椅子に腰かけている。


 しかたなく俺はリビングに入り、高校生活のために新調したリュックサックを床に下ろした。


「話って何?」


 椅子に座りながら、俺は尋ねる。


 父と母は一瞬顔を見合わせ、それから父は切り出した。


「今日な、母さんと二人でクラルテ・コーポレーションっていうところに行ってきたんだ」


「クラルテ……ああ、あそこか」


 クラルテ・コーポレーションとはこの辺りでは有名な会社だ。町の方に巨大な本社ビルを建てて、でかでかと看板を掲げている。パチンコ屋やら居酒屋やら手広く事業を行っていたはずだ。


「それで?」


「俺らも親父から土地を相続することになったんだが、その土地をクラルテに売ろうかと思ってな。その相談に行ったんだ」


 父親の口調を聞く限り、どうやら泥沼の相続争いには終止符が打たれたようだ。


「俺らの相続した土地が町場の方にあるから、パチンコ屋の新店舗を開くつもりはないですかーって伺ったんだが」


「ふーん」


「そしたらなぁ、パチンコ屋を建てる予定はないそうでな。今はゴルフ場を造る計画をしていてそっちで手いっぱいだと」


「ほーん」


 ……この話俺にする必要あるか? いやまあ無駄な波風立てたくないから聞くけどさ。


「担当の人が面白かったもんだからさ、その人と話し込んじゃって。そしたらノルマがどうとか、社長が厳しいとか仕事上の悩みをこぼされちゃってね。俺も社会人の端くれだし上司の厳しさとかわかるから、うんうん、若いうちは大変だよなーって聞いてあげたんだよ」


 あ、端くれだったんだ。頼むから胸張って社会人だって言ってくれないかな。


 なおも父はだらだらと喋り続ける。いや、そんなに引っ張んなくてもいいから。


「あんまりにも可哀想だったらさ、うちにゴルフ場にちょうどいい土地がありますよって教えてやったんだ」


 ん? そんな広い空き地この辺にあったかな……?


「そんなわけで天神ノ森、売っちゃったから」


「…………はぁ⁉」


 そんなわけで、じゃねーよ! 何してくれちゃってんの⁉


「いやいやいやいや‼ あれ俺の土地だから‼」


「そんなこと言ったって、お前未成年だろ? あのまま土地遊ばせておくのももったいないし。……ああ、収入の心配をしてるんだな? 大丈夫大丈夫! もちろんお前にも分け前は――」


「そういう話じゃなくて‼」


 俺は怒りを感じる前に、焦っていた。


 ――ヤバい。彼女たちに伝えなくては。


「……勝手な事してんじゃねーよ!」

 

 俺はそうとだけ言い残し、床に転がしていたリュックをそのままにリビングから飛び出した。


「あ、幸樹!」


 母親が俺を引き留めようとしてか初めて口を開いたが、耳を貸してやれる暇はなかった。


 脱ぎっぱなしのスニーカーに足を突っ込み、俺はまだ先ほどまでのぬくもりが残る自転車に飛び乗った。たった数分しか経っていないはずなのに、打って変わって闇に包まれた空が森をいっそう寒々しく見せている。


 墨汁が染み込んでいったかのような森の木々のコントラストに向けて自転車を急がせる。


 と、ここで俺はあることに気が付いた。勢いで自転車に乗ったはいいが森の中はこんなママチャリじみたマシンでは走り切れないではないか。


 ……しょうがない。とりあえず祖父ちゃんの家まで行くか。


「はやく……伝えなくちゃ……」


 祖父の家はすぐそこだが、そこまでは上り坂が続く。まだ幾ばくも時間が経っていないが、早くも息が切れてきた。


「はぁ……はぁ……」


 いつもなら居間にともった光がぼんやりと見えてくる場所まで来たが、今日の祖父の家は森の闇に溶け込んでしまっている。……こういう何気ない光景は祖父がもういないことを俺に突き付けてくるかのようで胸が締め付けられるな。


 頭では祖父ちゃんが死んだことなどとうの昔に理解しているが、心の方はまだ完全には受け止め切れていないらしい。やっぱりちょっと響く。


 いやいや。今はそんなことより、きの娘達の元へ急がなければ。

 悲哀な気持ちを振り払うかのように、思いっきり立ち漕ぐ。ペダルとタイヤの軋みが大きくなった。


 よし、祖父ちゃんの家がはっきりと見えてきた。


「チャリになんて……乗らなきゃよかった……」


 自分で言っていて思うが、あまりにもバカな発言である。いつだって後悔は先に立たないから後悔なのに。


 ペダルが一漕ぎ一漕ぎ重くなっていくが、それは少しずつ目的地に近づいている証拠だ。そんな風に自分を奮い立たせながら進んでいき、ようやく祖父の家の前の砂利道に到達した。


 自転車を適当に停め、汗ばむ身体を休めることもなく森へと急ぐ。

 切れた息が喉につかえ、太ももは強い負荷から解放された脱力感に満たされている。


 人口光が煌々と照る町の方とは対照的に、光が吸い込まれて行ってしまったかのような森の姿は、足を踏み入れることをためらわせる。歩き慣れた道とはいえ、やはり夜の森にはそれなりの危険が伴う。


「おっかねぇな……」


 情けないことに俺は森の入り口で立ち止まってしまった。それが肉体的な疲労によってもたらされたのか、恐怖心によってもたらされたのかはわからなかったが。


 しかしそれも一瞬の事だ。なんてったってここは彼女たちの森であり、祖父ちゃんの森であり、そして俺の森なのだから。大丈夫。


 俺は覚悟を決めると、悪魔の口のように俺を待ち構えている森の中へ飲み込まれていった。

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