第20話 「夕日が背中を押さずとも自転車は加速する」

「お忘れですか幸樹さん? 私は〝きの娘〟なんですよ?」


 角を曲がり、自転車の影が形を変えた。


「お前、まさか――」


 次の瞬間、椎菜は白くまばゆい光を放ち影法師たちは姿を消した。再び影が地面に表れた時には、椎菜はきのこに姿を変えていた。


「買い物帰りの奥さんが荷台にシイタケを乗せて自転車をこいでも法律には触れませんよね?」


 先ほどまで俺とほぼ同じ目線だった椎菜が、俺の足元で何か騒いでいる。というかお前その姿でも普通にしゃべれるんだ。


 俺のささやかな発見はさておき、俺の予想通りきのこの姿になってしまったこいつをどうするべきか。


「はあ……しょうがねーな」


 別にこいつを荷台に放り込むことによるデメリットもないし、俺の家まで乗せる分には構わないだろう。


「はい! ありがとうございます! そこから集会所までは自力で帰りますから!」


 椎菜は嬉しそうにしているが、のっぺらぼうなきのこでは実際の表情は全く分からない。


 傘の部分をつまみあげるように彼女を持ち上げ、カゴに乗せて自転車にまたがる。先ほどまで全く仕事の無かったサドルはいまだ冷たい春の夕風にさらされ、腰を落ち着けることを一瞬はばからせた。


「お前さ、普段の登校手段はどうしてんの? まさか毎日誰かの荷台に乗せてもらってるわけじゃないよな?」


 ペダルに力を込め、タイヤの回転速度を上げながら俺は尋ねた。


「普段は歩いて来てますよ。どうせ森に居ても暇ですし、帰りが遅くなって悪い人たちに襲われたとしても、この姿に変身すれば逃げられますしね」


 徒歩で通っている、とサラリと言っているが、集会所から学校まではかなりの距離があるはずだ。こいつがいつまで女子高生を演じるのかは分からんが、いくら健脚だとしても毎日これだけの距離を歩かせるのは不憫だな。


「しょうがないな。朝俺が家を出る前にカゴに入っていてくれたら送ってやるよ。帰りは一緒のクラスなわけだし何とでもなるだろ」


「え、いいんですか……?」


 椎菜はキョトンとした声を出した。表情は相変わらず見えない。


 自転車は町と森とをつなぐ橋に差し掛かっていた。ペダルをこぐ足にさらに力を込める。


「きの娘だか何だか知らんけどお前も立派な〝JK〟なんだろ? 女の子に必要以上の肉体労働を強いるのも、夢見が悪いだろ」


 橋の上特有の湿り気のある冷たい風が、立漕ぎで火照った身体と顔を冷やす。


 ふと横を見ると、ほとんど山の向こうに隠れた太陽が水面を煌めかせていた。


「……やっぱり、幸樹さんは優しいですね」


 橋の下りに差し掛かり、身体が風を切る音が騒がしくなる。そんな俺にはほとんど聞こえないほどの声量で椎菜は呟いた。


「え? 何?」


「いえ、ありがとうございますって言っただけです。幸樹さんにも意外な一面があるんですね」


「一言多いわ!」


 橋を渡り切ると森はもう近い。暗くなる前に帰ろうと、橋を下って得たスピードに身を任せる。この辺りは人通りも車通りも少なく、自転車を思いっきり走らせると心地が良い。


「なあ」


「はい? 何でしょう?」


「おまえも可愛い所、あるんだな」


「ふぇっ⁉ ど、どうしたんですかいきなり⁉ 毒キノコでも食べましたか⁉」


「やっぱなんでもないわ」


 どうしてこいつはこう、一言多いかなあ。


 しばらく自転車を漕ぐと家が見えてきた。やっぱり親父は出勤していないらしく、駐車場には白いセダンが停まっている。


「ほら、着いたぞ」


「あ、はい! ありがとうございました」


 自転車を路肩に停め再び椎菜の傘をつまむ。地面に優しく下ろすと椎菜は再び発光した。


「えっと、じゃあ……明日もよろしくお願いします……」


 発光に目がやられたのか、椎菜の顔が少し赤く見える。


「あいよ。また明日な」


 それを別れの合図として、俺は自転車を駐輪させるために椎菜に背を向けて歩き始める。


「はい! また明日!」


 椎菜が歩きだす足音を聞き、俺は思い返す。


 本当は聞こえていたのだ、椎菜のあの呟きが。あの少し気恥ずかしい言葉は、聞いているほうも、言った本人さえも照れくさくさせた。俺は普段周囲から平凡だと言われる質だから余計に心に沁みたのかもしれない。


 そう思っているのがばれないように聞こえなかったふりをして見せたのだが、俺と同様に本音を必死に隠そうとした椎菜の次の言葉に、図らずも俺は愛らしさを感じてしまった。


(あいつの天然ブラック発言は、もしかしたら照れ隠しなのかもしれないな)


 そう結論付けながら、俺は自転車を家の前に停め、玄関の扉を引く。


「ただいまー」


「おう、おかえりー」


 堂々とサボりやがったか、社会人。


「おい幸樹、話があるんだが」


 いつもは帰ってきてすぐに部屋にこもる俺を、親父が引き留めた。

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