孤龍の碑〜50〜

 龍国と極国による講和会議は炎城で行われることになった。極国側が魏靖朗が全権となり、龍国では青籍自身が行うことになった。これは突如として国主となった青籍に政治的参謀がいないからであった。軍事であるならば趙奏允や袁干に全幅の信頼を置けるのだが、政治的に彼らの相当する人物を見出せないまま現在に至ったのでやむ得ないことであった。


 双方とも講和を結ぶ点では一致していたので会議は終始和やかに進められた。いくつかの点については即座に同意できたが、以下の二点についてはなかなか妥結できなかった。


 まず一点は両国の国境をどこにするかである。魏靖朗は極国が最終的に占領した龍頭以南を極国の領土として主張し、青籍は双方がもっとも長い間対峙し続けた炎城より三舎南を国境線にすべきだと反論した。


 もうひとつは人民の所属である。国境線を定めた段階で人民に任意に選ばせるのか、それとも国境線の区分けに従って固定させるか。魏靖朗は前者に拘り、青籍は後者を主張した。両者の主張は平行線を辿り、妥協点が見出せるないでいた。


 それでも青籍も魏靖朗も一方的に己の主張を強固に振りかざすだけではなく、なんとか妥結しようとして意見を百出させる建設的な会議が続けられた。


 実はこの会議には翼国の重臣も見届け人として出席していた。名は羽敏といった。翼公からすれば胡旦と並ぶ側近中の側近であり、なんとしてもこの講和をまとめたいという翼国の意気込みが表れていた。その羽敏は会議の光景について、


 『双方が誠に人民について思っての議論は素晴らしかった。私は生きてきたなかでこれほど神々しい光景を数えるほどしか見たことがない。間違いなく歴史に残る会議であった』


 と後に翼公に語った。




 会議が始まり三日目。この日も龍国と極国の間で熱い議論が交わされ、気がつけば昼になっていた。会議の場がそのまま昼食の卓となるのもこれで三日目だった。当初は両国の間で会話を交わすこともなかったが、今では軽く雑談をするようになっていた。


 「それにしても不思議なものです」


 魏靖朗が手にしていた匙を卓に置いてしみじみとした口調で話し出した。


 「私はかつては龍国の民でした。その時は奴隷にも等しい身分でしたが、今はこうして一国の宰相として国主と対話している。あの頃は、そのようなことを思ってもいませんでした」


 単なる立身出世自慢ではないだろう。魏靖朗がそのような人物ではないことは、三日間の付き合いの中で分かっていた。


 「しかし、こうも考えるのです。あの時の国主が青籍様であったのなら、きっと極国は生まれなかったのだろうと」


 褒められてはいるのだろう。極国という国を作り、運営してきた魏靖朗にそう言われて青籍は悪い気はしなかった。


 「評価していただいてありがたいが、私は永らく武人として人生を歩んできた。国主として政治ができるかどうか、不安である」


 「ほほ。私や譜天の半分も生きていない方が、そのように言うとただ長く生きてきた我らとしては立つ瀬がありませんな」


 「そういうつもりでは……」


 「いや、失礼。皮肉を言っているのではないのです。国家というのは一日にして成り立つものではありません。我ら極国も三十年かけてようやく国家の形が出来始めた頃です。龍国は長い歴史を持ちますが、青籍様の龍国はまだできたばかり。焦られる必要はありますまい」


 敵に励まされていることになるのだろうか。青籍は妙な気分になってきた。


 『私の龍国か……』


 戦が終われば新たに国づくりをせねばならない。青籍の仕事はあるいはこれからかもしれなかった。但しその国づくりは独りではできない。龍悠や趙奏允、袁干、あるいは新しい人材を必要とするであろうし、時として極国の協力も仰がねばならないだろう。


 『私一人が不名誉にまみれても、現世あるいは後世の民衆が幸せであれば、私はその汚辱に耐えるべきなのだろう』


 それが国主なのだと青籍は思った。それならば青籍がすべきことはひとつ。この会議を早々に終わらせることであった。


 その日、講和内容が大筋で妥結された。懸案となっていた両国の国境線は炎城以南となり、住民の所属についても国境線より三舎の距離にある住民のみ選択肢を与えるという形となった。龍国と極国、双方が主張を後退させて妥協した賜物であった。




 講和会議は一応終了した。後は翼公が臨席しての調印式を残すのみとなった。それまではしばらく時間があるので青籍は龍頭へと帰還した。青籍にしてみれば、決して勝利とはいえない凱旋であった。しかし、龍頭の民衆は長い戦争を終わらせた英雄として青籍を歓迎した。


 『私はそれほどのことをしたわけではない……』


 青籍は多少の恥ずかしさを感じながらも、民衆の歓呼の声に応えた。宮殿に入ると百官と龍悠が迎えてくれた。国主となってからわずかしか宮殿にいられなかった青籍からすると、帰ってきたという実感はあまりなかった。


 その晩、青籍は趙奏允と袁干を招き、ささやかながら夕食を共にしてこれまでの労をねぎらった。


 「炎城にいる馬征には悪いが、ま、若い連中にはまたこういう機会があるからよしとしますか」


 趙奏允はこの場にいない馬征のことを気遣ったが、帰り際に深刻な表情でこう告げた。


 「主上、儂は講和が正式に締結されれば、軍を辞めようと思っています」


 青籍は驚きつつも、どこかでそういうのではないかという予感もあった。一度は現役から身を引いた老将は、敵のとの和平が実現すれば用がないと考えるのは自然なことかもしれなかった。


 「そう仰らないでください。私はまだ将軍から教えていただかなければならないことがたくさんあります」


 青籍の言葉に趙奏允は首を振った。


 「少なくとも儂が生きている限りはもう戦は起こりますまい。それに儂が主上に教えることなんてありません。若いながら馬征はやりおるし、軍政は袁干に任せておけば遺漏ないでしょう」


 儂はもう役に立たんよ、とやや寂しげに趙奏允は言った。


 「それに女房孝行せんとな。これまで散々迷惑かけたから、そのぐらいの時間はもらってもよろしいでしょう」


 「分かりました。後は私達にお任せして、ゆっくりとお休みください」


 青籍は笑顔で趙奏允を見送ることができた。この五年後、趙奏允は眠るようにして亡くなった。その時青籍は趙奏允の生前の功績を高く評価して、大将軍の称号と『わが師』という最大級の賛辞をもってして送った。

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