泰平の階~86~

 条家は滅んだ。それは即ち条国という国家が消滅したということでもあった。実に二百年ぶりに斎公は国号を取り戻すことができた。


 国主となった斎治は、その喜びをかみしめる間もなく、早速に政治体制を整え、新政を開始した。丞相となったのは費俊。費俊は斎治復権の最大の立役者であるため、これ以上の人選はなかった。もう独りの立役者である北定は顧問官として斎治の相談役に徹することになった。六官の卿などの政治的な役職はそれほど問題なく決定された。


 次に軍事上の役職である。これはやや難航した。


 斎国の国政では軍事上の最高役職は三つある。最上級が大将軍。国家の武人をすべて統べる立場にあり、斎興が就任した。斎治の子息という血筋も良いし、千山や槍置での戦による実績も申し分がなかった。また斎興自身も武芸に秀でていて、武人からの人望も厚かった。だから斎興が大将軍となることには異論はでなかった。


 問題となったのは左将軍と右将軍である。早くから反条公の意思を鮮明にして、斎治や斎興を軍事的に助けてきたのは、少洪覇であり、赤崔心であり、和芳喜親子であった。しかし、


 「彼らは身分が低い」


 朝堂ではそういう意見が支配的であった。斎治や費俊ですらそう考えていた。


 彼らに測り知れない功績があるが、それを覆してまで官位で彼らに報いることができないのが身分社会であった。そうなれば、条国でも名家であった尊毅か新莽のどちらかが両将軍の官職を分け合う他になかった。


 「左将軍には新莽がいいのではないか?」


 斎治は二つの中では上位にあたる左将軍には新莽を推した。栄倉を陥落させた功績は、斎治に与力した諸侯の中では最大級のものであった。費俊もこれに賛同した。費俊は生理的に尊毅を敬遠していた。


 「いえ、左将軍は尊毅がよろしいかと思います」


 異を唱えたのは北定であった。


 「ほう。それはどうしてだ?」


 「我が国において最大の軍事力を有しているのは尊毅です。それに新莽には人望がありません。」


 北定ははっきりと言った。


 「武人を束ねるには人望が必要です。主上と大将軍だけで斎国すべての武人の心を掌握するのは大変です。では、どうすればいいのかというと、すでに多くの武人の信望を得ている男を擒にすればよいのです」


 人望という点については、確かに尊毅の方があるだろう。尊毅は斎治に付くと判断すると、佐導甫を誘い、傘下に入れた。他にも尊毅が条高に反旗を翻したと知ると、多くの諸侯が馳せ参じてきた。一方の新莽はどうか。彼は単独で栄倉を落とす道を選び、彼の下に馳せ参じてきた者達も、新莽であるからというよりも勢いのある方に乗ったに過ぎない。その差は歴然としていた。


 「北定様のご意見は分かりますが、どうにも尊毅という男は油断がならぬのです」


 「それについては異論はない。だからこそ、尊毅なのだよ。彼がこちらの側にいる間は、武人達が叛くことはない」


 北定が最も恐れているのは武人達の動向である。残念ながら斎治が直属して有している軍事力はほぼない。これまでの少洪覇や和芳喜配下の軍勢を借りていたに過ぎない。直轄軍というものを組織するまでは、尊毅の名声と抱えている軍事力は絶対的に必要であった。


 「ふむ……。大将軍はどう思う?」


 「北定殿の言う通りでありましょう。尊毅さえ心服させておけばいいのです。それも数年でよいのです。そのうちに私が禁軍を再編致します」


 斎興の言葉は力強かった。直属の禁軍を編成すれば、尊毅と対抗する力を得られる。そうなれば尊毅も迂闊なことはできない。


 「では、尊毅を左将軍とし、新莽を右将軍としよう」


 「主上、それにつきましてひとつお諮りしたことがあります」


 と言ったのは斎興であった。


 「何か?」


 「千山より我が軍の軍略を担っていた劉六という男がおります。主上には一度、お話したことがあると思いますが……」


 「はて……いたような、いなかったような……」


 「確か、医者をしていたという男でしたか?」


 北定はよく覚えていた。


 「左様です。かの者の軍略は尊毅さえを凌駕するでしょう。軍事的に尊毅を牽制するには劉六をぜひともこちらの手元に置いておきたいのです」


 「その劉六という男はどれほどの位に着いているのか?」


 「それが……栄倉が陥落して一段落すると、千山に帰りました。医者に戻ると言って」


 「呆れたものだ。その男には欲というものがないのか」


 斎治は珍奇な話でも聞いたかのように目を丸くした。 


 「風変わりな男ですが、軍略の才能は確かです。官位や恩賞では乗ってこないでしょう。そこで我が妹を劉六に娶らせようと考えております」


 「香姫をか?」


 斎治はあからさまに嫌な顔をした。斎興の妹とは即ち斎治の娘なのである。香姫―斎香は斎興と同じく界国に疎開していたが、斎治が慶師を奪還したことにより、戻ってきていた。美貌の人として知られ、すでに慶師の社交界では有名になっていた。


 『劉六とはそれほどの男か?』


 斎治は次第に思い出してきた。その名前は度々斎興から聞いており、慶師に向かい最中でも結十から聞かされていた。確かに千山や槍置での戦いにおいて戦略を立てたのは劉六という男なのかもしれない。しかし、その凄みを直に経験していない斎治にはまるで実感のないことであった。


 「香姫はいずれどこかの国主に嫁がすつもりだ。身分のない一介の町医者にやるわけにはいかぬ」


 国主の娘が町医者の妻女になるなど前代未聞のことである。斎治の判断はあまりにも常識的であった。斎興もそのようなことなどよく分かっているためそれ以上何も言わず、引き下がるしかなかった。

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