寂寞の海~43~

 鑑京の留守を任された松顔は、章海が出撃してからしばらくして驚くべき情報を得た。章友が生存しており、鑑京近郊の邑で蜂起したというのである。


 「馬鹿な!それは南部でのことではないのか!」


 それがために章海は出撃したのではないか。誤報であろうと思った松顔はさらに調べされると、章友の生存が本当かどうかは別として、何者かが武装蜂起したのは確かであった。


 『討伐すべきかどうか……』


 松顔は判断に悩んだ。蜂起したのは千名にも満たないという。松顔の手元には三千名ほどの守備兵がある。数の上では負けることはないだろうし、これを鎮圧できれば松顔の手柄ともなる。しかし、徒に兵を損じれば、丞相としての瑕疵ともなろう。ただでさえ章海と不和であるのに、ここで兵を損失させるようなことがあれば、章海から攻められ今の地位から失脚してしまうかもしれない。


 「ここはしっかりと鑑京の防備を固めるべきではないですか?」


 松顔に進言したのは銀芳であった。章海の蜂起時から軍事を担っている武人であるが、大した出世ができずにいた。


 「そうだな……」


 松顔は同意するふりをして、実は銀芳の意見など聞くつもりはなかった。圧倒的寡兵であったとはいえ、黒原で敗北した男である。その軍事的見識に信用を持てるはずがなかった。それでも同意するふりをしたのは、責任を分散させるためであった。ともかくも松顔は周辺の兵力を鑑京に入れ、門扉を固く閉ざした。




 数日後、鑑京の門前に軍勢が姿を見せた。敵が来たか、と報告を受けた松顔が鑑京外壁の見張り台に上がった。夜ということもあってわずかに遠くに松明の群れが見えるだけであった。


 「斥候を出して様子を見てこい」


 松顔はそう命令したが、斥候が飛び出すよりも先に新しい報告が届けられた。


 『我らは禁軍の先遣隊である。敗走した敵を追って北上したが逃げられてしまった。とりあえず夜を明かしたので、門を開けてほしい』


 現れた軍勢から部隊長らしき男が出てきて、そう申し出たのだと言う。


 「なるほど、鑑京周辺に現れたという賊は、南部で敗走した敵のことだったのか」


 得心した松顔は、疑うということを知らなかった。それでも夜間であることなので、用心して門扉を開かず、門前での待機を命じると、すぐさま部隊長から猛烈な抗議があった。


 「我らは敵と戦い、疲弊してここまで来たのだ!そんな同胞を休ませないとはどういう了見か!このことはすぐさま主上に申し上げる!」


 『一兵卒のくせに主上の威を笠に着おって……』


 松顔は内心舌打ちした。しかし、本当に章海に言上されてはあとあと厄介なので、しぶしぶ開門を命じた。


 城門が開き、外で待機していた軍勢が待ちかねたとばかりに押し寄せてきた。複雑な心境で彼らを見張り台から眺めていると、どうにも様子がおかしかった。


 『あやつら本当に禁軍か……』


 一部の将校らしき武人は、ちゃんと禁軍将校の正規の鎧を着ている。しかし、それ以外はどうにも装備がみすぼらしい。松顔も丞相とはいえ、規模の大きい禁軍の全容を知っているわけではないが、それにしても出撃時に見送った時とは随分と様相が変わっている。途中で挑発した兵士も交じっているのだろうか。


 松顔はもしや、と思った瞬間であった。軍勢が突如声を張り上げ、矢を射かけてきたのだ。


 「やはり敵か!押し返せ!」


 松顔は全身にどっと汗が流れるのが分かった。何者か分からぬが、完全に敵に欺かれた。


 松顔自信、弓を取り、敵に射掛けて必死に応戦した。鑑京の残留軍は、なんとか城壁付近で敵を押し返すことに成功したが、松顔からすると大失態であった。


 『あの敵は何者なのだ……。まさか奴らこそが南部にいた反乱軍か?』


 まんまとしてやられ、怒りの収まらぬ松顔は、捉えた敵捕虜を徹底的に尋問し、正体を探らせた。捕虜のほとんどは、この近辺を住処にしていた盗賊であると自白した。そのことについて調査させると、どうやら間違いではないらしい。しかし、部隊長達一部将校らしき武人が着ていたのは間違いなく禁軍将校の鎧であり、何よりも盗賊如きがあのような知恵を使えるはずもなかった。


 「やはりどこかの部隊が反乱に与しているのか、あるいは……」


 章海が自分を亡きものにしようとして罠にはめようとしたのではないか。そのようなことも考えられないでもなかったが、松顔は首を振って不吉な予測を打ち消した。


 「またこのようなことがあっては堪らん」


 松顔は再度城門を閉ざすように命じた。そして味方を名乗る部隊が近づいてきても迂闊に城門を開けないように厳命した。

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