黄昏の泉~33~
薄暗いらせん状の石段を下りていくと、弱々しい明かりが見えてきた。階段を下りきるとそこはひとつの部屋になっていて、ひとつの行灯に灯が点っていた。床には赤い絨毯が轢かれていて、寝具や机といったひととおりの調度品も揃っていた。軟禁されていると聞いていたから、もっと暗い石窟のような牢屋を想像していたのだが、かつての宰相として一応の礼節をもって遇されているらしかった。
ちょうど階段と寝具に男性が眠っていた。あれが景秀なのかと思っていると、景朱麗が駆け出した。
「父上!」
景朱麗は寝具の傍に腰を下ろし、景秀の体を揺すった。
「……朱麗?」
男―景秀は眠たげに目を擦ったが、娘の姿を見止めると、かっと目を見開いた。
「父上……お会いしとうございました」
景朱麗は上半身を起こした景秀の手を握り涙を流した。
「おお……私は夢を見ているのか……。こうしてまた娘に会える日が来るとは……」
景秀も涙を流し、愛しげに景朱麗の頬に触れた。
「皆様。お急ぎいただかないと……」
無宇が声を発すると、景秀は初めて樹弘と無宇の存在に気がついたようであった。
「この者達は……」
「私達に協力している者達です。さぁ父上、泉春を脱出します。お立ちください」
「うむ」
景秀が寝具から出ようとすると、樹弘と目があった。正確に言えば、樹弘が背負っている剣を見ているようだった。
「少年。その剣は?」
「母の形見です。鈍らなんですが……」
抜いてみせてくれるか、と言われたので、樹弘は背中からはずした。その時点で景秀ははっと目を見開き、樹弘が剣を鞘から抜くに及ぶと、突如寝具から這い出て、樹弘に対して手を突き頭を下げた。
「ち、父上……」
「朱麗!主の御前だぞ。拝礼しなさい」
景秀が鋭く叫んだ。景朱麗は目を白黒させた。
「父上。どうされたのですか?」
「その少年……いえ、主がお持ちの剣こそ泉国に伝わる神器、泉姫の剣。我らが主、そして泉国の真主の証ぞ」
景秀に言われ、樹弘は剣を持つ手が震えた。神器というのはもっと宝石などの装飾があり、煌びやかなものだと思っていた。しかし、樹弘が持っているのは装飾もない、何の変哲のないただの剣であった。
「信じられない……」
樹弘も景朱麗と同じ気持ちであった。景秀の言葉はすぐには信じられぬことであった。この剣が泉国の神器で自分が泉国の真主であるという。信じろと言うほうが無理であった。
「うむ……。主よ、剣を鞘に戻していただけないでしょうか?」
「は、はい」
素直に樹弘が剣を鞘に戻すと、抜いて見せなさい、と景秀が景朱麗に言った。景朱麗が訝しげに柄を握って剣を抜こうとしたが、ぴくりとも動かなかった。
「あ、あれ……」
「神器は真主しか抜けぬ。それこそ証拠よ。主よ、その剣を持つと、声が聞こえませんかな?」
「聞こえます。女性の声で、力が湧いてくると言うか……」
「ああ、それはまさに真主が神器を使われる証。尊いことです」
景秀が苦しそうに言った。苦しいのではない。涙を流していて言葉を詰まらせているのだった。
「樹弘が……私達の主……」
景朱麗はなおも信じられぬといった感じであった。
「皆様。ここでお話しても始まりません。ひとまず出ましょう」
終始冷静な無宇が促した。樹弘はやや救われた気がした。
「そ、そうです。まずはここを出ましょう。景秀様、動けますか?」
「主よ。私に敬称は不要でございます。秀とお呼びください」
どうにもやりにくかった。ここは無宇に仕切ってもらおうと目で訴えかけた。
「朱麗様、景秀様を背負ってくださいませ。私が先導しますので、主上は殿をお願いいたします」
樹弘は、主上というのが自分のことであることに気がつくのにしばらく時間を要した。樹弘は何か言おうと思ったが、お急ぎくださいという無宇に先に言われてしまった。
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