泰平の階~6~

 自分の屋敷を飛び出し、斎慶宮に向かおうとした費資であったが、近づくこともできなかった。


 『すべてがしくじったか!』


 費資は唇をかんだ。自分では完璧な計画であると思っていたのに、すべてが悪い方向に向かっていた。せめて斎治を連れ出し、潜伏して捲土重来を待つことを考えたが、それも果たせなくなってしまった。


 「やむを得んか……。主よ、しばらくご辛抱ください」


 費資は単独で慶師の脱出を決意した。流石に探題兵も斎治には手を出さないであろう。少なくとも二三年は籠の中の鳥として過ごしてもらわなければならないが、大事の前の艱難として耐えてもらうしかなかった。費資は斎慶宮に向かって一礼して走り出した。しかし、その数刻後、費資は探題兵に捕らわれたのである。




 探題の兵舎に引っ立てられた費資は拷問にかけられることはなかった。ただ薄暗い座敷牢に閉じ込められ、尋問されることもなかった。


 「問答無用で処罰するつもりか……」


 費資としてはどういう経緯で蜂起計画が露見したのか知りたかったし、尋問に現れた者を論破して味方に引き込んでやろうとも考えていた。しかし、数日過ぎても誰も姿を見せなかった。


 「誰ぞ姿を見せい!寸鉄帯びない私が恐ろしいか!」


 費資は虚空に向かって叫んだ。いつもであれば虚しく声が響くだけであったが、この日は違っていた。費資の叫びに反応するように闇の中から松明の灯りが浮かんできた。探題の長官安平か、それとも別の人物か。費資が身構えていると、彼にとって意外な人物が松明を持って現れた。


 「北定……殿」


 費資はこの一回りは年上であろう男のことがあまり好きではなかった。北定は費資が作り上げた計画に常に批判的であった。それは単に斎治の寵愛著しい費資に嫉妬してのことではなく、的確に費資の計画の弱点を突いていた。だから費資は激越な言葉で北定を罵倒し、理論ではなく感情論で北定を排斥したのである。


 「そうか……密事を暴露したのは貴方か」


 費資は悔しそうに唇をかんだ。


 「密事か……。確かに私が探題に訴え出た」


 「貴様!それでも斎公の臣か!恥を知れ!」


 費資はまたしても感情に任せて北定を罵った。しかし、北定は顔色一つ変えなかった。


 「しかし、私に密事を打ち上げたのは烏道殿だ。もはやその時点で密事が密事ではなくなったのだ。そのような計画が成功すると思っていたとするなら、あさはかというものだ」


 「烏道殿が……」


 費資の懸念は的中していた。悔しさのあまり拳を地面に叩きつけた。


 「くそっ!志を持たぬ者を味方にしようとしていたとは……」


 「志を語るのは結構。しかし、お前さんが作った計画はあまりにも粗漏。遠からず他の諸侯も裏切っていただろう。今回のことで主上のお命が危険にさらされた。恥を知るのはお前の方だ」


 費資は返す言葉もなかった。力が抜け、項垂れるしかなかった。


 「私が愚かだったのか……」


 「そうではない。自らの才能と感情に溺れて時節を待つということをしなかっただけだ。まぁ、それを愚かといえばそうなのかもしれないが……」


 北定が牢の鉄格子に近づいた。そして急に声を潜めた。


 「私とて斎公の臣だ。再び主上がこの国の頂点に立たれることを望んでいないわけではない」


 費資は顔をあげた。北定の真剣な顔がぼんやりと見えた。


 「費資。後は私に任せろ。きっとお前の素志を成就してみせる」


 「北定殿……」


 「お前は罪を一身に引き受けろ。それが主上をお救いし得る唯一の手段だ」


 費資は頷くしなかった。今の自分のできることは、罪を背負って死ぬだけだと決意するしかなかった。




 数日後、栄倉からの早馬が帰ってきて費資の処置が決まった。予想していたとおり、死罪となった。


 「死罪か」


 費資に感慨はなかった。ただ気になるのは斎治の処遇がどうなったかだけであった。そのことを死罪を告げに来た兵士に尋ねた。


 「お咎めはないようだ」


 「そうか……」


 それ以上の言葉はなかった。下手なことを言って斎治へ累が及ぶようことがあってはならなかった。


 刑の執行は翌日となった。結局、囚われてから費資は一言の抗弁を発すこともなく、その身を刑場に引き出された。刑場となったのは慶師の真ん中を流れる河川の河原。すでに竹で組まれた格子が張り巡らされた空間があり、後ろ手に縛られた費資はその中に入れられてた。


 「何か言い残すことはないか?」


 斬首用の剣を持つ執行人が訊いた。費資の目には執行人の姿など目に入っていなかった。費資が見ていたのは、遠目で執行を見物しようとしている民衆であった。


 「聞け!死にゆく我を見ている者達よ!」


 費資は叫んだ。


 「我に何の罪があったか!もともとこの国は斎公のもの。それをあるべき姿に戻そうとして何が悪いというのだ!」


 民衆がざわついた。費資の声が聞こえているようだ。


 「我はここで死ぬ!しかし、魂魄は生き続け、真の謀反人をたたり続けるだろう!」


 斬れ、という声が聞こえた。費資は構わず叫び続けた。


 「斎国万歳!」


 それが費資の最期の言葉となった。執行人の剣が振り下ろされ、費資の首は胴から離れた。

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