泰平の階~47~

 尊毅によって陥落させられた夷西藩が条家の直轄地になることはすでに先述した。その代官として何行白が赴任することになっていたが、その道中で少洪覇によって坂淵が奪還されたことを知った。


 「これは由々しきことだ……」


 何行白は治安維持のために千名の兵士を率いている。それに坂淵から敗走してきた兵士を加えると、千五百名程度の軍を組織することができたが、これでは足りぬだろうと直感的に思った。


 「相手には騎虎の勢いがある。それだけではなく、下手をすれば千山も相手にしなければならない」


 この時はまだ、斎興が千山に入ったことを何行白は知らない。ただ、千山が容易ならざる勢力としてほぼ独立状態にあることは大いに気がかりであった。


 何行白は、ひとまず栄倉に一報を届ける共に、近隣諸侯に協力を求めた。それにより二千名にまで兵力を増やすことができた。


 「もう少し増えると思っていたが……」


 何行白は、条高の名前を出して募兵したが、どの諸侯も非協力的で、兵士どころから兵糧すら貸さない者もいた。


 「条家が盛んな頃なら、こんなことはなかったはずなのに……」


 何行白としてはこの場で留まり、栄倉からの指示を待つこともできた。しかし、待つ間にも少洪覇の勢いも増し、兵力も増大するだろう。それにここで栄倉からの援軍を待つというのも武人としての矜持が許さなかった。


 「尊毅のような若造でも勝てたのだ。我に勝てぬはずはない」


 何行白は現存の兵力を率いて坂淵の奪還を目指すことになった。




 何行白が夷西藩の藩都坂淵に向かっているという情報は、他ならぬ少洪覇からもたらされた。当然、援軍を要請してのことである。


 『出よう』


 劉六は即断した。敵である何行白は功を焦ったのか、援軍を待たずして攻め込んできた。しかも、軍を分けることなく、真っすぐに坂淵を目指している。千山にとってはこれほど優位な展開はなかった。


 『千山軍がどこまで通用するか見てみたい』


 という思いもあったので、劉六は斎興に進言した。


 「敵はわき目もふらず坂淵を目指しております。謂わば我らに対して後背や側面を晒すような隊列を作っています。これに切り込めば大勝しますでしょうし、少洪覇殿への援護ともなりましょう」


 「戦うことには異論はないが、劉六は先ほど、まだ条国軍を迎える状況にないと言っていたではないか?」


 斎興は劉六を試しているのか、それとも本当に疑問に思っているのか、この前の劉六の発言を持ち出してきた。


 「状況が違います」


 いちいち説明するのが面倒くさかったので、端的に答えた。劉六にはそのようなくせがあった。


 「状況が違うのは分かる。我が軍の勝てるのかどうかと言うことを公子が聞いておられるのだ」


 董阮がやや苛々したように問い返した。


 「勝てるから進言しております」


 「貴様!公子に対して無礼であろう!」


 董阮が立ち上がり叫んだ。劉六は平然と聞き流していた。


 『この男は馬鹿か……』


 流石にその言葉は飲み込んだが、劉六の方が苛立ちを覚えた。公子に無礼も何も、そもそも劉六は斎興の家臣ではない。そもそも斎興は千山の主でもないのだ。我が軍という言い方もおかしかった。


 「董阮、落ち着け。軍事の方策は劉六に任せると決めたのだ。任せてみようではないか」


 鷹揚に斎興は言った。董阮は不服そうであったが、それ以上は何も言わなかった。


 ともかくも斎興の了承を得た劉六は千山を出撃した。と言っても総大将が劉六ではなく、結十という斎興の家臣が総大将となった。劉六はあくまでも軍事参謀という立場であった。


 これについては劉六として異論がなかった。自分のような医者よりも、斎興の家臣という立場の方が大将として相応しいように思えた。それに結十という男は、董阮などとは違い、居丈高に振舞うようなこともなく、非常に丁重であり、劉六を尊重してくれた。


 「私は見てのとおり武人としての威厳はない。軍の進退はすべて劉六殿にお任せする」


 結十は口だけではなく、劉六の立てた方針に一切の異論を差し挟まなかった。


 「すでに少洪覇殿にはこちらの方針を伝えております。少洪覇殿は全力で敵を引き付けおられます。我らはその敵の側面を叩きます」


 劉六は斥候を出し、敵の位置を正確に把握していた。何行白は坂淵を包囲しようとしているのに対して、少洪覇は坂淵に籠城せずに外に出て決戦をしようとしている。実はこれも劉六が提案してのことであった。


 『籠城となれば敵は決して猛攻せず、ゆるやかにじっくりと攻めるでしょう。そうなればこちらの存在にも気が付かれてしまいます。敵が他のことなど気を配ることができないようにしていただきたいのです』


 劉六は使者を通じて少洪覇に提案した。先の尊夏燐との戦いでの劉六の活躍を伝聞で知っている少洪覇は、その提案を二つ返事の飲んだ。


 「仔細は承知しました。そうなれば我らは早々に敵の背後に進出する必要がありますね」


 結十の考えているところは劉六も同じであった。結十は決して魯鈍ではなかった。


 「左様です。騎馬隊の指揮は江文至にお任せください。結十様は後方をお願いいたします」


 「そう致そう。楽に戦って勝てるならそれに越したことはないからな」


 結十は笑った。斎興の周囲が結十のような人物ばかりなら劉六としての実にやり易かった。

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