孤龍の碑~32~

 極国軍は約二十艘の船をもって開封に上陸した。兵数は約千名。開奉にはろくな守備兵もおらず、極国軍はあっさりと上陸を果たした。


 そもそも龍国は、半島国家でありながら、海上戦力という存在には非常に鈍感であった。極国が誕生する前までは龍国の仮想敵というのは地続きになった翼国しかなく、そのことが海上戦力への軽視という龍国軍の伝統を生んだことになる。極国軍はまさにそこを突いた形となった。


 開奉を占拠した極国軍を指揮するのは譜天であった。当然ながら、国主たる呉忠を囮のように使いながら、船団で一気に開奉を占拠するという一連の戦略を描いたのは譜天であった。譜天がこの作戦を明かした時、呉忠は手を打って笑い、譜天の戦略の見事さを讃えた。


 『流石は譜天よ。俺を囮に使うなど、龍国の奴らは想像もしないだろう。ましてや船団を使うとはな。面白い!やろう!』


 極国軍もそれほど大規模な海上戦力を持ち合わせていなかった。しかし、龍国軍も海上戦力が乏しい以上、海戦はあるまいと判断し、商人から商船を徴発して船団を整えたのであった。


 上陸した極国軍はろくな抵抗も受けず開奉を占拠。息つく暇もなく、龍頭を目指した。


 「急げ!炎城救援に出た戦力が引き返してくるまでに龍頭を落とす」


 譜天は開奉に守備兵を置かず、全軍をもって龍頭に進撃した。もはや国都近辺には防衛戦力がなく、鱗背関も門扉が閉ざされることさえもなかった。開奉占領からわずか二日。龍頭は極国軍によって包囲されてしまった。


 龍頭では驚天動地の事態となった。先に開奉を占領された時以上の衝撃が走り、特に宮殿での狂乱ぶりは後世の歴史家から醜態の極みと評されるほどであった。延臣達の意見も割れ、籠城を主張する者、炎城への援軍を呼び戻そうと言う者、寧ろ青籍に炎城を放棄させて救援に駆けつけさせるべきだと喚く者、収拾がつく状態ではなかった。


 その中で冷静な人物が一人いた。国主の龍玄であった。龍玄は鎧姿で泰然として国主の座についていた。


 「こうなれば降伏しかない!今すぐに降伏の使者を立てるのだ」


 朝堂で臆面もなく降伏を主張していたのは龍信であった。牙玉で味方を見捨てて逃げ出し、大敗の原因を作った龍信は、特に処分を下されることなく、自室に引きこもって美姫を侍らして酒宴を開き、うさを晴らしていた。しかし、極国軍が龍頭に迫っていると聞くと、何事もなかったように朝議に顔を出すようになった。彼の地位は左大将のままであり、同時に龍頭に残っている唯一の将軍であった。その龍信が降伏論を主張したので、延臣達は開いた口が塞がらなかった。


 「創世の七国の一つである我が国が仮国に敗れ、国号を失うなど言語道断!確かに兵力は少ないが、まだ近衛が百名はいるではないか!」


 延臣の一人がそう発言すると、龍信はすかさず反論した。


 「無益な戦いに民衆を巻き込むのか!」


 尤もらしい反論であるが、延臣達は唖然とし失笑した。龍信のこれまでの言動の中でどれほど民衆を気遣ってきたことがあったか。それを知るからこそ、延臣達には龍信の反論が詭弁であると思ったわけであった。


 「降伏はならぬ」


 龍玄がようやく口を開いた。窪んだ目には赫赫たる光が宿っていた。


 「父上!龍頭を戦火に巻き込むのですか?」


 「まだ青籍が戦っておる」


 おそらくは龍玄を除く誰しもが虚を突かれたであろう。かつて馬求と龍信によって排斥された青籍を見捨てた龍玄が、事ここに至って青籍のことを気にかける言葉を口にするのは意外に思われた。


 「父上は青籍の肩を持たれるか!」


 「青籍でなくとも同じだ。まだ戦っている将兵を無視して降伏する者など国主ではない」


 龍信の顔色に不快感が差し込んだ。それを龍玄は見逃さなかった。


 「信よ。国主は国と民衆の上に立つ者だ。国を失えば死しかない。敵に降るというのは即ち死だ」


 龍信は息を飲んだ。ここまで凄みのある父を彼は生まれて初めて見た。


 「国が滅んでも民衆は生きる。しかし、国主はそうもいかん。もし極に降るのならば少なくとも余と太子の命は必要ぞ。その覚悟がお前にはあるのか」


 龍信は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。延臣達の前で叱りつけられたことへの羞恥と、自分の意見が面罵されたことへの怒りが龍信の体を熱くさせていた。しかし、言い返すことができるほど龍信には才覚がなく、黙ったまま朝堂を去っていった。




 その晩であった。龍信は数十名の配下を連れて、国主龍玄の寝所に押し入った。そして龍玄を拘束すると、宮殿内でこう触れて回った。


 「国主龍玄は自己満足のために龍頭の民衆を戦いに巻き込もうとした。私としては民衆のためにこれを座視するわけにもいかず、やむを得ず国主を拘禁した。以後、国主に代わって私が摂政として政務を行う」


 口では尤もらしいことを言っていたが、要するに龍玄を人質にして国権を奪取したということである。延臣達も龍玄が人質に取られている以上、龍信に逆らうわけにもいかず、黙ってこれに従うしかなかった。


 このようにして龍国は極国に降伏。龍頭は開城され、譜天を先頭にして極国軍は入城した。入城に先立ち、譜天は全軍に布告した。


 「民衆の身体及び財産に手を出した者は何者であろうと死罪とする。この譜天に二言は無い。極国軍の将兵として矜持をもって行動しろ」


 極国軍の将兵は軍隊としてよく訓練されていた。規律に対して極めて厳格であり、龍頭に入っても乱暴をする者など一人もおらず、寧ろ龍頭の民衆に歓迎された。同時に龍国軍が敗北した理由を誰しもが思い知ることとなった。

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