孤龍の碑~49~

 「まぁ、そんな緊張するな。お前は新参者かもしれんが、国主と言う立場はお互い同じだ。茶でも飲んで喉を潤したまえ」


 円卓に座る翼公が椀に入った茶を薦めた。まさか毒は入っていまいと思った矢先、もう一人円卓に座る極公が上手そうに茶を啜っていた。


 「翼公、和平の仲介とはどういうことですか?」


 「そのままの意味だ。お互いこれ以上争っても益はあるまい。幸いにして話が分かる国主同士になったのだから、話し合いでも始めてみればどうかということだ」


 「お心遣いはありがたいのですが、どうして翼公自ら……」


 「頼まれたのだよ、その男に」


 翼公が指差した先には、極公の後ろで佇立している譜天の姿があった。先ほどから何故譜天がそこにいるのか不思議に思っていたのだが、そういう理由があるとは意外であった。同時に天才的な戦略家であると共に先を見据えて和平に動いていた譜天の見識と、それを許した呉忠の懐の深さに青籍は言葉を失った。


 『私の負けだ……』


 戦術的には戦争の決着はついていない。しかし、国家の戦略として、国主の器として、青籍は敗北を認めざるを得なかった。極国側に話し合いへの意思がある以上、青籍が蹴るわけにはいかなかった。蹴れば和平への道筋を乱したのは青籍になってしまう。青籍は応じるしかなかった。



 青籍が講和への意思を示したことで講和会議を実施することになった。先に龍頭を陥落させられた時は龍国が敗者だったので極国の講和内容を一方的に受け入れるしかなかったが、今度の場合は戦術的な決着はついていないため、双方で話し合わねばならなかった。


 その会議に向けての協議が始まった。場所と日程、参加する人員人数などを決めるわけであるが、事務的な内容であるため青籍は袁干に任せることにした。協議は一刻ほど続いたが、未決事項が多数あったため小休止となった。青籍は用を足すため天幕の外に出た。野営の陣なので厠などない。青籍は一兵卒のように人目の無い場所を探し、そこで用を足すことにした。少しすると青籍の隣に人影が立った。


 「はは。行儀のいいことではないが、外で用を足すと気持ちがいいものだな」


 それは翼公であった。供を連れている様子も無く、青籍と同じように裾をたくし上げ用を足していた。


 「翼公……」


 「驚くなよ。余も人間だ。用ぐらいはする」


 二人は用を足し終えると、近くを流れていた小さな川で手を洗った。


 「少し座れ」


 手を洗い終えた翼公はその場にどかっと座り込んだ。青籍も腰を下ろした。


 「悔しいかな?極公と度量の差を見せ付けられて」


 翼公は明敏であった。青籍の懊悩を的確に洞察していた。


 「悔しいというよりも打ちのめされたという感じです。私は極公だけではなく譜天にも遠く及ばない」


 「ふむ、譜天な。あの男こそ政戦両略の天才というものだ。余の部下に欲しいところだ」


 そのとおりであろう、と青籍は思った。少なくともこの半島で譜天に敵うものはいないであろう。


 「しかし、奴の恐ろしいところは、それだけの才がありながら呉延が亡くなった時に国主の座を奪わなかったことだ。自らの役割を心得ている。そして、それを知りながら譜天に対して絶対的な信頼を置いている呉忠という男も侮れん」


 「やはり私などが適わぬ相手ではなかったということです」


 「ふむ。自らの敗北を認める潔さはよしとすべきだな。上に立つ者として得がたい謙虚さだ。新しき龍公よ、苦労をすることだ。苦労をすれば、お前も良き国主となれる」


 「苦労ですか……」


 「そうだ。苦労を知らぬ者はその道を避けて逃げ出す。龍信とやらがまさにそうだ。しかし、苦労を知る者は道の先に輝かしい光が待っていると分かれば、いかなる艱難辛苦を突破してでもその道を進もうとする。先代極公と譜天は奴隷に等しい身分から身を起こした。呉忠は生まれながらにして極公となることを約束されいる身分でありながら、決して驕ることなく国主となった。見たであろう、極公のあの格好。庶民が着る平服と同じではないか」


 正直、青籍はそこまで見ていなかった。やはり翼公は人を見る目が違っていた。


 「余も苦労をしてきた。余は二十年間、諸国を放浪して国主となった。その間の苦労は今も忘れんし、だからこそ今の余があると思っている」


 これでは自分が良き国主と言っているようなものだな、と翼公は笑った。


 「泉公もそうだ。あれは泉家の血を引いているが、そのことを知らされず極貧の中で育った。だからこそ民情を知り、常に弱者と寄り添おうとしている。あれはなかなか大したものだ」


 青籍が翼公をしてそこまで言わせる泉公という人物に興味を持った。一度会えるのならぜひとも会ってみたいと思った。


 「余自身、自分が名君なのか、それとも暗君なのか、考えたこともないし、どうでもよいと思っている。我が国の民衆が余を支持してくれればそれでよい。我らは後世の歴史家のために政をしているわけではないのだからな」


 だから精々励め、と翼公は肩を叩いた。青籍の心は幾分か軽くなった。



 龍国と極国、双方が講和に向けて話し合うことに同意し、会議の詳細も決まったので翼公はその日のうちに軍を引いた。あとは両国が話し合いで妥結するかどうかであった。

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