泰平の階~7~
費資への処刑が執行されたことは早馬にて栄倉にもたらされた。その報せは広く世間にも伝えられ、栄倉に住む多くの人々は、これで一連の騒動が一段落したと思っていた。
「果たしてそうだろうか」
栄倉の都大路を騎馬で進むこの若者は決して楽観していなかった。名は尊毅という。今はまだ条公に仕える多くの武人の一人でしかないが、後に条国はおろか中原全体に広がる戦乱を呼び起こすことになる男であった。
「兄上はそうは考えておられないのですか?戦になりますか?」
尊毅と馬を並べているのは女はやや興奮気味に訊ねた。名は尊夏燐。尊毅の妹である。兄の目から見ても男が放っておけないような美しい容姿をしていたが、戦をやらせれば兄よりも上手く、戦と聞けば居ても立っても居られない性分をしていた。
「あまりなって欲しくはないが、そうなるだろう」
尊夏燐に対して尊毅という男は、あまり戦を好まなかった。だからと言って戦が下手というわけではなく、将帥として兵の進退についてはそつなくこなしていた。
「世の乱れは著しいものです。翼国と静国との戦がひとまず落ち着いた今、武人の熱量が内側に向かうということも考えられます」
尊毅と尊夏燐の後ろからついてきている男がぼそぼそとした口調で言った。年の頃なら二人よりも上であるが、言葉遣いは丁重であった。
「それはどういうことだ?史直」
尊夏燐が振り向いた。史直と呼ばれた男の姓は項。尊家に仕えている家宰である。
「我ら武人は戦をすることで功名を立てて名誉と富を得ます。当然ながらその機会が無くなれば余所に求めるほかなく、内側に火種があればそちらに武人達が引き寄せられていくのは必定なのです」
項史直の解説に感心してしきりに頷く尊夏燐。尊毅も概ね同意であったが、妹ほどに好戦的にはなれなかった。
「殿、それよりも今は眼前の問題がございましょう」
項史直が言うまでもなく、尊毅には解決せねばならない問題があった。そのことを考えると尊毅は気鬱になりそうだった。
解決すべき問題とは領地問題である。尊毅が有する領地と隣接するように新莽という武人が領土を有していた。尊家と新家は嫁や婿のやり取りをするほど仲が良い時もあれば、武力闘争に及ぶほど仲が悪い時もあった。今は後者のほうであった。
両家がもめている原因は領地における水源であった。双方の領土には蛇行するように河川が流れており、田畑を耕すのに必要不可欠であった。潤沢に水が流れていた時分なら問題は起こらなかった。しかし、ここ最近は日照りが続き、水流が乏しくなっていた。そうなれば水の利用について揉めるのは必定であった。具体的にいえば、新莽側の領民が川を堰き止め、自分達の所に水を引き始めたのである。これに尊毅側の領民が怒ったのである。
『この河川の水源は我らの方にある。我らが自由に使うことに何ら問題があろう』
新莽側の領民はそう主張し、尊毅側の領民は、
『何を言うか!河川の大半はこちらに流れている。使用する権利は我らにある!』
と主張し、お互い譲らなかった。この領民同士の諍いが尊家と新家の争いとなり、小規模ながら戦闘も行われた。双方に死者がでる事態となり、栄倉にも知られる羽目となった。
『尊家も新家も条公にとっては大切な武人。争ってはならぬ』
というお達しが条公の名前で寄せられ、和解するべく栄倉に呼ばれたのである。
「何が争ってはならぬだよ。仕掛けてきたのはあっちじゃないか。徹底的にやってやればいいんだよ」
尊夏燐は不機嫌そのものだった。彼女は常々自らが兵を指揮して新莽の領地に攻め込みたいと言っていた。
「そうもいかん。全面的な戦になれば、我々も無事では済まないし、条公の名前を出されたら従うほかにない」
尊毅としても新莽と和解するのは腹立たしい。しかし、個人的な感情から大きな争いになることを望まなかったし、何よりも条公の肝煎りでの和解となれば無視できなかった。
「左様です。我らは条国の武人ですから」
項史直はぼそぼそと言った。
「はん。私達だって元を辿れば条家じゃないか」
尊夏燐が言うように、尊家の家系図を過去に辿ると条家へと繋がる。条国では名家とされていた。
「それを言うなら、新家だ」
新莽の新家も条家から分かれた名家であった。だからこそ条公は和解させたいのだ。
「しかし、主上はどのようにしてこの問題を捌くのでしょうか?畏れながら、主上に双方が納得するような和解案を提示できると思えないのですが」
項史直は容赦なかった。ひとつ間違えれば不敬に問われなかったが、そのようなことを気にしないのが項史直という男であった。
「さてな。主上にお聞きするしかないな」
尊毅は投げやりに答えた。
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