泰平の階~60~

 条国軍来る。


 その報は、劉六が張り巡らせた情報網によってかなり早い段階で知ることができた。


 『いかにも少ない』


 劉六は診察室の壁に貼り付けてある千山周辺の地図を眺めながら漠然と思った。この場合、少ないのは千山と夷西藩の兵力ではなく、敵の兵力であった。


 五千名という兵力は、前回、尊毅が夷西藩と千山を攻めた兵力と同数である。だからその数としたのだろうが、その頃の状況と今とは異なっている。夷西藩も千山も動員できる兵力は増えているし、兵の練度もあがっている。


 『五千名では攻めきれないだろう』


 劉六はまずは敵の立場に立って考えてみた。夷西藩と千山が有機的に連携している以上、敵は軍を坂淵方面と千山方面に分けねばならない。どの程度の割合で分けるかは別として、一軍の数は五千名を下回るのは確実である。


 『今の夷西藩の動員兵力は三千。これで坂淵に籠城すれば、五千名以下の兵力では攻めきれまい』


 籠城をする相手に対しては三倍以上の兵力が必要なのは戦の常識である。この時点で条国軍が夷西藩攻略に苦戦するのは必定であった。


 『負けない戦ならいくらでもできる。しかし、今度は大きく勝たねばならないだろう』 


 そのためにはどうすべきか。劉六が思考を巡らせていると、僑紹が診察室に入ってきた。


 「よう、軍師殿。公子がお呼びだぞ」


 「何だ?怪我でもされたのか?」


 「そんなわけないだろう。条国軍とどう戦うか聞きたいとのことだ」


 「うん」


 劉六は曖昧な返事をした。実のところ、いくつかの方策を思いついていたのだが、どれが最適解か悩んでいた。


 『ひとまず会ってみて考えるか』


 劉六は診察所を僑秋に託し、僑紹に連れられ千山の政庁に向かった。


 千山の政庁は、いつしか斎興の私邸のようになっていた。彼と家臣達はここで寝泊まりをしており、同時の政治上の拠点としていた。事実上、千山の主は斎興となっていた。


 これについて長老をはじめとした千山の住民達は肯定的に受け入れた。政治的な地位を失っているとはいえ、斎治の子息である斎興は貴人中の貴人である。貴人を崇拝する心理は地方に行くほど強く、条家による支配が揺らいでいる千山では特に貴人である斎興を受け入れる土壌ができあがっていた。


 それだけではなく、斎興は住民から搾取するようなことをせず、生活も質素そのものであり、時として自ら狩りに出かけ、鹿肉などを住民に振舞うこともあった。


 『斎興様は英傑であろう』


 政庁へ向かう途中、劉六は斎興のことを考えていた。斎興が千山に来て事実上の主となったことに何事か歴史的な意義があるのではないか、と思えたのである。


 『もはや単に攻め寄せる条国軍を押し返すだけではなく、将来的にはそのさらに先に押し出すことになるだろう』


 ましてや少洪覇と共同していれば、その可能性はさらに大きくなる。そうなった場合の千山、そして我が身の振り方を考えると、今回の戦いも単に勝つだけでは駄目であろう。


 『まずは徹底的に勝ち、条国軍が千山と夷西藩に迂闊に手を出せない状況を作り出さなければいけない』


 劉六は迷いを捨て腹を決めた。


 政庁に到着すると、斎興がすでに待ち構えていた。両脇には結十と董阮がおり、すでに地図を広げて検討をしているようであった。


 「おお、軍師。待ちかねたぞ。条国軍の情報については聞いておろう。お前に意見を聞かせて欲しい。どのように籠城すればよいと思うか?」


 劉六は斎興達が囲んでいる地図を見下ろした。千山を囲むように敵軍に見立てた駒が並べられている。斎興達は籠城するのを前提としているようであった。


 「少洪覇も籠城するであろう。そうなれば敵は二分する。どのように少洪覇と連携すべきか……」


 董阮が尤もらしく敵軍の駒を動かした。その動きはあまりにも無駄のように劉六には見えた。


 「劉六殿はどのようにお考えか?」


 結十が促した。劉六はゆっくりと口を動かした。


 「千山に籠城せず、条国軍を迎え撃つべきです」


 斎興達が息を飲むのが分かった。彼らかすると思っていなかった感がであろう。


 「馬鹿なことを言うな。敵は五千名あまりという情報だ。それに対して千山でどれほどの人員が動員できるのだ?千名もおるまい」


 董阮がかみついてきた。劉六は内心ため息をついた。いちいち説明するのも面倒くさかった。


 『私に任せてくれるのなら、何も言わず任せてくれればいいのに……』


 そうもいくまい、ということぐらい劉六も理解していた。


 「確かに数では少洪覇殿の軍と合わせても劣るでしょう。しかし、我らには地の利があり、勢いもあります。それに敵は長い征旅で披露しております。十分に勝ち得ます」


 劉六は董阮ではなく斎興の方を見て訴えかけた。斎興は董阮と違って劉六の意見に傾聴した。


 「軍師殿、勝算は十分にあるのだな?」


 「勿論です。そうでなければ申し上げません」


 斎興がにやっと笑った。


 「よかろう、我らは戦はすべて軍師に委ねたのだ。その言に従おう」


 斎興にはやはり上に立つ者としての器量があった。劉六は自信をもって自分が描いた作戦案を披露した。

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