泰平の階~48~

 少洪覇が籠城せずに出撃してきたと知った何行白は憤慨を隠さなかった。


 「私も舐められたものだ」


 戦略の定石からすれば、兵力が少ない少洪覇は坂淵に籠城すべきであったろう。それなのに出撃したということは、寡兵でも勝つことができると思っているからに違いなかった。


 「私のことを尊毅よりも劣ると思っているようだ。その侮りを後悔させてやる」


 「しかし、千山と協同している可能性もあります」


 何行白の副官の想像も尤もであった。何行白もその可能性を考えないでもなかった。しかし、


 「そうであったとしても、少洪覇如き容易く倒すことができる。千山が来るなら、刀を返して討てばいいだけだ!」


 千山の兵力など高が知れている。何行白の方こそ敵を完全に侮っていた。


 こうして何行白軍は、正面から少洪覇軍から激突した。数の上で劣る少洪覇軍であったが、士気は高く、幾度の修羅場を戦ってきた猛者達である、容易に崩れることはなかった。


 「進んで戦え!あれは我らが父祖の地を奪いに来た奴らぞ!負ければもはや我らに住む土地はないと思え!」


 少洪覇は前線に立ってそう叱咤した。彼の発言は兵士の士気を高めるものであったが、同時に事実であった。謂わば少洪覇軍からすると祖国防衛のための戦であり、士気が俄然高くなるのも当然であった。


 一方の何行白軍は、住み慣れた土地を離れて遥々遠征してきた者や、嫌々ながら駆り出されてきた者ばかりである。士気という点で劣るうえに、各部隊の連携も取れない。特に条公の名前をちらつかせて集められた近隣諸侯の将兵は、何行白の命令を素直に聞くはずもなく、何行白は思わぬ苦戦を強いられることになった。


 「こんな馬鹿なことがあるか!」


 何行白は遅々として進まぬ戦況に苛立ち始めた。一日で少洪覇軍を壊走できると意気込んでいたのに、逆に押し込められていた。


 「将軍……」


 日がまもなく沈もうとしている頃、そろそろその日の戦闘終了を命じようと考えていた矢先、副官が何行白に近づいてきた。


 「千山の兵が後背に出ようとしているようです」


 「馬鹿な!早すぎる……」


 斥候からの情報を分析すれば、千山軍の到着は早くても明日の夕刻ぐらいになるはずである。


 「もうすぐ夜だ。敵も進軍を止めるだろう……」


 「その可能性もありますが、敵は少数です。夜襲を仕掛けてくる可能性も捨てきれません」


 副官の意見も尤もであろう。何行白は判断に迷った。


 「やむを得ん。ここは慎重に行こう。近くに兵士達を休ませる場所はあるか?」


 「斥候の報告では、南に果常という邑があります。邑と言ってもすでに住んでいる人がいない廃墟のようですが……」


 「ちょうどいい。建物があれば、兵士達を休ませることができるし、敵が攻めてきても防衛しやすくなる」


 こちらが攻めておいて防衛の姿勢を取るのはしゃくであったが、無様にましであろう。何行白は、少洪覇軍が引いたのを見届けてから全軍に南への移動を命じた。




 「敵は南へと移動しているようです」


 斥候から帰ってきた潘了の報告により、何行白軍が南進したことを知った劉六は、そのことを結十に報告した。


 「ほう。まさに劉六殿が言ったとおりになりましたな」


 少洪覇軍と何行白軍が正面からぶつかり、千山軍が後背に進出する気配を見せれば、何行白軍は南へと撤退する。そして果常という廃墟に拠るであろう。劉六はそこまで想定していた。実は千山軍は何行白軍の後背に出るどころか、すでに果常近郊に陣取っていた。


 「後学のために聞きたいのですが、どうして劉六殿は何行白軍が果常に撤退すると考えたのですか?」


 こういう説明をするのは正直煩わしかったが、結十にはそう思わせない不思議な魅力があった。


 「敵の立場になって考えただけです。私は何行白の人となりを知りませんが、救援を待たずして少洪覇殿と決戦を挑んだ者ですから、戦には相当の自信がある武人と推測しました。なので敵の後背を晒しても我武者羅に攻めることはしないと判断しました」


 「なるほど」


 結十は感心して、しきりに頷いていた。


 「そのような状況で近くに軍を休ませるのに打ってつけの場所が見つかればそこに移動する。何行白は武人としての定石を踏んだだけであり、私をその先を読んだだけです」


 「なるほど、見事なものだ。劉六殿の軍略は古今の名将でも及ばないだろう」


 結十は劉六のことを激賞してくれたが、劉六自身はそれほどのことはでないと思っていた。


 『戦などは数理と同じようなものだ』


 と考えていた。ひとつの数式に対してひとつの解しかないように、戦術も理論で詰めていくと、敵の動きも味方の動きもひとつしかなく、その結果も最終的にはひとつしかないというのが劉六の戦術であり、それが悉く的中するところがまさに劉六の天才性であった。


 「では、結十様。ご下命を」


 「うむ。全軍、果常を攻撃せよ。夜のこと故、味方の識別に気をつけよ」


 わずか三百名に過ぎない千山軍は、静かに果常に近づいていった。

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