孤龍の碑~48~

 翌日、龍国軍は猛攻に晒された。炎城へ向かった部隊が帰ってこず、さらに兵数が少なくなった龍国軍は、じりじりと戦線の後退を余儀なくされた。それでもなんとか持ちこたえられたのは青籍と趙奏允の指揮が卓越していたからであった。


 「いつまで持つか……」


 青籍は前線で兵を叱咤し、自らも剣を抜いて戦うこともあった。それは全軍の崩壊を薄氷の上で支えているようなものであり、いつ敗走せねばならないかという危機感が青籍の脳裏に去来していた。その色合いは日が経つにつれ濃くなっていった。


 開戦から三日目、炎城へ奇襲に向かった敵部隊をなんとか阻止できたという報せを受けて、愁眉を開いた青籍であったが、迎撃部隊がほぼ壊滅状態にあり、主戦に参加させることがほぼ不可能であった。


 苦戦の状況である龍国軍であるが、起死回生の方法がないわけではなかった。本陣の青籍の傍らに立てかけられている飛龍の槍である。古来、飛龍の槍は真主が握って一振りすると、飛龍が天から舞い降り、大軍をひと飲みしたという。青籍はそのことを完全に信じているわけではなかったが、自分がこの槍を握って先陣に立って振りかざせば、奇跡が起こるのではないかと想像するもあった。


 『だが、使うわけにはいかない……』


 そのような戦い方が果たして真主として相応しいのではないかという思いもあった。卑怯、というわけではないが、相手が持たざる人ならざる力を行使して得る勝利に何の意味があるのか。青籍はそう考える度に、飛龍の槍に触ることを躊躇った。


 『これは碑に過ぎない……』


 もし負けたのならこの槍を自分の墓標にすればいい。腹をすえなおした青籍が前線に出ようと天幕を出ると、袁干が険しい顔つきで近づいてきた。


 「凶報か?」


 「いえ、敵軍の攻勢が止みました。それに北より大軍が近づいているとの情報も……」


 「北から大軍?」


 それなら凶報じゃないか、と思った青籍であるが、敵軍なら南から来るはずであり、味方に大軍と呼ばれる余剰戦力がないことは青籍が重々承知していた。


 「どういうことだ?敵が攻撃をやめたというのも解せない」


 青籍はすぐに前線で指揮を取っていた趙奏允を呼んで意見を求めた。


 「さて、儂にもさっぱり分からんですな。確かに優勢な敵が引いたので妙だと思っていたところだったんですが……」


 困惑するのは趙奏允も動揺であった。兎に角青籍は斥候を放って北から来る大軍の正体を知ろうとした。そして夕刻にはその正体が判明した。


 「翼公の軍だと?」


 青籍は息を飲んだ。翼公が何をしに来たと言うのだ。


 「まさか我らと極の戦争に介入して、諸共に倒してしまおうという魂胆でしょうか?」


 馬征が口にした懸念は、誰しもが考え得る一般的なものであろう。しかし、世に聞く翼公の人格を考えれば、そのような短絡的な真似はしないであろうとも思えた。


 「儂は翼公という人物をそれほど知らぬが、先の泉国に真主が立った時に力添えをしたと聞く。そのような気宇のある人物が単なる侵略を働くとは思えませんな」


 「趙将軍の言うとおりだ。翼公は覇者を目指しているという。侠気は見せても卑怯な行為はしないであろう」


 しばらく様子を見るべきだと思っていると、その翼公から使者がやって来た。使者は翼公直筆の書状を持っており、龍国と極国の和平のための仲介をする用意があると書かれていた。


 「和平の仲介……」


 青籍は内心ほっとした。正直、これ以上戦うのは難しいと思っていた矢先である。


 「翼公の陣に来い、とのことです。いかがなさいますか?」


 袁干が尋ねてきた。無論、青籍の答えは決まっていた。 


 「行こう。これを逃せば、きっと我らはずっと戦争をせねばならないかもしれない」




 青籍は袁干よ僅かばかりの供回りを連れて翼公の陣営を訪れた。翼国軍は大軍といってよかった。陣の大きさを見ただけでも二万近い兵士数を引き連れているだろうか。休戦状態にあるとはいえ条国と緊張関係にある翼国がこれほどの兵力を動員できることに青籍は驚かされた。


 『国力の差とは恐ろしいものだな……』


 国力の差もそうだが、翼国と大きな利害の無い二国間の争い仲介のためにこれだけの大軍を繰り出した翼公の人物として大きさを青籍は感じずにはいられなかった。


 「私など遠く及ばぬ所にいるお方なのだろう」


 靡いている翼国軍の軍旗も大きく見えた。


 「よう、青将軍。じゃなかった、もう龍公と呼ぶべきかな?」


 軍旗に見蕩れていると、背後から声をかけられた。先ほどまで戦場で相対していた極公―呉忠であった。青籍は少し眉間に皺を寄せた。


 「そんな怖い顔をするな。今は休戦状態にあるんだ。それに私も流石にこの大軍を前にしては畏れ入るしかないよ」


 近くで呉忠が生唾を飲み込むような音が聞こえた。しばらく両者は無言で歩んでいると、ひときわ大きな天幕が見えてきた。その前に老人が一人立っていた。


 「よく来られたましたな。龍公、そして極公」


 その人物こそが紛れもなく翼公であった。

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