泰平の階~87~

 朝堂から引き上げた斎興は、慶師にできたばかりの私邸に戻った。そこには結十と董阮が顔を揃えて待っていた。


 「その様子からすると不首尾のようですね」


 結十が斎興の顔を見て言った。斎興は憮然として座った。


 「当たり前だ。国主の娘を町医者にやれるか、と主上は仰った。当然のことだ。俺もお前達が強く勧めなければ、馬鹿馬鹿しく進言などするものか」


 斎興も劉六の異才は認めている。できることならば傍に引き留めておきたかった。しかし、劉六という男は、仕官の勧めにも応じず、恩賞の話をしても、


 『恩賞などいりません。どうしても私に恩賞を与えたいのなら、千山に帰らせてください。それが私にとって一番の恩賞です』


 とにべもなかった。斎興としては打つ手がまるでなかった。


 「ひとまずは様子を見ましょう。しかし、定期的に劉六の様子を探っておいた方がよろしいかと。それこそ尊毅などが近づいてくるかもしれません」


 「結十。確かに劉六の才能は見事なものだ。それは俺も分かっている。しかし、今となって俺達が躍起になって劉六のこころをつなぎ留めておくべきものなのか?奴はそれほどの男か?」


 「それほどの男でありましょう。私は、彼の不遜な態度は気に入りませんが、天下国家を震わす大才ではありましょう」


 割って入るように発言したのは董阮であった。彼が劉六に対して好意的な発言をするのは珍しかった。


 「董阮の申す通りです。もし、彼が尊毅の側に着こうとすれば、殺してでも阻止すべきです」


 普段は穏やかな言葉で助言する結十にしてはかなり過激な内容であった。斎興は困惑してしまった。


 「お前達の言い分は理解した。しかし、主上が反対される以上、妹をやるわけにはいかないし、殺すこともなかろう」


 しばらくは様子見だ、と斎興は劉六に対する話題を打ち切った。




 斎興のもとを退出した結十と董阮は並んで歩いていた。どちらとも口を開くことができず、黙ってしばらく歩いていたが、耐えきれずに結十が話し出した。


 「こうなったら、香姫に直接お話する他はない」


 これから行こう、と董阮を誘った。


 「結十。俺も劉六の存在はこれからの我らに重要であるとは思っている。しかし、相手が香姫であるべきか?俺やお前の縁者で相応しい女子を見つけてもよいのではないか?」


 「いや、香姫であるべきだ。これから斎家が国主としてあり続けるのなら、軍事的な裏付けというものが絶対に必要となってくる。私が見る限り、劉六は単なる戦略家ではない。軍政ををやらしても異才を発揮してくれるだろう。何者にも負けない斎国軍を作るにはあの男がどうしても必要だ」


 「しかし……本当にいいのか?お前、姫様のことを……」


 「言うな、董阮。個人的な感情など、公的利益の前では霞のようなものだ」


 それから二人は、斎慶宮の離れに渡った。廃墟同然であった斎慶宮は再建の最中であった。まだ修繕が済んでいない場所が多く、貴人の生活場所は比較的無事であった離れを使用していた。


 結十と董阮が世話役の女官に案内を乞うと、すぐに通された。斎香は書見をしていたのか、結十達が部屋に通されると、書物を閉じた。


 「どうしたのですか、二人して。そんなに畏まらず、もっと近くに来なさいな」


 斎香は気さくであった。界国での疎開生活は、三人の距離を非常に縮めていた。そこには身分の縛りのない自由な時と空間であったが、斎国が再興された以上、今まで通りとはいかなかった。


 「姫様、実はお願いがあって参りました」


 結十は辞儀を低くしたまま、劉六のこととその重要性について語った。そして、その男を斎家に取り込むには斎香が劉六に嫁ぐしかないことを言葉を選んで語った。


 「姫様におかれましては、お怒りになれるかもしれませんが、これも斎国のため……」


 「まぁ、何ですの、その男。面白い男じゃないですか!」


 斎香は激怒するかもしれない。結十も董阮もそう思っていたが、斎香は目を輝かせていた。


 「姫様?」


 「私、退屈していましたのよ。結婚するかは置いておくとして、ぜひ劉六なる男に会って、いろいろとお話を聞いてみたいですわ」


 昔から好奇心旺盛なのは知っていた。しかし、こうも劉六という男に興味を持つとは、結十としては驚きであったし、悲しくもあった。


 「手配いたします。が、主上と斎興様には御内密に」


 勿論です、と斎香は言った。

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