孤龍の碑~41~

 極国が人臣一致して龍国と対決しようとしている最中、戦いを仕掛けてきた方である龍国には完全に危機感が欠如していた。本来であるならば将軍として招かねばならぬ青籍に対して殺害せんがための兵を派遣したのである。


 このことは龍頭周辺で潜んでいる袁干によってすぐさま青籍に元に知らされた。勿論、青籍を殺さんとしている部隊よりも先んじてである。


 「なんてことでしょう!父を殺しただけではなく、国家に功績のあるあなたまで亡き者にしようだなんて!」


 青籍以上に龍悠が憤りを顕にした。彼女からすれば父も殺され、夫たる人も殺されようとしているのだから怒るのも無理もなかった。


 「もはや龍信は我が兄でもなければ、龍国の国主たる資格もありません」


 龍悠が熱くなればなるほど青籍は冷静になっていったが、龍信が国主の資格がないというのは首肯できた。


 龍信という人物は後世の歴史家も首をひねるほど国主として不適格であり、人格として破綻していた。こういう人物が龍国の後継者であったことが龍国という国家の不幸であり、当然ながら国主としての生命も長くはなかった。


 「あなた、今すぐここを出て袁干と合流しましょう。そして龍信を討つのです」


 龍悠の発言は過激であった。青籍としてはそこまでのことはしたくなかった。後世の歴史家は、仮にここで青籍が龍信を討つ行動をとっても非難はしないであろう。だが、青籍はやはり弑逆になることを恐れた。


 『私が躊躇えば、悠が国主になるとか言いそうだな……』


 それも青籍の本意ではなかった。


 「ここは一旦身を隠そう。極も動くであろうから、迂闊に動くのは危険だ」


 「しかし、私達がいなくなれば、霊鳴の人達に迷惑がかかります。私達を匿っているとして、兄ならば火を放つぐらいはするでしょう」


 龍悠はどこまででも過激であった。そう言われると確かにそうであると納得してしまうほど、今の龍信は危険であった。


 「ならば私達を殺そうとしている連中をどう撃退する?人数も分からないのに……」


 「私に任せてください。私もたまには役に立たせてください」


 龍悠は自信ありげに笑った。




 青籍を亡き者にするために編制された部隊が霊鳴に到着したのは、袁干からの書状が届いてから五日後のことであった。この部隊は表向きには、青籍の不忠を問責する使節、となっているが、殺害するための部隊であることは間違いなかった。


 部隊長は銅来。彼は龍信直々に声をかけられ、青籍の殺害を命じられていた。しかし、銅来を含め、部隊の意気はまったくあがらなかった。国家に大功があり、しかも極国軍と対等に渡り合える唯一の人物である青籍を殺しても龍国にとっては何の益もなく、むしろ有害でしかない。それが誰しもが考えることであった。


 『主上は個人的感情のために国家を行く末を誤ろうとしている」


 銅来のような一介の兵士でもそう思わざるを得なかった。しかし、銅来も含め、龍玄の命令に逆らえば一族郎党皆殺しにされるだろう。それを恐れるからこそ銅来は霊鳴へ向かったのである。


 意気の上がらぬ銅来達を霊鳴の門前で待っていたのは龍悠であった。彼女は門前に腰をかけ腕を組んでじっと待っていた。それはまるで戦場に挑む将軍のようであった。


 「ひ、姫様…・・・」


 ただでさえ意気の上がらない銅来達は、さらに気がそがれてしまった。


 「私を未だに姫であると思うのなら、頭が高いですよ」


 龍悠は穏やかに、それでいて威厳に満ちた声で言った。銅来達は龍悠の気に押されて跪いた。


 『主上からは邪魔であるならば姫様も害して良いとは言われているが……』


 臣下である青籍に嫁したとはいえ、貴人である。銅来程度の身分のものにできるはずがなかった。


 「そなた達は兄の命令で我が夫を害しに来たのでしょう」


 龍悠は常に銅来の機先を制した。銅来としてはやり辛いことこの上なく、左様ですと答えるしかなかった。


 「同時にそれがどれほど愚かしいことかも知っている。そうですね?」


 「さ、左様です」


 「それならば導き出される答えはひとつではありませんか。今すぐ龍頭へ戻り、兄に愚かであると言うのです」


 「そ、そのようなこと、できるはずがありません。任務を遂行しなければ、私だけではなく、この者達も、そして家族も殺されてしまいます」


 銅来は完全に龍悠に乗せられていた。言うまでもない本音を口にしてしまった。龍悠は得心したように頷いた。


 「そうですか。そのような無道な兄に仕える必要もないでしょう。いかがですか?今からでも我が夫に仕えてみては?」


 銅来は、はっと顔を上げた。考えてもいなかった龍悠の提案に光明を見たような顔であった。


 「ですが、それではやはり家族が……」


 「心配無用です。私はこれでも元公族ですし、夫は龍国きっての知将です。あなた達にとって不利益なことにはならないことを誓います」


 龍悠は断言した。実はこの時、密使となった范尚が龍頭に赴き、袁干と青籍に心寄せる有力者達に銅来達家族に害が及ばぬよう工作を指示していた。


 銅来に率いられた兵士達はどよめいた。それならば嫌なまねをしなくて済むのではないか。誰しもがそう思い、集団としての意思が一気に龍悠の方に流れていった。


 「しばらくお待ちを」


 銅来はそう言うと、部下達を集めて何か語り合った。それほど時間がかからず、銅来が再び龍悠の前に跪いた。


 「姫様。これまでのご無礼、お許しくださいませ。やはり我らは龍国の兵。祖国が危機に瀕している時に、国家に害を与えるようなことはしたくありません。ぜひ我らを青籍将軍の配下にお加えください」


 銅来が慇懃に頭を下げると、彼らの部下達にもこれに続いた。


 「勿論です。これよりは青籍と共に祖国のために戦ってください」


 龍悠は幾分かほっとした表情を浮かべた。物陰で一部始終を見ていた青籍もほっと胸をなでおろした。もし銅来達が龍悠に襲い掛かった時には、霊鳴の若者達と一緒に銅来達と戦わねばなかないところであった。

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