黄昏の泉~20~

 麦楊を脱出した樹弘達は南に向かった。相房に対する反乱は南部を中心に起こっている。相房の勢力圏から逃れるには、その反乱の渦の中に紛れるのが最適であった。


 「ひとまずは田氏を頼ろうと思いますが、どう思われますか?」


 甲元亀は行き先について景朱麗と相談していた。


 「田家ですか……」


 あまり気乗りしていないのか景朱麗は語尾を濁した。


 田家は泉国において有力な一族であった。景家とは比較的親密である一方、相房の下でも家を取り潰されず、以前と同じ規模の領地を拝領していた。そのようなことを田家について無知であった樹弘に景蒼葉が教えてくれた。


 「田家は相房から恩顧を受けています。我らを受け入れるでしょうか?」


 景朱麗はやはりそのことが気になっているようであった。


 「左様でありましょうが、ある程度力を持っている者でなければ、長く匿ってもらえぬでしょう」


 「それは分かっています」


 「匿ってもらうだけならば、他の者でもよろしいでしょう。しかし、この先のことを考えれば、供に行動を起こせる有力者は必要なのです。当主の田参は泉公の覚え目出度き忠臣で、景秀様も何かと目を掛けておられました。決してその恩顧を仇で返すことはないでしょう」


 「分かりました。私よりも元亀様の方が田参の人となりをご存知でありましょう。お任せします」


 最終的には景朱麗が折れた。




 田家が相房より与えられた食邑は古沃といい、近隣には小規模ながら複数の集落も有していた。田家の当主である田参は、甲元亀からの匿って欲しいとの書状が届けられると、長男である田員とその妹にあたる田碧を呼んだ。当主でありながら、やや優柔不断なところがあり、事あるごとに息子と娘に意見を求めていた。


 「父上、何を迷うことがありましょうや。景秀様より恩顧を受けた我らとしては、その恩をお返しするのは今でありましょう。それに家宰であった甲元亀様もかつて泉国の重鎮。これをお迎えせねば、泉国の臣として恥となりましょう」


 嫡子である田員は書状を読むなり即答した。


 「兄上のいうとおりです。私も速やかに皆様をお迎えし、来るべき時を待つべきです」


 田参の第二子で長女である田碧は、その知性と博識は父と兄を凌駕するといわれている才人であった。田員は、


 『田碧が男であったら、俺は喜んで嫡男の座を譲っただろう』


 と周囲に憚らず吹聴するほどであった。


 「うむ……。私も景秀様のご恩を忘れたわけではない。しかし、相公にもご恩はある。それに、ここは相蓮子様の目がちかい」


 古沃の近くに、相房の第三子である相蓮子が軍を率いてい常駐している。田家の監視ではなく、敵対している伯国への牽制の為であるが、何事かあればその軍勢をこちらに向けられる危険性はあった。


 「父上のお気持ちは察します。私も相公のご恩を感じないわけではありません。なれど、眼前の小魚を得るがために、後に得られる大魚の利を逃がしてはなりません。相公の世は長くありません。それは各地で起こっている乱を見れば明らかです」


 こういう時、弁が立つのは田碧であった。彼女が父を言い負かしたことは、これまで数多くあった。


 「うむ……。そうであるな。景家の皆様をお迎えしよう。田員、お前が裁量せよ」


 田参は意を決したように息子に命じた。田員は上辺では畏まったが、疑わしげな表情を改めなかった。


 田員は田碧と供に、甲元亀達を迎える準備をした。ひとまずは田家が所有している空き家を使ってもらうことにした。そして二人は馬を走らせ、こちらに向かっている甲元亀達を捜した。その道中、田員は妹に耳打ちをした。


 「父上は口でこそああ言ったが、実はまだ迷っておられよう。油断するな。万が一、父上が相公に日和ることがあっても、我らは景家をお助けする」


 「勿論です。兄上」


 田員は才知においては田碧に劣るが、胆力については田員の方があった。大義の為なら父に背く覚悟はできていた。半日ほど馬を走らせた田兄妹は、甲元亀の一行と遭遇した。


 「甲様でいらっしゃいますね。田参の息子、田員でございます。そしてこちらは田碧。わが妹でございます」


 田員と田碧は馬から下り、深く叩頭した。


 「これはご足労であった。ささ、早く馬に乗り、案内を頼む。久しぶりにゆっくりと休みたいのでな」


 甲元亀が一行を代表するように言った。


 「左様でありましょう。しかし、油断はなさらないでください。私と妹は皆様をお守りするつもりでいますが、父は優柔不断です。何時、裏切るか分かりませんので」


 田員ははっきりと言った。こう言っておかなければ、父が裏切った時に自分達にも嫌疑が及ぶからであった。


 「心得ておるよ」


 甲元亀はやや残念そうに顔を顰めたが、田兄妹には頼もしさを感じていた。

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