孤龍の碑~43~

 龍信が逐電してから五日後、青籍は銅来達を引き連れて龍頭に入城した。龍信が逐電してから龍頭は無主の地となったが、袁干と趙奏允が素早く龍頭に入って治安の維持などに務めた。趙奏允は青籍と並んで民衆にも人気があり、宮殿の中でも人望もあったので宮殿の官吏や将兵、そして龍頭の住民は趙奏允の指示に素直に従った。


 青籍が龍頭に入ると、民衆達は熱狂的に迎えた。彼らが必要しているのは形式上の国主ではなく、生活を守り正義を実行してくれる英雄である。それには青籍がまさに打ってつけであった。


 そのような民衆の気分を察している青籍は、ひとまず龍悠を国主に添えるしかないと考えていた。勿論、青籍が国主となるわけにはいかない。だが、龍信が逃げ出した以上、国主は必要であり、今の龍国に国主となれるのは龍悠しかいなかった。ただ、このことついてはまだ龍悠には相談しておらず、宮殿に入ってから切り出そうと思っていた。彼女はそう切り出すときっと嫌がり、非常時だからと青籍が国主となることを薦めるであろう。青籍としてはそれを避けたかった。しかし、宮殿の前で待っていた袁干が手渡し物によって、青籍の運命は大きく変わることになる。


 「実は生前の主上……龍玄様から預かっていたものがあります」


 袁干は小さな木箱を差し出した。中には薄汚れた鍵が入っていた。


 「これは……」


 「龍玄様が言うには、飛龍の間の鍵だそうです」


 飛龍の間については青籍も知っていた。龍国の神器である飛龍の槍が鎮座している場所である。


 「これを悠に?」


 「いえ、青将軍に渡せと。それ以上は何も仰いませんでした」


 「私に……」


 どういうつもりだったのだろうか。最後に青籍のことを信頼して神器を守ってくれということなのだろうか。


 「ひとまず飛龍の間に参りましょう。父が何か残してくれているのかもしれません」


 龍悠が促して青籍達は宮殿地下の飛龍の間に向かった。


 飛龍の間は、龍信が龍玄を殺害した場所でもあった。龍信はそこを祓い清めることなく、扉を閉じてしまったと袁干は道中で説明した。


 「このことからでも龍信という人物は無道なのです。しかも国民を見捨てたとなれば、きっとよい死に方をしないでしょう」


 袁干は辛辣であった。青籍は一応の肉親である龍悠を気にしたが、龍悠の方がより辛辣であった。


 「あの男は国主である以前に人として失格なのです。同情の余地などありません」


 そういう龍悠には取り繕った気丈さが見えた。飛龍の間の扉が開かれ、龍玄のものと思われる血糊を見た瞬間に泣き崩れた龍悠を見て、こっちが本当の妻の姿なのだと思った。


 「悠、大丈夫か?」


 「だ、大丈夫です。恥ずかしいところを見せました」


 しばらく泣いた龍悠は、青籍に助け起こされた。


 「さて、龍玄様がどうしてこの鍵を青将軍に託したのか。龍悠様の夫なったからなのか、あるいは後事のすべてを将軍に託そうとしたのか」


 どちらなのでしょう、と袁干は青籍と龍悠、そして飛龍の槍をを見比べた。後は二人が決めることだと言わんばかりであった。


 「悠、やはりお前が触れてみるべきだ」


 「しかし、私は女です」


 「男女は関係ないだろう。印では女性の国主だ。槍が龍家の血を必要としているのなら、悠に反応するはずだ」


 やや躊躇いを見せた龍悠であったが、意を決したように槍の柄に触れた。しかし、槍にはなんの変化も無く、錆付いた長物はぴくりともしなかった。それでも必死になってやりを引き抜こうとする龍悠であったが、柄を握っている手がすべり体勢を崩した。


 「危ない!」


 青籍は龍悠を支えようとして右腕を伸ばした。その腕は龍悠の体を受け止めたが、同時に飛流の槍を掴んでしまった。その瞬間であった。飛龍の槍は白く発光し、表層を覆っていた錆がぼろぼろと落ちていった。


 「槍が……」


 龍悠は飛龍の槍から離れた。青籍は飛龍の槍を握ったままである。槍は明らかに青籍に反応していた。


 「槍が青将軍を所有者として認めたのだ」


 袁干に言われるまでもなく、客観的にはそれが事実であった。しかし、当事者である青籍は信じられなかった。


 「槍が私に……」


 『主よ。我を引き抜きたまえ』


 頭に響くような男の声がした。その声に反応するうようにして青籍は飛龍の槍を引き抜いた。槍は存外軽く、勢いあまって切っ先を天井にぶつけそうになるほどであった。


 「おお、まさに真主の誕生だ」


 袁干が声を上げると、控えていた将兵達が一斉に跪いた。立ち尽くしているのは青籍と龍悠だけであった。


 「ま、待ってくれ。これは何かの間違いだ。私は国主に相応しくない……」

 龍国の国主は龍家であるべきではないのか。青籍はそのことを口にしたが、龍悠は首を振った。


 「中原において真主となる資格は神器に認められるかどうか、その一点のみです。こうして神器が抜かれたということは、神器があなたを真主として認めたのです」


 「し、しかし……」


 「あなた、よき国家とは何でしょうか?それは人民に敬慕され、人民のために尽くす者が国主となることだと思います。それを判断するのが神器なのです。あなたの行いを天が知り地が知り、神器が真主に相応しいと判断したからこそ飛竜の槍は抜けたのです。それ以上のことが必要でしょうか?あなた以外の他の何人も国主にはなれません。あなたが国主とならなければ……」


 国が滅びます、と龍悠は言葉を締めくくった。


 「私が国主とならなければ、国は滅びる……」


 脅迫めいた言葉であったが、そのとおりであろうことは青籍も理解できた。国主のおらぬ国家がまとまりとして存続できるはずもなかった。


 『それが私に課せられた責務であるというのなら、受けねばなるまい。そうでなければ、死んでいった者達が浮かばれまい』


 青籍はぐっと飛龍の槍を握った。金属質とは思えない温かさが青籍の決意を促すようであった。



 翌日、青籍は自らが神器に認められたことを龍頭の住民に示し、国主に即位したことを宣言した。民衆は揃って万歳を唱え、新しい国主の誕生を心より祝った。

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