家に帰るとそこにはz

 俺は何か違和感を感じていた。朝起きて、今まで、何とも言えない気持ち悪さを感じていたのだ。何かを見落としているんじゃないか、そんな気がしてならなかったが、具体的にそれが何を指しているかまでは全く分からなかった。だからおれは普段通りに過ごしていくのだ。違和感を抱えながら。






 茹だるような暑さの夏のことだった。いかにもV系を意識したような見た目の友人である忍と俺は机を挟んで、パイプ椅子に座りながらカチャカチャと手の中で白黒の石を弄んでいた。理由としては至極単純で、大学のサークルの部室でグダグダとオセロをしているからだ。

 なんのことはない、講義もなくてバイトもない。そんな日がな一日、なんとはなしに部室に転がってたオセロを手に取って久しぶりにやっていた、それだけのことである。


「なんかさぁ……」


 パチッと、黒が白にひっくり返った時に、忍が少し長めの前髪をクルクル指先で弄びながら言った。


「アオハルとは言わねーけど、この夏なにかミラクルなイベントが起きて欲しいよなぁって」

「なんじゃそりゃ」


 またパチッと音がして、今度は白が黒にひっくり返る。


「いや、だってさ。俺達も大学4年なわけじゃん? これまで特にビッグイベントってほどのことも起きなかったし、この最後の夏になにか起きねぇかなぁって、何となく思ったわけよ」

「まあ言いたいことは何となくわかるけど、具体的には?」


 今度は3枚の黒が白にひっくり返る。「やるねぇ」と忍が言いながら、そつなく角をとっていく。


「んー……まあ無難なところで言えば夏らしい何かしらのイベントに主催者側で参加、もしくは彼女と一緒に行く、とか」

「まあ無難だな。問題はそんなイベントを主催する予定も、彼女もいないってところだけど。ちなみに無難なところじゃないところで言えば?」


 別の場所の角を取りながら聞き返す。


「ファンタジー的な何かとか、SF的な何かに巻き込まれる的な。俺たちが世界救ってやるぜ! ……とまではいかないまでも、何かしらの秘密を共有したりとかさぁ。まあ死にたくはねえんだけど」

「お前そのいかにもV系バンドやってますって見た目でまだ厨二病抜け切れてないのか?」

「俺が本当にV系バンドやってたら今頃彼女とよろしくやってるでしょ。……まあそうはならなかったから最初に無難なところで言えばって方をあげたんだからさ」


 なんて言い合いながらオセロを続ける。俺と忍の勝負は拮抗していて、どっちが勝ってもおかしくないような盤面だ。なんだかこのままいけば引き分けになりそうな気がする。そんな予感があった。――予感というか、なんだかそんな感じのことを見たことがあるというか。


「まあイベントって観点は正直悪くないと思うぞ。この辺り夏祭りとかあったっけ」

「電車乗って2駅のところで花火大会するぞ」

「じゃあ今年はそれに行くか。ちなみにいつ?」

「来週。夏休み入ってすぐ」

「おっけー。じゃあ行こう。久瑠美も誘ってくか」

「誘わなくても勝手に着いてくるんじゃね?」

「でも誘わなかったら文句言うぞ」

「確かに」


 9割以上のマス目が埋まった盤面を見ながら次の一手を考える。

 ……? まただ。さっきの予感と同じというか、なんというか。俺はこの盤面を知っている、気がする。見たことがある気がするのだ。昔とかじゃなくて、つい最近。しかも何度も、だ。

 わけがわからない。オセロなんて普段やらないし。今忍とやっているオセロだって何年ぶりって感じなのに。朝からなんだか感じる違和感。それがだんだん強くなっていっている感じがする。

 オセロの盤面だけじゃない。なんだかんだでこの後忍がなんか言うんだ。その内容は、確か


 『今更だけど、これ負けたヤツが今日の昼飯奢ることにしようぜ』


 俺が石を置きながらそんなことを言うのと同時に、忍が全く同じことを口走った。


「なんだよ、同じこと考えてたのかよ」


 俺が石を置いたことで一気に黒が白にひっくり返っていく。そんな盤面を見ながら忍が可笑しそうに言った。


「いや、なんかさ。こんなこと言ったら変なんだけど」

「なによ?」

「なんだか、俺今日と同じことを体験したことがある、気がするんだよね」

「何言ってんだよ。お前こそ厨二病抜けきってないんじゃねーの?」

「いや、なんか俺もすっげーおかしなこと言ってるって自覚はあるんだけどさ。例えば忍」

「なんだよ」


 俺は忍が石を置く前に言った。


「お前そこに石置いて、一気に石をひっくり返すつもりだろ? ついでに言えば奢ってほしい昼飯はココイチのチキンカツカレー5辛」


 俺がそう言った瞬間、忍が驚いて顔を上げた。


「お前……いつの間に俺の心が読めるようになったんだ?」

「だから言ったじゃん。なんだか体験したことがある気がするって」

「――お前、超能力者にでもなったのか? 俺の知らない間にいつの間にそんなビッグイベント起こしてたんだ」

「いやなってねーし、起こしてもない。まあ、たまたまだろ。デジャヴってやつ? たまにあるじゃん」

「デジャヴ、ねぇ……。まあいいや。わかってんなら遠慮なく置かせてもらうからな」


 忍が石を置いて、俺の石が一気にひっくり返る。戦局はまだまだ分からなくなってきた。


 あと数手で勝敗が決まる。

 そんなことを思いながら石を置こうとした時、不意にこれから起こることが分かった。

 ――そうだ、確かこの後あいつが上機嫌で部室に来るんだ。


「なあ、忍。ちょっとスマホのカメラ起動して、動画モードにしてドアの方撮っててくれない?」

「唐突にどうしたんだよ」

「いや、今日の俺の予感が当たってるなら、これからちょっと面白い光景が見れるはずだから、その記念撮影をばと思って」

「まあ、今日のお前が言うんならいいけど」


 俺の突然の申し出にも忍は従ってくれた。この辺り、長年の付き合いのおかげだと思う。

 机の上に出していたスマホを手に取って、忍がカメラをドアに向けたとき――


「み、み、ミラクル、みっくるんるん♪」


 なんて声と主にドアが開いて、上機嫌の久留実が部室に顔を覗かせた。そして、俺たち二人がドアの方を向いて、なんならカメラ撮影しているところを見て固まる。


「聞いた? 今の。ていうか撮れた?」


 俺は忍に問いかける。


「バッチリ。今日のお前冴えてるわ」

「この歳になってみっくるんるんっていう奴、どう思う?」

「中学生くらいで卒業しておくべき」


 俺たちのそんな会話を聞きながら、驚きに固まっていた久留実は、今度は顔を真っ赤にして叫んだ。

 

「いるならいるって言ってよもぉー!!! ていうか動画撮んなー!!」


 ちなみにオセロは奇跡の引き分けに終わった。









 その後は3人で学食の昼飯を食べた後(動画はスマホを久留実に奪われて消されてしまった。残念)、部室に戻って先輩方が残していった高性能ゲーミングPCを使ってのネトゲを3人でチームを組んで、ネット配信しながらプレイ。夕方になって久瑠美がバイトがあると言って離脱。その後、俺と忍も帰途についた。と言っても、俺と忍とついでに久瑠美は3人とも同じアパートで部屋を借りている。

 大学の近くにある、所謂学生向けの安いワンルーム(バス、トイレ別)だ。202が俺で、203が忍。201が久瑠美だ。

 順番に特に理由はない。同じアパートに借りているのは、一人暮らしを心配した俺たちの親が、それならいっその事俺たちを同じアパートに押し込もうって判断をしただけだ。「いつでも助け合いなさい」なんて言っていたが、今のところ助け合ったのはレポートの写し写されくらいなもんだ。


「じゃあな。また明日」


 忍にそう言って別れる。「あいよ、また明日ー」と言いながら隣の部屋に入っていく忍を尻目に俺も部屋に入る。

 もう4年目になる自室は、自分の生活スペースの周りだけものが散らかっていて、それ以外はスッキリしている。まあ言い換えると触ってないだけとも言うんだが。

 ベッドに小さいテーブル、小さいテレビと、あとは家庭用ゲーム機が置いてある。水周りに行けば一人用の冷蔵庫に洗濯機だ。2日分くらいの洗濯物が溜まっている。

 ぶっちゃけ単位も取り終わって卒業研究を残すところとなっているだけの俺としては、家に帰ってもすることは特にない。卒研も今はまだゼミの先生との協議段階で、方向性は決まっているものの具体的な手法でつまづいてる段階だ。つまるところ家で1人でどうこうできる訳では無いので、暇を持て余している。

 クーラーの電源を入れて、なんとなしにテレビをつける。夕方のニュースが流れて、諸外国との摩擦についての報道が耳をついた。コメンテーターがくだらない自論を展開しているが、言っていることがめちゃくちゃで、一周回って面白く感じるほどだ。

 ふと、それまでで一番強烈な違和感を感じた。今日一番だ。オセロの時の比なんかじゃない。

 普段の俺なら、この後電気ポットに水を入れて、お湯を沸かす。それで、お湯を沸かしている間に、カップ麺のビニールを破っていたりするのだ。実際に昨日はそうやって――昨日? 昨日っていつだ? いつの昨日だ?

 俺は何故だかこの自室に強烈な違和感を感じた。いつもと変わらないはずだ。いつもと変わらない日常。暇をつぶして、家に帰ってきて。特にすることもなく時間をつぶして。

 でも、なんだか昨日も同じことをしていた気がする。その前も、その前も。同じことの繰り返し、と言ったらそれまでなんだが、意味合いが違う。全く同じこと・・・・・・を繰り返している。

 そして、そんな強烈な違和感の元凶がすごく近くにいるような気がする。具体的にいうと押入れの中・・・・・にいる、そんな気がする。

 俺は自分の予感に従って、押入れの前に立つ。普段は予備の布団と冬服なんかがしまってある、そんな押し入れだ。だが今は、そんなこととは程遠い違和感を放っている。

 普段ホラーを見るとき、俺は主人公たちに対して「なんで見に行くんだ?」「なんでそっちに行くんだ。だからそうなるんだろ?」なんて感想をこぼしてしまいがちだが、今がまさに自分がそんな状況に陥っている。押入れを開けるか、開けないか――まあ、選択なんて言うのは最初から決まっているのだ。

 この中に何かがあって、俺はそれを確かめなければならない。いや、確かめたいのだ。

 だから俺は、押入れの取っ手に手をかけて一気に押入れの戸を開けた。

 そして、その中には――


 呆然とした表情・・・・・・・で俺の顔を見つめる、どこかのお嬢様みたいなヒラヒラのドレスを着て、両手足を縛られて猿轡を噛まされた、銀髪碧眼の女が転がされていた。


「お前は……なんだ?」


 俺は、何度もこの女を見たことがある。そんな確信があって。


 ここが、分岐点だったのだ。俺たちが知らない間に巻き込まれていた、このミラクルから脱出することができる道の。

 俺たちの人生で、一番困難で、でも一番震え立った苦難イベントからの。

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