孤龍の碑~28~

 義王朝五四六年五月。呉忠は自ら軍を率いて極沃を立って北上した。その数は一万五千。軍容は決して壮麗ではない。総大将の呉忠ですら薄汚れた傷だらけの鎧を身に着けていたが、将から兵卒に至るまで目には生気が宿り、行進にも力強さがあった。


 「総大将は呉忠、右軍は石宇徳、左軍は烏慶。まっすぐに北上してきています」


 炎城では青籍と趙奏允が袁干がまとめてきた情報を報告していた。


 「譜天はいないのか?」


 青籍の気がかりは譜天の存在であった。牙玉で大勝を得た以上、極国としてはこれが龍国に対して止めを刺す戦でなければならない。極国の国力を考えれば、これ以上の戦争は困難であるに違いない。それほど大切な一戦なのに、これまで極国を勝利に導いてきた譜天がいないというのは、どうにも腑に落ちなかった。


 「譜天は極沃での守備についているようです。まぁ、呉忠が国主となって初陣ですから、活躍を譲ったというところでしょうか」


 常識的に考えれば袁干の言うとおりであろう。しかし、相手は譜天である。些細なことでも策謀の臭いがしていた。


 「それに対して我が軍からの指示は何もなしか……」


 趙奏允は呆れた口調で言った。まだ完全に傷の癒えていない趙奏允であったが、事情が事情なので青籍は復帰をお願いしていた。


 「ありません。牙玉の大敗で多くの将兵を失いました。今我が国が動員できるのは精々二万といったところでしょうか」


 袁干の分析はほぼ正確であった。この時期、龍国が総動員できる兵員数は約二万。しかもその二万という兵士数は、牙玉の戦いから逃げ帰ってきた負傷兵や、予備役の老兵を含めてのことであり、若年者で構成された現役兵は八千名程度であった。


 「そのうち三千名は炎城にいる。今、本軍が極国軍と当たれば勝ち目はないな。青籍が総大将となれば別だが……」


 趙奏允はそう言ってくれたが、今の龍国の全軍を率いて極国と戦って勝てるか自信はなかった。


 『精々、炎城と龍頭に籠もって敵に二面作戦を強いて、その間に国力の回復を待つか。どちらかに敵の視線を集中させて、極沃を逆撃するしかない』


 どの作戦を取るにしても相当な困難が予想される。兵卒もそうであるが、それだけ困難な作戦を青籍の手足になって遂行できる将が趙奏允以外に見当たらなかった。鉄拐の死がますます悔やまれた。


 「まずは私が総大将となることはないだろう。しかし、龍頭ではこれといって有効な手段を打てないというのが実際のところだろう」


 「そうだろうな。どういう愚策であったとしても、早々に作戦を決めないと、一撃のもとにやられてしまう。どうだね、青籍。龍頭にいって馬共の尻を引っぱたいてやったらどうだ?」


 「やめておきましょう。それよりもこちらも準備をしておきましょう。どちらにしろ炎城は戦場になる」


 青籍の予想通り、炎城は戦場となるのだが、それが想像を超える事態になろうとは青籍も知る由も無かった。




 北上していた極国軍は抵抗を受けることなく龍国に侵入した。そこからの進路は一気に龍頭を目指すのか、あるいは二手に分けて一方は炎城にもう一方が龍頭にというのが常識的な戦略であった。しかし、極国軍は一部後方支援の部隊を残すだけで、ほぼ全軍をもって炎城に向かったのであった。


 「我らにとって最大の敵は青籍である。青籍さえ倒せば、自然と龍国は自壊する。従って青籍を全力を持って挑むものである」


 呉忠は青籍討伐に強い意思を示した。客観的に見て、呉忠が示した戦略は龍国の弱点を見事に突いていた。牙玉の戦いで大幅に戦力を損なった龍国にとって今後極国に対抗するには青籍の戦術に頼るしかなかった。極国からすれば、青籍に全軍を指揮されるわけにはいかず、その前に青籍を炎城に封じ込めようというのである。


 「大胆と言えばこれほど大胆な戦略はないだろう。全軍をもってここを囲むということは、我が国の本軍に後背を晒すことにも、極沃へ軍を進めることもできる。極国は、それほどのことをできる将が龍頭いないと判断したのだろう」


 炎城は最大の危機を迎えることになった。しかし、青籍からすれば願ってもない展開であった。ここで青籍が粘れば粘るほど、龍国の国力を回復させる時間を稼げるということであった。


 「問題は二つ。我らがどれほど粘ることができるかと、龍頭の連中が我らだけに困難を押し付けて安堵しないかです」


 袁干の指摘は尤もであった。炎城で徹底的に篭城できる自信はあるが、その間にも龍頭の連中に緊張状態を強いておかなければならない。


 「それに儂らへの援助を忘れさせないことだ」


 「超将軍の仰るとおりです。その点については姫様に期待するしかありません」


 青籍はすでに范尚を龍頭に派遣し、龍悠への手紙を託していた。

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