孤龍の碑~39~

 龍頭で発生した数々の凶報が袁干の部下によって霊鳴の青籍にもたらされたのは、その五日後であった。


 「馬鹿な……。主上が」


 青籍は絶句し、側で聞いていた龍悠は顔を覆ってわっと泣き出した。しかし、青籍の冷徹な部分では、いずれこうなるのではないかという予感があった。


 「それで袁干は無事なのか?」


 青籍は龍悠の肩にそっと手を乗せながら聞いた。


 「ご無事です。趙将軍と合流して青将軍のご命令を待っております」


 「そうか。袁干と趙将軍に伝えてくれ。しばらくは様子を見て欲しい。軽はずみなことはしないで欲しいと」


 青籍はよく言い聞かせて使者を返した。


 使者が帰った後、青籍は龍悠を胸に抱きながら彼女を慰めた。しばらくして落ち着いた龍悠であったが、頭は青籍の胸に預けたままであった。


 「私は軍から追われた時、主上や悠から援護されなかったことに対して恨みを抱いていた。悠の口からはそれが私を守るためのものであったと聞かされたが、主上からはついに本心を聞くことはできなかった」


 青籍からすれば、龍玄という君主はよく分からない人物であった。青籍に好意的であったのか、それとも否定的であったのか。そのことがついに分からぬまま、龍玄はこの世から去ってしまった。


 「私からしても父上は分からぬ人でした。そして兄も……」


 龍悠は苦しそうに言った。


 「兄は極に攻められた時に父上を拘禁してまで降ると言ったのです。その兄が今になって父上を亡き者して国主になろうとするなんて……」


 「龍信は単に国主となりたかっただけなんだろう。そしてそれを唆した連中がいる」


 唆したのは間違いなく馬求であろう。彼もまた龍国の政治に返り咲くにはこの方法しかないと考えたのだろう。


 「これから龍国はどうなるのでしょうか?」


 「分からないが、おそらくは再び極と戦争になる」


 それは間違いだろう。極国は今回の龍信の蜂起をもって龍国を攻める口実とするであろう。極国の重臣である石宇徳が戦死しているので尚更であった。


 「あなたはどうなさるつもりですか?」


 「決めかねているが、無視はできないだろう」


 それが青籍の立場というものであった。


 「龍信が私に復帰するように要請してきたら断るつもりだ。だからといって極が龍国を滅ぼそうとするのなら戦うつもりだ」


 要するに第三勢力を築くということであるが、はたして上手くいくであろうか。青籍は自分の前途に決して明るさを見ていなかった。




 父である龍玄を斬り、龍頭から極国軍を放逐して龍信は、国主となったことを宣言した。そして彼が国主として初めて行ったのは、石宇徳の首を晒すことであった。牙玉の戦いで散々な目に遭った相手に対する復讐であった。


 これに対して龍頭の住民の多くは顔をしかめた。石宇徳は敵国の将軍ながら龍頭の住民から人気があり慕われていた。猛将として知られている石宇徳であったが、戦場の外では非常に温和で住民達にも気さくに話しかけていた。また彼の下で行われた龍頭の占領政策も住民に対してはひどく寛容で、龍家の支配時代よりもよかったと言う者も少なくなかった。後に石宇徳の肖像画が厄除けとして龍頭を中心に流行するほどであり、逆に亡き石宇徳を貶めた龍信は名を落とすことになった。


 だが、そのような市井での状況に無関心な龍信は国主の座に収まり満悦していた。それまでの閣僚をすべて馘首し、馬求を丞相にして人臣の一新を行った。


 「閣僚官吏はこれで整いましたが、軍を如何なさいますか?」


 政治的組織の構築に目処がつくと、馬求は当然ながらのことを龍信に尋ねた。


 「青籍を呼べばいい。奴なら極ともやり合えるだろう」


 「それがいささか……」


 虫が良すぎる、という言葉を馬求は飲み込んだ。


 「過去の経緯からして青籍は我らの召集に応じないでありましょう」


 「それはおかしいぞ、丞相。青籍も龍国の臣であるのなら余の言に従うはずだ」


 そうであろう、と疑いもなく言う龍信について馬求は人として欠陥があるのではないかと思わざるを得なかった。


 『国主という立場を呪術の杖か何かと勘違いしておる』


 憎々しく思う馬求であったが、それを擁立せなばならないのが今の馬求であった。




 龍信から届けられた書状は非常に高圧的な文面で、青籍は怒るよりも呆れてしまった。


 「厚顔無恥の見本のようですわね。しかも書状を届けただけで出頭しろとは、開いた口が塞がりませんわ」


 寧ろ龍悠の方が怒りを露わにした。


 「勅使を寄越しても同じだよ」


 「当然です。無視いたしましょう」


 龍悠はそう言うが、流石にそれはできぬと青籍は思った。相手が礼節を欠いた行いをしたとしても、こちらも同じことをして済ますのは元武人としての矜持が許さなかった。青籍はすぐさま丁重な断りの書状を認めた。




 青籍が龍信送った書状の内容は、ひどく丁寧で臣下の主君に対する礼節を些かも欠くものではなかった。しかし、それが召集の断りの内容だと分かると龍信は書状を破り捨てた。


 「青籍め!許せん!国主である余を愚弄しておる!処刑だ!死刑だ!」


 龍信は子供のように喚き立てた。龍信の取り巻きから閣僚になった面々もこれには呆然としていた。


 「主上、お気持ちは分かりますが、ここは勅使を派遣され、再び召集をご下命ください」


 馬求は馬鹿馬鹿しく思いながらも、諌めることができるのが自分しかいないと思い声をあげた。しかし、龍信という君主はやはり人格的に欠陥があるとしか言いようがなかった。


 「うるさい!貴様らができぬと言うのなら余自ら近衞を率いて青籍を討伐してやる!」


 馬求ですらもう唖然として二の句が出なかった。この主君には本当の敵が青籍ではなく極国であるという当然すぎる事象が理解できていないのである。


 『こやつが私の息子であろうはずがない』


 それでも馬求はこの主君と運命を共にするしか道が残されていなかった。

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