第5話 「親戚の集まりでの疎外感は誰しも通る道」

 親族たちが大方集まると、俺たちは場所を居間に移し、談笑し始めた。もっとも、俺はその輪には加われずにいたが。


 伯母が注いでくれたほうじ茶の入った湯呑を片手に、俺はこれから起こるであろうことを予想していた。この後、ここにいる全ての人が待ちわびているイベントが、盛大にかつ楽しげに執り行われるのだ。俺は全然楽しくないがな。


 果たして俺の予感は見事に的中し、「ついに予知能力に目覚めたかーアハハ」なんて独りごちてみたりもしたのだが気がまぎれることはなく、ついにアレが始まってしまった。


 そう。遺言書タイムである。


「えーお集りの皆様。ご歓談中かとは思いますが、ここで父の遺言書を読ませていただこうと思います」


 何ごとにも真面目な祖父は、きちんと遺言書を残していた。


 酒の入ったジジイどもが「よっ!」とか言っていたが、まあそうなるのも致し方あるまい。なにせ祖父は大地主だったのだ。所有していた土地は莫大だし、その土地を使って得た富もとんでもない量である。一生遊んで暮らせる、なんていうレベルではないのだ。


 それにしても、あれって一応公的な文書だろ。こんな所で開けてしまって大丈夫なのだろうか……。


 そんな俺の心配は露知らず。伯父は丁寧に封がされた遺言書を開いていった。


「……遺言者、神塚天樹は次の通りに遺言する」


 周囲の、期待に満ちた視線が凄まじい。皆一様に顔には出すまいとしてはいるものの、小学生が水中で息を止め続けているかのように鼻の穴が開きっぱなしである。


「一、『天神ノ森』と称されている土地、およびそこに含まれる諸々の建築物、またその維持に関する費用を除き、全ての土地、所有物を含む私の資産は法律に則り、相続する権利のある者同士で協議したのちその通りに相続させる」


 歓喜にも似た響きが居間を支配した。

 今の文言によって、ここにいる人たち全員に富を得る権利が与えられたも同然なのだから無理もない。


 俺はようやく丁度いい温度になったほうじ茶を一口すすり、耳を傾ける。ああ聞こえる、聞こえるぜ、金の亡者どもの悦びの歌がな。その中でも父親の声がひときわ大きいのは、きっと気のせいだろう。そう思いたい。それとも耳鼻科に行ったほうが良いのだろうか。


 ……ただ一つ気になるのは、祖父ちゃんは基本的に土地を売っていなかったということだ。貸し出す際には破格の安さで貸与するし条件もゆるゆるなんだが、売却となると消極的だったのだ。これからこのジジイどもの手に渡ったら安易に売り払われてしまうのだろうか……。


 居間が多少落ち着きを取り戻してようやっと、伯父は再び遺言書に目を落とした。


「ニ、『天神ノ森』と称されている土地、およびそこに含まれる諸々の建築物は全て、神塚幸樹に相続させる。またその維持にかかる費用は、私の貯金より全額支払われるぅ……ハァ⁉」


 読み進むにつれてどんどんデクレッシェンドしていった伯父の声は、最後に半オクターブほど音高を上げた。信じられないとでも言いたげな目をしてこちらを見ているが、俺だって同じ気持ちだ。


 ……どういうことだよ、祖父ちゃん。


「おい、ちょっと待て! どういうことだ!」


 口火を切ったのは情けないことに我が父親であった。


「こんなガキに相続させるなんて……!」


「いくらなんでも無茶だろう!」


 親類一同は俺をにらみつけながらどんどんヒートアップしていく。そんなににらみつけられると俺のぼうぎょが一段階下がっちゃいそうなんですけど……。


 地獄絵図というのはこういう状態を言うんだなあ、なんてしみじみと思っている場合ではない。我が親族一同がここまで喚き倒すのにはわけがある。


 天神ノ森は、祖父の資産の中でも特に規模が大きく、その価値は他の資産を全部合わせたものを遥かに凌駕しているのだ。それが高校生のガキにオールプレゼントされたのだから、祖父との付き合いの長い老人ズが黙っている訳はなかった。


 大暴走中のこの場を鎮めてくれたのは意外にも伯父だった。


「落ち着け! 遺言書にそう書いてあるんだ。これが親父の遺志ってことだろ」

「っ……」


 伯父による隙のない正論によって、その場にいた者たちは――不承不承という体ではあったものの――いくらか落ち着きを取り戻したようだ。


 ……だけど俺は全然落ち着けてないです。え、ちょ、待ってどういうこと? まああの森に入り浸っていたのは俺と祖父ちゃんだけだし、祖父ちゃんが俺に受け継がせたかった気持ちもわかるんだけど、それにしたって一介の高校生がいきなり大地主になるのはきついぜ。いやいやその前に、相続したところでどうすんの?


「……というわけで、『天神ノ森』以外に関しては、私たちも話し合いをしなければならないようですね。他にも通夜や葬式の手配などもありますので、話し合う場を設けることにしましょう。場所はこのままで……」


 まあ何はともあれ、それが祖父ちゃんの遺志だっていうのなら、相続しないわけにもいかないんだろうな、日本の法律的にも、俺の気持ち的にも。


 それよりも今は、恨めし気な目でこちらを見ているアルコール入りのジジイどもから逃げるのが先決だ。居心地が悪すぎる。


 ちょっと外の空気でも吸いに行こう。俺は言い訳のようにぼそっとそう呟いて、居間から出ることにした。


 玄関を開けると、まだ昼間なのにもかかわらず薄暗い世界が広がっている。


 渾沌とした雨雲は空一面に広がり、どこまでも続いていた。

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