第15話 「見えないからこそ目に余る」

「お待ちしておりました! 幸樹様‼ ようやくお会いできましたわ‼」


 今までになくハイテンションなボイスを発した彼女は、声だけでなく笑顔もやはりとびきりの美人だった。


 白い湯気の中でさえ色彩を失わないほど輝く銀髪は磨き上げられた金物細工のように光沢を伴っている。湯に浸からないためか今はふわりとシニョンに結い上げられているが、おろしたら腰まであろうかというほどの長髪の持ち主は、その髪に負けないほどの美しさを持った白磁器のような素肌と、清楚で端麗な顔立ちをしていた。


 そんなきれいな人に裸同然の格好でここまで近づかれると、健全な男子高校生は動揺もするわけで。俺はどうにかこうにか言葉を絞り出した。


「あの……どちら様でしょうか? お名前をうかがっても……?」


 お隣のべっぴんさんをなるべく注視しないように注視しないように……と心中で唱えながら、見知らぬ番号から電話がかかってきた時の母ちゃんのように問う。


 いやまあ、予期せぬ形とはいえ裸の付き合いをしているのに、お互いの名前すら知らないというのもなかなかのレアケースだと思うんです、はい。


「ああ、これは失礼いたしました。私はエノキタケの冬榎ふゆかと申します」


 ザッパリと音を立てて立ち上がった彼女は、どうぞよろしく、なんて美しい所作とともに丁重に一礼なんかしてくれたのだが、なにしろバスタオル一枚なもので際どい際どい。えっと、このサービスにはお金は払わなくてもよろしいのでしょうか?


 布越しにも見てとれるスレンダーなモデル体型をした冬榎は、頭を上げて俺と目を合わせると、再び湯船に腰を落ち着かせる。


「改めまして幸樹様、私たちの元へようこそおいでくださいました。突然のことで色々驚かれているとは思いますが、私の方からすればもうず~っと長いこと貴方様を待っていたのですよ?」


 気品のあるお嬢様のような言葉遣いと、天使のような微笑みを浮かべながら冬榎は俺との距離を縮める。


「えーっと……それは大変光栄なことで誠に恐悦なんですが……」


 ちょっと距離近くないですか⁉ 色々当たっちゃってるん……ん? あ、あれれーおかしいぞー? 二つの山がなくなって平原になってるぞー?


「……あの、俺が天神ノ森を継いだっていうことはきの娘さん達的には周知の事実なんですね」


 失礼な思考を悟られないように何とか会話を継ぐ。相手が椎菜だったら完全にアウトだな。


「ええ、そうですわ。実を言うと、幸樹さんがお知りになる以前から、私たちは知っていたので」


「え? ああ。祖父ちゃんが遺書書くところも観察してたってことか……」


「大変失礼なことながら、お察しの通りですわ。その件に関しましては、私たちも常々罪悪感に駆られておりまして……。どのような謝罪の言葉を述べればよいか……」


「あ、いや、そんなつもりじゃ! もう受け止めたんで大丈夫ですから‼」


 だってもう全部見られちゃってるし、現在進行形で。


「それより、俺のことをずっと待っていたっていうのは?」


 そう尋ねると、冬榎の美しい顔に朱のコントラストが交わる。


「ええと、それは……」


 先ほどとは打って変わってためらいの表情を見せる冬榎はもじもじと目を逸らす。


「……私、菌力が適していると言われて幸樹様や他の方々の観察任務に就いていまして……。任務の間幸樹様のお姿を拝見するうちに、素敵な殿方だなあと、密かに想いを寄せていまして……」


 おお、なんだこれはなんだこれは! 唐突なラブコメ展開が始まってしまった! やべぇこういう時ってどういう言葉を返せばいいんだ? くそっ、経験値の無さが悔やまれる。こんなに頭が真っ白になるくらいなら、いっそのこと脳内にとんでもない選択肢がでてきて、俺を邪魔してくれる方がまだマシなんじゃなかろうか。


 俺の思考回路がめっちゃショートショートで星新一している間に、冬榎は色っぽい表情をつくりあげてしな垂れかかってくる。うわぁ近い近い‼ 体温がすぐそこに‼ ……ここまでくると二つの山の標高が限りなく低いことがせめてもの救いだな、こりゃ。


「私、ようやくお会いできましたの……」


 お湯の温かさも相まってかなり上気した頬は、うるんだ瞳とともに俺を誘惑してくる。


 冬榎は、さらに畳みかけるようにワントーン低くした声で――。


「……だから、もう私以外を見ないでくださりませんか」


 ……ん? おっと?


 ちょっと、若干俺の想像していた方向性から離れてきましたよ? なんだろう、この粘っこさ。ヤンデレというには弱すぎるけど、プラトニックラブって感じでもないよな。


「お願いします、幸樹様。私以外の女の子は見ないと、誓ってくださいませんか?」


 ん~ちょっと発言に粘度があるから、ネンデレ?


 まあいいや、こうなったら話題を変えて逃げるしかない。出会っていきなり愛の告白されただけでなく、愛の束縛までされかけちゃ、たまったものではないからな。


「それはそうと、冬榎さんの菌力って何なんですか?」


 我ながらそれはそうと、っていう切り返し方もひどいな。仮にも女の子が勇気振り絞って気持ち伝えてきてんのに。


 それでも冬榎は気を悪くした様子も見せず、ケロッと表情を変えると楽しげに話し始めた。


「私のこの姿の時の菌力は、光を透過することです。光を求める性質のあるエノキタケなので、このような力を持ったと伺っております」


 ほらこのように、というと先ほどまで目の前にいた冬榎は、雪がほろりと解けていくように、全く見えなくなった。


 不自然に湯船から浮き出たバスタオルに向かって俺は声をかける。


「なるほど、これなら普段俺を観察していても気づきようがないですね」


「ええ、ですから先ほど幸樹様がこちらに入ってくる際もこの力を使わせていただきました」


 ……なぬ?


「幸樹さんのうぶな反応が見たくてつい……。そのために脱いだ服も隠しておきましたし。おかげで素敵なお姿いただきました♪」


 再び姿を現した冬榎は、ペロッと可愛く舌なめずりをしながらとんでもないことを言い出した。


「お、おまえなんてことをっ!」


 痴女だ! こいつタチの悪いネンデレ痴女だ! 見てくれは可愛いから愛の告白されたとき満更でもない気持ちになってたけど、大幅にイメージの下方修正だよ‼


「ですが幸樹様? 少し考えれば私の反応に違和感を覚えたはずですよ?」


「え?」


「きの娘と名乗っていることからもわかるように、私たちには女しかいません。きのこフォルムの時に至っては雌雄の区別すらありません」


 確かに。言われてみれば全くその通りである。


「そして、女の子しかいない私たちの生活空間に殿方が紛れ込むようなことがあれば、それは幸樹様以外に考えられません」


 完全に一本取られた。


 冬榎は俺が風呂に入ったときに戸惑うような声をあげていたが、人間とのコンタクトを限りなく避けてきた彼女達である以上、正体がわかっていないのであればあの程度の驚きでは済まされないはずだ。


 つまり冬榎は、混浴ができてテンションの上がっている俺の姿を見て楽しむためにわざと風呂に招き入れたのだ。あたかも純粋な少女のようなふりをして。


「顔を赤らめながら私の方をチラチラ横目で見ている幸樹様も可愛らしかったですわ」


「やめろ! めっちゃ恥ずかしいから‼」


 くそっ。下心はないと言っていた先ほどの宣言は撤回だ!


「私以外の女の子には見向きもしないと約束してくだされば、今ここでタオルの下を見せるのもやぶさかではありませんよ?」


 あーもう完璧に分かったわ。

 ……こいつは重度のネンデレだ。

 もう発言の一つ一つがとにかく粘っこい。よくわからんけど心に纏わりついてくるこの感じは、粘度が高いとしか形容できん。


 そんなことを思っていると、脱衣所の方から音がして、再びあのくぐもった声が聞こえてきた。


「幸樹さ~ん、いつまで入ってるんですか? 女の子と一緒にお風呂に入れて楽しいのはわかりますけど、後が控えてるんでそろそろ上がってもらえません?」


 面倒な予知能力者が来たよ。


 結局あれか? こいつも冬榎も全部わかってて俺を手のひらの上で転がしてたのか?


「……もう、お前ら詐欺グループにジョブチェンジしろよ。たぶん上手くいくから」


「ぶつぶつ言ってないで早く上がってくださいね。あ、冬榎さんもですよ」


「わかったよ」


「承知しました」


 冬榎は再び水音を立てて立ち上がり、俺の目の前をわざとらしく通って浴室を出たが、その上気した肌も先ほどのように俺を興奮させることはなく、腑に落ちない気持ちだけが洗い流せずに俺の中に染み込んだのであった。

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