孤龍の碑~42~

 霊鳴に派遣した青籍討伐部隊がその任務遂行を放棄した頃、龍頭では閣僚達が頭をつき合わせて来るべき極国との戦争について協議していた。彼らが導き出した結論は、


 『とても勝てない』


 というものであった。先の講和によって龍国が保持できる軍事力は千名程度である。対して極国はおそらくは万単位の動員が可能であろう。まともにやって戦えるはずもなかった。


 だが、唯一一人強気な人物がいた。龍信である。彼は閣僚達がどうして懊悩として弱気になっているのか理解しかねている様子であった。


 「何を悩むことがある。たとえ寡兵であっても大軍を討ち破ることができる。それは極がやってきたことなのだから、我らにもできぬはずがない」


 龍信はそう喚いたが、極国がそれを成しえたのは譜天という戦術の天才がいたからであり、今の龍国には譜天に匹敵する将がいない、と閣僚の誰しもが思った。


 『そもそも誰が今の龍国軍を指揮するのか……』


 閣僚の筆頭、丞相の馬求は苦々しく思っていた。牙玉の戦いでは有能な将を数多く失い、しかも青籍は軍を去り、これを亡き者にしようとしている。龍信がこのような態度では、青籍と心を共にしている趙奏允や袁干は動かないだろう。


 「主上、畏れながら我が軍には大軍を動かせる指揮官がおりません。いかなる戦術をもって極と戦うおつもりですか?」


 「余自身が軍を率いてもよい。そうだ。そうすれば、各地で極に対して反抗心をもっている民衆も勇気を持って立ち上がるだろう」


 そうだそうに違いないと、龍信は自らを奮い立たせるように言った。馬求は暗澹たる思いでため息をついた。


 『一層の事、印にでも亡命するか……。それとも……』


 馬求には一発逆転の秘策があった。それは条国と結ぶことであった。海を隔てているとはいえ、極国にとって条国は喉元に突き刺さる短刀である。甘い条件をちらつかせれば、極国を攻める姿勢ぐらいは見せるであろう。馬求は自分の思いついた秘策にほくそ笑んだが、奇しくもその秘策が譜天によって見抜かれているとは想像もしていなかった。


 「ならば主上、自らご出陣くださいませ」


 戦場に立って死にたければ死ねばいい。そうなれば自分が条国の支援のもとで国主になればいい。馬求は本気でそう思うようになっていた。




 現在、炎城を守るのは烏慶であった。彼は呉忠からの命令を受けると速やかに軍を編制して開奉へと向かった。


 「宇徳の敵は俺が討つ!」


 烏慶は自らの意思を公言して憚らなかった。功績を競う間柄ではあったが、同郷であり呉延達と共に極国を興した仲間ということもあったので、戦友の死を最も悼んでいたのは烏慶であった。烏慶は開奉で赤犀に会うと後方支援を頼み、自らは龍頭へ軍を進めた。


 開奉から龍頭までは山塊の間を進む狭隘な道になっていて、それを塞ぐように鱗背関が建てられていた。先に戦いでは譜天による奇襲作戦が成功したため鱗背関の門が閉じられることなく突破することができたが、今回は流石に閉じられていた。


 「賢明な判断だな。しかし、自らを守るのがこの門扉しかないというのは不幸な話だ」


 今の龍信に石宇徳が如き武人がいるだろうか。そう思うと、この門扉を破るのも容易いように烏慶には思えた。




 自ら軍を率いると意気込んでいた龍信であったが、烏慶が鱗背関に到達した頃はまだ龍頭にいた。兵を召集しても集まってきたのはわずか二百名程度であった。


 「これはどういうことだ!千はいるのではなかったか!」


 龍信は嚇怒した。彼は国主である自分が一声発すれば千、いや万の兵が集まってくると信じて疑っていなかった。国主というのはそういうものではないのか、と天に向かって吠えたかった。


 「明日までに千名は集めろ!龍頭にいる女子供老人でも構わん!」


 絶対だぞ、と吐き捨て龍信は宮殿に去っていった。残された将兵達は困惑するしかなかった。龍信の命令を実行することなどできるはずもなく、彼らの中で厭戦気分が拡大していった。あるいは龍信が更なる暴言を吐くことによって、将兵達が暴発する恐れすらあった。


 しかし、ここでも龍信は予想外の行動に出た。翌日、龍信が将兵達の前に現れることはなかった。それどころか龍頭から姿を消していたのだった。




 龍信はわずかばかりの供回りと寵姫をつれて龍頭から逃げ出していた。陸路、翼国に亡命するつもりでいた。


 『あんな屑どもで戦ができるか!翼公から兵を借りる』


 龍国と翼国の関係は、敵対関係にあるわけでもなければ、友好関係にあるわけでもなかった。隣国として最低限の礼節を失わない程度の付き合いであり、そういう関係が百年近く続いていた。


 現在の翼国にとっての最大の敵は条国である。そのため条国と離れている龍国に戦略的な意義を見出すことができないので、翼公も龍国との関係をそれほど重視していなかった。そのような環境下で翼公が龍信の亡命を認めて兵を貸すのは不透明であったが、龍信はそうなることを信じて疑っていなかった。


 「俺が龍公だぞ!」


 道中、龍信は何度も叫んだ。しかし、叫んでみたところで翼国が近づくわけではなく、旅が楽になるわけでもなかった。宮殿から持ち出した金も次第に尽きていき、供をするものも一人また一人と減っていった。唯一連れてきた寵姫も龍信から、


 『その体で金を稼いで来い!』


 と言われた翌日に姿を消しており、ついには付き従う者は二人となっていた。


 「く、食い物を持って来い……」


 擦り切れてぼろぼろの衣服に身にまとった龍信は、木陰に腰を下ろすと従者の一人に命じた。命じられた従者は頷いて見せたものの、夕暮れになっても帰ってこなかった。


 「主上、お立ちください。閨を探しませんと……」


 最後に残った従者が声をかけると、龍信はかっと目を見開くと、


 「きやぁぁぁぁぁ!」


 龍信は奇声を発すると、手元にあった小枝を広い口に含み始めた。


 「主上!そのようなものを口にされると」


 従者が慌てて龍信から小枝を取り上げようとすると、龍信は口から大量の血を吐き、ばたんと倒れてしまった。わずかに痙攣した後、力尽きて動かなくなった。


 しばらく呆然としていた残された従者は、せめて葬ってもらおうと近くの集落を捜し、一日かかって集落を見つけて龍信のもとに戻ってきてみると、龍信の死骸は無残にも獣に食い荒らされていた。

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