泰平の階~42~
条国南部で費俊達が蠢動している頃、北部でもある動きが見られた。それは秘密に行われ、まだこの時点では小さな動きであったが、後のことを思えば非常に大きな出来事であった。斎治の嫡子である斎興が条国に帰還したのである。
斎治が哭島に流されてすぐに費俊は斎興に書状を出していた。その内容は少々過激であった。
『いずれ主上を哭島からお連れ申し上げるが、万が一、条公によって害されることがあれば、斎興様が斎公を継がれますように』
というものであった。界国にて留学していた斎興は書状を握りつぶさんばかりに興奮した。
「おのれ条高!畏れ多くも父なる主上を流刑にするとは!私自身が救出してみせる!」
すぐにでも馬を駆って出立しそうな勢いだったので周囲にいた家臣達は必死に斎興を諫めた。それからしばらく悶々とした日々を送っていた斎興であったが、次にきた費俊からの書状を見て、その鬱屈を一気に爆発させる時がきた。
「ついに費俊らが主上をお助けする時がきた。私はすぐに国に戻り、これを助けるべく活動を行う」
斎興は集まった家臣達を前に宣言した。斎興は貴人とは思えぬほど堂々たる体躯をしており、武芸にも秀でていた。それだけに彼を見上げる家臣達は言い様のない高揚感を抱き、どこまでも斎興に付き従うことを誓った。
斎興は十数人家臣達を連れて密かに条国国内に入り、潜伏した。当初、斎興はいきなり慶師に入り、探題長官である安平を暗殺して慶師を占拠しようと考えていたが、これは腹心である結十が反対した。
「主上も興様も大義によって立ち、条高を討とうとなさっているのです。暗殺のような姑息で卑怯な真似をせず、堂々と兵を挙げるべきです」
結十は斎興と同年代の若者である。堂々たる体躯をした斎興と異なり、結十は痩身であり、幼い頃から斎興の従者を務めていた。見た目通り武芸は得意ではなかったが、学識は深く、知恵者でもあった。
「では、どうすればいいのだ?」
斎興も結十の知恵を頼りにしていた。
「夷西藩の少洪覇を頼りにしましょう。彼は早々に反条公の兵を挙げ、一度は敗れても再起しました。その不屈な精神は、我らも拠り所と致しましょう」
「しかし、夷西藩は遠いな」
界国は条国の東側にある。夷西藩は西端にあり、辿り着くには条国を横断する必要があった。
「寧ろその方がよろしいでしょう。西端には反条公の勢力が多いので、公子がお見えになれば、一気に一大勢力となるでしょう。それに夷西藩の近くには千山があります。千山は尊軍を破ったことがあります故、力となりましょう」
「分かった。夷西藩を目指そう」
斎興は早々に決断した。ここで逡巡してわずかな時間でも浪費するのが惜しかった。家臣達にすぐに準備を命じると、斎興は二日も経たずして界国を出発していた。
条国に戻ってきた斎興は、そのまま真っすぐに夷西藩へ向かわなかった。
「慶師を見ておきたい」
と斎興が言い出したのである。結十をはじめとする家臣達は当然ながら反対した。
「それはあまりにも危険すぎます」
慶師にはすでに斎治はおらず、斎公に心を寄せる者もいない。いるのは探題の兵ばかりである。
「そうかもしれないが、いずれは我らが父上たる主上と戻る場所だ。しっかりと目に焼き付けておかないでどうするのだ」
こればかりは譲れないとばかりに斎興は強硬であった。こうなっては単身でも慶師に乗り込むであろう。
「分かりました。しかし、ここにいる者達全員で行けば目立ちます。私だけがお供いたしますので、他の者達は夷西藩に先行して公子をお迎えする準備を致します。それでよろしいですか?」
結十が斎興に確認するように言うと、斎興は頷くことで同意した。こうして斎興と結十は慶師に向かい、他の従者は一足先に夷西藩へと向かうことになった。
慶師に入る前に粗衣に着替えた二人は、商人に扮して無事に慶師の中に入ることができた。
「意外にあっさりと入ることができたな」
「主上がおらず、ご家臣の方々もいないとなると、警備する必要がないと思っているのでしょう」
二人は大胆にも斎慶宮に近づいた。その姿は斎興と結十が知る宮ではなかった。二人が慶師を出る頃にはすでに壁などは朽ち、中には盗賊が住み着いていたが、今の斎慶宮はそれ以上のひどさであった。
壁などはすでになく、建物は所々焼き落ちていた。もはや盗賊すら住むこともなく、狐狸の棲み処となっていた。斎興はその有様に思わず涙した。
「結十。見ておくのだ、この斎慶宮に姿を。これが斎国国主の棲み処なのだ」
「はい、しかっりと見ております」
「権勢とは栄枯盛衰だ。だから斎家が凋落したことと、条家が台頭したことについてはやむを得ないことだと思っている。権勢を誇っていても何かを誤るとこのような状態になってしまう。これは教訓としなければならない」
「勿論です。同時に栄倉宮もこうなる運命にあるかもしれないということです」
「そうだ。ここを蘇らせ、栄倉宮を廃墟とするのだ」
決意を新たにすることができただけでも来たかいがあった、と斎興は振り切るようにして斎慶宮に背を向けた。
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