泰平の階~5~

 条国の国都である栄倉。四方を山に囲まれており、そこに至る道は北側に七つの道があるだけであった。本来であれば交通の便が悪く、繁栄するはずもない場所であったが、初代条公がここを国都と定めたがために、条国きっての大都市となっていた。


 栄倉へと続く七本ののうち、一本は早馬用の道となっていて一般の通行が禁止されている。その早馬用の坂道を一騎の騎馬が駆け下っていった。


 慶師からの早馬は、坂道を駆ける勢いそのままに栄倉に入り、そのまま条公の宮殿―栄倉宮に駆け込んでいった。




 時の条公―条高は、廊下に紙を広げて庭先に植えられている花木の絵を描いていた。世間的に暗愚とされている条高であったが、芸術の面では秀でるものがあった。舞を舞わせれば見事なものがあり、笛を吹かせれば当代一の楽団に入っても遜色がないと言われていた。特に絵画については一番得意としており、彼の描いた絵画は後世になって高値で売買されるほどであった。


 「主上!主上!」


 慌ただしい声が遠方から聞こえた。しかし、条高は筆を止めず、すっと一本の線を引いた。


 「主上!慶師からの早馬です」


 慶師からの書状をもって条高の傍に着座した男こそ円洞。条家の家宰であり、実質的に条国の実権を握っている人物であった。


 「早馬?」


 条高は円洞を見ない。その代わり、じっと庭の花木を見つめていた。


 「はい。安平からです。斎公の側近である費資、費俊が主上への謀反を企てたので捕縛したとのことです」


 「ふむ……」


 条高はようやく筆を止めて顔をあげた。謀反と聞いても驚くことなかった。円洞は書状に書かれていた内容を読み上げた。


 「費資は捕らえましたが、弟の費俊はまだ捕まっておりません。斎公の身柄は確保しているようです」


 「安平が言うには、斎公は加担していないようだな」


 「そのようですが、おそらくはかばっているのでしょう。如何致しましょうか?」


 無論、謀反に対する処罰についてである。


 「円洞はどうすればいいと思うか?」


 「主上に謀反を企てた者は須らく死刑です」


 「費資とやらはそうなるであろうな。慶師にて首を刎ね、栄倉に送らせよ」


 「はっ。で、斎公についてはどうされますか?」


 この判断は実に難しかった。過去の条公はいかなることがあっても斎公の命には手をかけなかった。しかし、あの英邁で野心的な斎公は生きていれば今後も同じ企てをするのではないだろうかと円洞には思えた。


 「英牙の赤を知っておるか?」


 「は?」


 条高の脈絡のない言葉に円洞は頓狂な声をあげた。


 「昔いた絵描きだ。彼が使う赤色は鮮明で素晴らしいと評判であったが、人の血を使っていたと言われている」


 そのような絵描きがいたことも円洞は知らなかった。彼はその道に疎かった。


 「一片の花弁だけならば美しいが、満開の花が血で描かれた赤だとすれば不気味でしかない。そう思わぬか?」


 「はぁ……」


 曖昧な相槌を打ったが、そのような絵は想像もできなかった。


 「余はそのような絵は好まぬ」


 その言葉で円洞はようやく合点がいった。要するに過度な流血を好まない。斎公の処分を見送れということである。


 『率直にそう言えばよいのに……』


 円洞は心の中で毒づいた。博識をひけらかすようにして婉曲に言うところが条高はにあった。


 「では、丞相にはそのようにお伝えします」


 「ふむ……」


 条高は再び筆を動かした。もはや円洞の存在など忘れたかのように眼前の花木に集中していた。




 円洞はその足で丞相府に向かった。丞相を務めるのは条守全。条家の一族であった。円洞が面会を申し次ぐと、条守全はすぐに会ってくれた。


 「斎公の謀反のことは私も聞いております。それで主上のご意思は?」


 条守全は円洞に対して非常に丁重であった。身分的なことでいえば、円洞は国主一族の家宰であり、丞相の条守全よりはるかに下である。しかし、事実上、今の条国の実権を握っているのは円洞である。そのことから円洞に対して多くの人が丁重になるのだが、条守全は決して円洞の権力に阿っているわけではなかった。彼は誰に対しても非常に丁重で、腰が低かった。


 「首謀者である費兄弟のみを罰し、斎公には手を出すなということでした」


 円洞も条守全に一目置いていた。やや不遜なところがある円洞であっても、彼の下座に座ることについては抵抗がなかった。


 「ご賢明な判断です」


 条守全はため息をついた。条守全の政治指針は決して無用な流血を求めなかった。その点は条高と一致していた。


 「それではすぐに安平殿に返書を認めましょう。それと慶師の治安維持のためにも少しばかりの兵力を送った方がよいでしょう」


 条高の判断を知ると、条守全はすぐに動いた。その行動力と判断力は大国の丞相に相応しいものであった。


 『この男と誼を結んでおいて損はない』


 円洞は条守全という男を見て本気でそう思っていた。実は条守全は次期国主候補と目されている。条高の嫡子がまだ幼少であるため、条高に万が一のことがあれば国主は条守全の他にいないとされていた。円洞が条守全と良好な関係を築こうとしているのもそのためであった。


 「それでは私は主上にそのことを申し上げてきます」


 「よしなに」


 円洞と条守全はそれぞれの役割を果たすために立ち上がった。

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