泰平の階~41~

 和交政の屋敷に入ると、費俊は座敷の上座に通された。費俊はその扱いを固辞しようとしたが、和交政は頑として聞かなかった。


 「費俊様は我らにとって雲上人です。拝顔するのも畏れ多いぐらいです」


 費俊からするとなんともやりにくいことであった。それで和交政達の気が済むのであればと思い、費俊は彼らの好きにさせた。


 「主上をお助けしようとするのが我らの目的である。ひとまずは哭島近辺の状況を聞きたい」


 費俊が命じるように言うと、和交政の家臣が地図をもってきて目の前に広げた。


 「これが哭島近辺の地図です。船丘から哭島まで行けなくはないのですが、海流が激しいので安全な航路とはいえません。安全な航路を取るなら、やはり州口から船を出すしかありません」


 和交政が地図を指さしながら説明してくれた。確かに哭島に一番近い港は州口であった。


 「州口か。ここは羊氏の領土であろう」


 左様です、と和交政は言った。羊氏は条国南部で最大の勢力を誇る領主である。南部は条公に心を寄せる諸侯が多いが、その中でも羊氏は最たるものであった。


 「州口における和氏の影響力はどうなのだ?」


 「勿論、我らの船団がなければ、羊氏とて州口を治めることはできません。いわゆる共存関係です」


 「ふむ……」


 「単に主上を哭島からお迎えするのであれば、私の配下だけで十分にできるでありましょう。しかし、主上を匿い、天下に号令する拠点としていただくのであれば、私だけの力ではとてもできません」


 費俊も同様なことを考えていた。斎治を哭島から脱出させるのは、和交政達の力を借りれば、それほど難しくはないだろう。難しいのは、一時的に斎治を匿い、追手を遮るだけの拠点を得ることであった。


 「やはりご当主の力を借りねばならぬのではないか?」


 和氏の当主は和芳喜。その旗色については分からぬままであった。


 「父も兄も私の言動にいい顔をしておりません。だからと言って条公派かといえばそうでもないようで……」


 「要はどちらにもいい顔をしようとしているわけだな」


 お恥ずかしながら、と和交政は顔を赤くした。しかし、和氏が条公派ないというだけで費俊からすると大収穫であった。


 『寧ろ和交政をもって和氏全体を巻き込んでしまおう』


 和交政と共に斎治を助け、和芳喜の下に駆け込めばいいのだ。和芳喜の心情は別として、彼の子である和交政が斎治を助け、斎治の身柄が彼の足下にあるとなれば、羊氏は和氏全体が斎治に味方したと見るだろう。そうなれば和芳喜も覚悟を決めるしかないはずだ。


 「和交政よ。お前の忠心について一切の疑いを持っているわけではない。しかし、お前の行動ひとつで和氏そのものを破滅へと導くかもしれんのだ。その覚悟はあるのか?」


 「もとより覚悟はできております。我が壮挙が必ず歴史に名を遺すと信じております」


 和交政の覚悟のほどは理解できた。しかし、費俊と出会ったことで和交政が熱くなりすぎていると費俊には感じられた。


 『物事に熱中し、熱くなればなるほど周囲が見えなくなる。今の和交政はまさしくそれだ』


 まるで兄のようだ、と費俊は自戒を込めて自らの中に冷静さを作ろうとした。費俊は二度のしくじりを経験し、慎重に事態を見られるようになっていた。


 『だが、鉄は熱いうちに叩かねばなるまい。冷静に物事を見るのは私だけでいい』


 今は和交政の勢いを大事とすべきであろう。自分が冷静に手綱を握ればいい、とさらに自分に言い聞かせ、費俊は心を落ち着けていった。


 「では、早速に準備をしよう。しかし、問題となってくるのは、主上と事前に連絡を取り、準備をせねばなるまい」


 「それでございます。我らが単独で主上をお助けしようとしても信用してもらえません。そこで費俊様の書状を頂きましたら、私自らが哭島に潜伏し、準備を致します」


 「それもそうだ。よし」


 善は急げとばかりに費俊は筆と紙を要求した。和交政が自ら持ってくると、費俊は筆を取って書き始めた。和交政が信用を置ける人物であることと、近々哭島から脱出していただくという旨を書き記した。


 「これは主上にお渡しし、具体的な段取りは北定様と協議せよ」


 哭島で応変の才をもって脱出の手はずを整えることができるのは北定しかない。費俊は北定という人物のことがあまり好きではなかったが、この際頼れるのは彼しかいなかった。


 「承知しました。費俊様はいかがなさいますか?」


 「こちらで主上をお迎えする準備をする」


 その準備とは和芳喜と会って話をつけることであったが、それ以外にもやるべき仕事があった。今以上に条国を騒乱に導く最後の一手を打つためであった。

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