孤龍の碑~40~

石宇徳の死は開奉にいる赤犀によって極沃にもたらされた。呉忠をはじめとした閣僚、将兵達の落胆は大きかった。すぐにでも龍国を討伐すべしという声があがった。そしてそれを後押しするかのように、彼らよりも極国国民の方が石宇徳の死を悼み、悲憤の声をあげた。


 『石将軍に仇を討つべし!』


 『龍国を討伐すべし!』


 そのために徴兵に応じる若者も増え、進んで食糧などを差し出す者も現れたほどであった。


 「私は良き将と良き国民を持った。これも先代と石将軍の徳というものだろう」


 呉忠としても龍国への再侵攻について異存はなかった。


 「左様でございます。我らは一度龍国に寛容を示しましたが二度目はありません」


 魏靖郎も石宇徳の死を除けば、こうなることは想定内であった。他の閣僚や将兵も同じ気持ちであろう。しかし、譜天一人が浮かぬ顔をしていた。


 「譜天には何か思うところがあるようだな」


 呉忠も譜天の顔色を明敏に感じ取っていた。


 「龍国を討つにはよろしいかと思います。しかし、そろそろ戦のやめ時を考えねばなりません」


 聞こう、と呉忠は即座に言った。


 「今後どのような形で勝敗が決着しようとも国土の荒廃は進みましょう。我らは国民の厚情をもって戦を進めておりますが、いずれ限界が参ります」


 魏靖郎は密かに、やはり譜天は天才であると思った。彼が精通しているのは戦場での駆け引きだけではなく、国家的な大局の視点からも物事を正確に見ることができた。


 「それに条の動きも気になります」


 譜天にそう言われた時は、魏靖郎は思わずあっと声をあげそうになった。極国から海を隔てて南方にある条国は、国土としては中原最大の面積を持ち、それでも国家的な本能として他国を侵略して領土を身長しようとしているのが条国であった。


 「条が我らと龍国を討ち、それを足がかりにして翼国に攻め入るということも考えられなくもありません」


 これは譜天らしい発想であり、実際に条公はそれに近い戦略を練っていたことが後に判明する。


 「なるほど。譜天一人が我らの見えざるものを見ていたか。それでどうすればいい?」


 「龍国と戦うのは勿論ですが、同時に翼公に和平の仲介を頼むべきです」


 和平。そのことが極国と龍国の間で成立するのが難しいことは、開戦の頃より戦っている譜天が一番よく知っていることであろう。それでもあえて和平と口にするのだから採算はあると考えているに違いない。


 『翼公に頼むとは考えたものだ』


 魏靖郎はそこに目をつけた譜天の政治的感覚に感心した。翼公は明らかに中原の覇者にならんと欲しているし、なによりも条国からの圧迫を受けているのは翼国である。条国にとって有利となり得る事態は翼公としても避けたいであろう。


 「ふむ。魏靖郎はどう思う?」


 「臣も譜将軍の意見に賛成でございます。しかし、翼公を説くにはそれなりの人物が必要でありましょう」


 この時魏靖郎は自分が行っても良いと思っていた。しかし、


 「主上、私が参りましょう」


 と譜天が言ったのである。


 「待て、譜天。龍国との戦争は継続させる。大将軍たるお前が戦線を離れてどうする」


 「今の状況では私がおらずとも我が軍が負けることはないでしょう。しかし、翼公を説くとなると私が魏丞相しかおりますまい。魏丞相は国政を担う者として極沃を離れるわけにはいかないでしょう」


 だから私が行くのです、と譜天は断じるように言った。


 「本当に私は良き臣下を持った。勝ちに乗じて我らの本願を忘れていたようだ。我が父と諸君達は民の窮状を救わんがために立ち上がり国家を建国することができた。そのことを忘れて民に無理を強いるのは君主のすべきことではない。私は譜将軍に任せようと思うが、丞相はどう思う?」


 呉忠は、現在の圧倒的有利な状況から得られるであろう勝利を捨ててまで民の生活を考えていた。君主としては実に得がたい資質であり、極国が仮国ながらも諸国から認められる存在になるのはまさにそのためであった。


 「臣も主上と同じように考えます。譜将軍ならば翼公を説くことができましょう」


 そのことは賛意を示した魏靖朗にも言えることであり、主君に恐れずに提言した譜天も同様であった。


 「しかし、和平を結ぶにしても再び龍国と一戦はせねばならん。ましてや国主を自称するようになった龍信は、一度父を拘禁しただけではなく、ついには殺してその地位を奪った。そのような不義の輩を放置しておくほど私は寛容ではない」


 「勿論であります。何もせずに果報を得られると思っている虫のいい連中には、それが泡沫であることを思い知らせねばなりません」


 譜天は力強く言葉を結んだ。

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