孤龍の碑~51~

 義王朝五四八年六月一日。龍国と極国による和平条約が調印される日となった。調印式の場所は炎城よりやや南に行った野外で行われることになった。ちょうどその場所から東西に線を引くとそこが国境線になるためであった。その場所に到着すると、すでに呉忠がいた。彼は青籍の姿を認めると、よぉ、と手を上げた。まるで旧知の友に会ったような態度であった。


 「よい日柄となりました」


 青籍は呉忠の隣に立ち、天を仰いだ。透き通るような青空が広がっていた。


 「そうだな。これから良き時代が始まるのだ。天も祝福してくれないとな」


 呉忠も首を上に向け、眩しそうにに目を細めた。そうしてしばらく二人が無言で空を眺めていると、翼公がお見えです、という声が聞こえた。


 「今回の立役者をお迎えしよう」


 呉忠に声をかけられ、二人は翼公を迎えに出た。翼公は今回も軍を率い連れていたが前回よりも圧倒的に少ない。しかし、軍勢の中には『翼』の軍旗だけではなく『泉』の軍旗も見えた。


 「ひょっとして泉公も来たのか?」


 呉忠は確認するように青籍を見た。勿論、青籍も知らされていないことなので、ただただ驚いた。泉公の軍は翼公の軍よりも人数は少ない。おそらくは百に満たない程度であろうが、その軍容は威風堂々としており、翼公の軍に見劣りしていなかった。


 「やれやれ老人は人を驚かすのが好きらしい。それとも自らのお気に入りを我らに紹介したいのかな?」


 呉忠は冗談のように言ったが、間違っていはいないだろう。だが、それだけではあるまい。自分だけではなく泉公も立ち合わせることで、調印に重みを持たせ、和平をおいそれと破られないようにしているのだろう。


 『翼公は本気で覇者となる道を目指しているのかもしれない』


 それならば青籍は翼公を支持するであろう。翼公にはそれだけの徳があるように思えた。


 やがて軍勢が停止し、二乗の馬車が動き出した。青籍と呉忠の前で止まると、一乗の馬車からは翼公が、もう一乗の馬車からは若い―おそらくは青籍や呉忠よりも若い―男が降りてきた。


 「あれが泉公か……」


 もはや少年といってもいいかもしれない。だが、端正な顔つきと落ち着き払った挙動は、やはり国主としての風格があった。


 『彼も苦労として国主となったわけか』


 自分などよりも遥かに風格があると青籍は思った。翼公が苦労することだ、という意味が分かったような気がした。


 「出迎えご苦労。もう気づいておるかもしれんが、こちらは泉公だ。折角の歴史的な和平の調印式だからな。重みを持たせようと思って誘ったのだ」


 「泉公、樹弘です。お見知りおきを」


 泉公は丁重であったが、やはりその振る舞いには青籍にはない風格があった。


 四人の国主は連れ立って天幕の中に入った。すでに調印すべき文書は作成されていて、印璽を押すだけであった。まずは青籍と呉忠が印璽を押した文書を交換して、互いに空欄に印璽を押した。さらにその文書が翼公、そして泉公にも渡され、それぞれ印璽を押した。調印式としては以上であるが、青籍にはまだやることがあった。


 「神器を」


 青籍は神器である飛龍の槍を持ってこさせた。これからやることは、龍国人員の一部しか知らない。呉忠達は訝しげに青籍の動きを見ていたが、見守ろうという意識があるのか何も言わなかった。


 青籍が神器を手にすると、青白く光り始めた。周囲からは感嘆の声があがった。ほとんどの者が始めて見る光景であろう。呉忠も声を上げて、少年のように目を輝かせていた。


 「この神器は龍国の国主たる証だという。それならば私は、この槍を両国の長きに渡る和平への第一歩とした碑にしたい」


 青籍は切っ先を上に向けると、飛龍の槍を深く地中に突きつけた。槍の柄はかなり地中深くに突き刺さった。


 「ふむ。見事な心構えだ。まさしく真主に相応しい。泉公、神器は持ってきておるな」


 「はい」


 泉公は腰に差していた剣を引き抜いた。翼公は従者に弓を持った来させた。


 「泉国の神器『泉姫の剣』と翼国の神器『破天の弓』か……。七国の神器のうち三つが揃うか……」


 呉忠は明らかに興奮していた。青籍も同じ気分であった。


 「天に誓おう。翼は未来永劫、この碑に込められた和平の願いを保障しよう」


 「天に誓おう。泉は未来永劫、この碑に込められた和平の願いを保障しよう」


 翼公と泉公がそれぞれの神器を飛龍の槍と接触させた。彼らの神器も眩く発光し、三つの神器が神々しく瞬いた。


 「歴史的な光景です。私は国主としてのこの場に立てたことを誇りに思います。翼公と泉公、そして龍公に感謝を申し上げよう」


 「私もです。我らだけではなく、子や孫、さらにその先の代の国民達にもこの光景を語り継がせ、和平を守っていきたいです」


 呉忠、青籍がそれぞれ謝辞を述べた。


 「龍公、極公。私はあなた方が羨ましい」


 泉公が澄んだ瞳で両者を見た。


 「私はご存知のとおり伯国を併合した。しかし、私はその意図が無く、寧ろ伯公と友誼を結んで両者が存立する道を模索したが、結果として伯公が亡くなり、伯国を併合することを余儀なくされました。私はそれを未だに悔いています。だから、互いに存立する道を選んだあなた方が本当に羨ましいのです。どうか両国の平和が長く続くよう尽力してください」


 なるほど、と青籍は思った。遠方の泉公がわざわざやってきたのはこのことを言いたかったのだろう。青籍は泉公の率直さと誠実さに感嘆する思いであった。


 「勿論、この碑にかけても」


 青籍は明言した。その隣で呉忠が力強く頷いた。


 およそ三十年続いた龍国と極国の戦乱は、こうして幕を閉じた。

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