黄昏の泉~60~
翼公と相宗如の会談の事実を知った相史博は顔を真っ赤にして赫怒した。
「宗如の奴!翼公と結んで泉春を襲おうとしている!討伐してくれる!」
相史博は翼公がばらまいた風聞を間に受けた。自分で調べるようなことはせず、直情的に怒りを爆発させたのが相史博という男の才覚の限界であった。
「お待ちください、丞相」
意見したのは腹心の切恒であった。謀略を持って相淵を排除した切恒だけに、この風聞の裏に謀略が潜んでいることを見抜いていた。
「これは翼公もしくは反乱軍の陰謀でありましょう。相家の人間が争えばどちらかが利を得るだけで、我らには一切の利がありません。ここは謹んで問責の使者を送るべきです」
「愚かなことだ!そもそもこうもあっさりと翼公の侵略を許したこと自体、怪しむべきことだ!あやつは最初から翼公と結んで俺を排除しようとしていたのだ!」
なんという妄言、と切恒は思った。翼公と結んで相宗如に利があるとするならば、相史博が援軍を拒んだが故に活路を見出そうとしているに過ぎないのではないだろうか。そう思うからこそ切恒は、相史博の怒りがあまりにも幼稚に思えた。
「ともかくも、兵を出すのはお止めください。南方には反乱軍がおります。泉春に兵力がいないとなると奴らは大挙して泉春に押し寄せてきます」
切恒は当然のことを口にした。現在、相宗如軍を除いた相家が動員できる兵力で二面作戦は不可能に近い。
「ならば宗如を討った勢いそのままで南下して反乱軍を粉砕すればいい!そうであろう!」
そうであろうと言われても、相史博の言っていることは空想以外の何ものでもなかった。もはや切恒は諫言する気力を失った。
「そもそも蓮子のせいだ。あの無能が負けて犬死したからこのようなことになったのだ!」
責任転嫁も甚だしかった。これについても相蓮子に援軍を出さなかった相史博の責任ではないのか。そこまで言い掛けて切恒は言葉を飲み込んだ。
『私は誤ったのではないか……』
相淵を排除したことである。自分の主である相史博が丞相となり、嫡子としての地位を確立させたのだが、それが結果として相家の滅亡を招こうとしている。
『こうなれば相公にお出ましていただくしかないか……』
切恒の脳裏に浮かんだのは相房のことであった。相房は景政の乱以後、私室に篭りきりで表舞台に出ていなかった。朝から相房の私室には酒が運び込まれ、一日中美姫達の歌声が聞こえているという。相史博が独断で政治を行ってるのもそのためであった。相房が息子の相史博に全てを任せたのかどうかまでは切恒には分からないが、今の相史博を抑えるには相房の力を借りる以外になかった。
切恒はすぐに行動に起こそうとしたが、彼が誤ったのは他に人を誘ったことであった。自分と同じく永年相史博を補佐してきた他の臣下達と語らい、相房に面会しようとした。彼らは切恒に賛意を示したが、その舌の根も乾かぬうちにこのことを相史博に密告した。一人抜け出して出世した切恒を妬み、追い落とすために誣告したのであった。
「おのれ切恒!親父に俺の廃嫡を進言したやがった!」
相史博という男は、ある意味で素直であった。どうしてここまで他者からの進言を疑いなしに受けれ入れるのか。後世の歴史家達が揃って首をかしげるところであった。ともかくも切恒は刑場に引き出させ、一切の抗弁も許させず首を刎ねられた。
相史博は右大将となった湯瑛に三万の兵力を授け、相宗如の討伐に赴かせた。これは現在、相史博が動員できる最大の兵力であり、泉春は軍事的に空城同然となっていた。
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