第二章 異変

第17話 「日本国憲法は陰キャに生存権を保障しない」

 入学して間もないにもかかわらず、今日は久々の登校日である。


 椎菜たちの住む集会所を訪ねた翌日からは、当然通夜やら葬式やらがあり(その間ずっと親戚一同のうらめしい視線有)、結局俺が学校を再び訪れるのは週をまたいだ後になってしまった。


 いまだ不慣れな登校を続けている新一年生のなかでひときわ挙動がおかしい俺は、周りの様子を伺いながら自分の教室を探っている。あれ? この廊下って直進でいいんだっけ……?


 しかし戸惑いながら歩くリノリウムの床は、ぬかるんだ土よりも当然歩きやすく、自然足取りも軽くなる。


「空、きれいだなあ……」


 床から放たれる反射光のもとを辿ると、そこには数日ぶりの青空が広がっていた。窓の外を見ると、地面に残された水たまりは陽に照らされて煌めき、木々の葉についた雫は校庭に彩りを与えている。


 祖父ちゃんが死んじゃってからこっち、心身ともに疲れ気味だったからこういった何気ない感動でも救われる気がするな。


 なんて思いながら歩いているうちに、たまたま教室の前に着いた。俺ってば方向音痴ぃ。


 なにはともあれ、今日からは心機一転、素敵なハイスクールライフだ。


「よしっ。頑張るか」


 朝食もばっちり食ってきたし体調も万全。……ってそういや朝食で思い出したけど親父今日ずいぶんゆっくり飯食ってたな。遺産の分配についてはまだ話がまとまった気配は無かったけど、まさかあのクソ親父は仕事サボってまでその話し合いに出る気じゃなかろうな……。


「……ちゃんと働いてくれよ社会人……」


「おっ幸樹じゃん! 久しぶり!」


 教室のドアの前で立ち尽くす俺に、後ろからやたらパリピ感の溢れる声がかけられた。


「ん? ああ、良彦か。久しぶり」


「なんか入学早々大変な目に遭っちまったみたいだな。田中は適当にぼかしてたけどそれなりに察したわ」


 普段ノリの軽いイケイケ系リア充(笑)でも、良彦は最低限の分別はわきまえることが出来るらしく、意外にも心に優しい言葉をかけてくれた。


「まあ、いろいろあってな。心配かけて申し訳ない」


「まあ、一応俺ら友達だし? それくらいは当然じゃん?」


 そう言うと、良彦はいつものおちゃらけた口調にも戻りニカッと笑ってきた。


 というか俺らって友達だったんだ。俺の中では赤の他人以上知り合い未満くらいだと思ってたんだが。人間関係って難しいね。


「それよか、お前大丈夫なのか?」


「何が?」


 良彦の問いの趣旨が分からず、俺はその意味を聞き返す。そういや、質問に質問で返すなとかいうあの教育何なんだろうな。どう考えても質問に質問を返されるような、いわば質問付の質問とでもいうような質問をした質問者が悪いだろ。


 俺が脳内で質問ゲットだぜを叫んでいる中、良彦は盛大にため息を吐きつつ話を続けた。


「いや、だからさー。お前ってどう見てもコミュ力が希薄じゃん?」


 そういうことを〝友達〟に言っちゃうお前のコミュ力も別な方面で異常だけどな。


「別にそういうわけでも……」


 ふっふっふっ……私のコミュ力は五十三万! ……こういうこと考えちゃってるから友達できないんだろうなぁ……。


「いや、お前絶対陰キャだから! 否定しても滲み出てっから‼」


「あーはいはい。陰キャです認めます。で? だから何?」


 すると、良彦はおもむろに教室の扉に手をかけ、ガラガラと音を立てながらそれを引き開けた。


「お前……完全アウェーだけど大丈夫なの?」


 ……。


 …………。


 ………………あのークラスメイトの皆々様? 不審者を見るような目で俺を見るの止めてくれません?


 ドアの向こう側にいたクラスメイト達は、俺の姿を見ても誰だか分らなかったらしい。入学式に顔を合わせてこそいるものの、その後一度も出席していないのだから当然と言えば当然だが……。


「みんなお前の事忘れちまったみたいだな」


 うわーマジかよ……。何が素敵なハイスクールライフだよ。これじゃボッチルート確定じゃないか。


 クラスを見渡し絶望に暮れていると、俺はまた別の事に気が付いてしまった。


「しかも皆めっちゃ親しげだし……」


 俺の存在が認識されていないのはこの際しょうがないとしても、クラス内グループが形成されつつあるというのは由々しき事態だ。クラスの面々は、俺のいない数日の間に確実に距離を詰めたようで、力を持っていそうなイケイケ第一集団までも見受けられる。


 まずい。このグループに気に入られなければ最悪三年間便所飯だ。ただでさえ人付き合いが得意な方じゃないのに、こんな髪サラサラ系の人々とどう絡めと?


「お前存在感も薄いし、これは灰色の青春確定かもな」


 良彦の言葉に目を向けると、突然の闖入者に目を向けていたクラスメイト達は既に俺から興味を失ったらしく、再び世間話に色とりどりの花を咲かせ始めた。


 とりあえず立ちっぱなしでもしょうがないので、俺はドアをくぐりその花畑に足を踏み入れた。幸いにも俺の席はドア近だ。俺は教室前方右側の自席に腰を落ち着け、唯一の知人、いやこの際友人にランクアップさせてしまってもよいであろう右隣の人物に話しかけた。


「おい、俺のいない数日の間にどうなってんだよ」


「いや、一般的な高校生なら何日か経てばグループ形成するだろ」


「そうかもしれないけど……。とはいえ、ここ一応進学校だろ?」


 進学校の特徴として陰キャが多いというのがある。

 俺がこの学校に進むと決めた時、対人関係についても一応の心配はしたのだ。だがここは自称とはいえど進学校。陰キャが多いなら何とかやっていけるだろうと踏んでいたのに。


「その点に関しては俺も少し意外だったわ。進学校=陰キャというのは案外偏見なのかもな」


 実際俺みたいなのばっかだろ、といって良彦は自分を指さす。


 確かに周りを見てみれば髪の毛に命かけてそうな奴や、腰からジャラジャラしたチェーンをぶら下げてるような者までいる。


「まー、最悪俺が一緒に居てやっからよ。そんな暗い顔すんなって。このクラスの連中も結構いい奴らだぜ?」


 そう言って、良彦は通りがけに挨拶をしてきたクラスメイトに笑顔で挨拶を返している。


 やはり腐っても進学校。最低限の礼儀は身に付けているのか、先ほどから近くを通る生徒は皆きちんと挨拶をしてくる…………良彦だけに。


「なあ良彦、唐突なんだが高校にも道徳の授業を導入したほうがいいと思わないか?」


 自分から挨拶をしない俺も悪いんですけどね? でも常識的に考えておかしいでしょ。


 差別、ダメ、絶対。


「なんだよ、急に。そういう会話の飛躍も非リアの良くない所だからな」


 まあとにかく、俺がこのままだとクラス内ヒエラルキー最下層から抜け出せないことはよくわかった。まずは一人でも多くの知り合いを作らないと――。


「あ、幸樹さん。おはようございます」


 目の前のドアがガラリと開き、そこに立っている生徒が、良彦ではなく俺に挨拶をしてきた。

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