後編
『島』に渡るにはこの橋しかない。
橋の手前と向こう側には交番があるが、どちらも硝子は割れるわ、赤色灯は風に吹かれているわ、壁にはスプレーペンキの四文字言葉が躍っているわと言う有様。
俺は彼女の肩を抱きしめ、
(これをセクハラというなかれ、一応料金の内なんだからな)
ゆっくりと橋を渡っていった。
橋を渡り切ったところにある交番にも、人っ子一人いやしない。
というより、街自体が不気味に静まり返っていて、街燈もほんのところどころついているだけだ。
正しくここは、
『東洋のサウス・ブロンクス』、
その呼び名がぴったりくる場所だ。
俺達二人が一歩『島』に踏み込んだその時、俺ははっきりと人の気配を感じた。
それも一人や二人じゃない。少なく見積もっても5人はいる。
俺は懐に手を入れ、ホルスターのボタンを外し、いつでも抜き打ちが出来るように身構えた。
『いいか、何が起こっても絶対に俺から離れるな。』小声で彼女に囁く。
流石に彼女も状況を察したんだろう。
黙って頷き、俺の左腕を握りしめた。
思った通り、奴らはそこらの路地、廃車同然で道に放置されてある車の陰から出てきた。
みんな手に手に物騒な武器を持っている。
さっきの白タクのあんちゃんが教えてくれた通り、これは『餓狼会』の連中だろう。
みんな革のジャンパーに革のパンツというナリで統一しているが、顔立ちはあきらかに日本人そのものばかりだ。
柄と思しき部分に白いビニールテープを巻いた鉄パイプを持った背の高い痩せた男が、俺達二人を睨みつけながら、
『どこいくんや。あんちゃん?』と、聞いてきた。
『あっち』俺は前方を指さして答える。
『何の用や?』
『ちょっと人に会いたくてね』
『あんちゃん、名前は?』
『名乗るほどの名前は持っちゃいないよ。それにあんたらに名乗る理由もなかろう』
すると、隣にいた手に鎖を持ったデブ男が、
『ここをどこや思てんねん?ここはわいらのシマや。よそもんが立ち入れる場所ちゃうんやで?!』
既に周りはすっかり囲まれてしまっている。
『おい、やったれ!』痩せ男が声を張り上げる。
怒号を挙げて4~5人が一斉に襲い掛かってきた。
俺は拳銃を抜き、鎖を振り上げたデブ男の肩を撃ち抜いた。
奴はがくっと膝を折り、地面に倒れる。
構うことはない。
俺は立て続けに残り六発を連射した。
残りは痩せ男一人・・・・だが、そう思ったのは俺の目算違いだった。
銃声を聞いて、あちこちからぞろぞろと、新手の御到着と相成った。
だが、こんな時、慌てても仕方ない。
俺は余裕のあるところを見せ、弾丸を詰め替える。
2ダースほどの鋭い目つきが俺と彼女を囲んだ。
すると、
『なんだよ!うるせぇぞ!』
頭の上から声が降ってきた。
全員の目線が集中する。
直ぐ上のビルの窓から、髭面の男が顔を覗かせていた。
『あ、せんせぇ・・・・』
その顔を見て、痩せ男が声を上げた。
ふと見ると、窓の横には、薄汚れた文字で、
『診療所』という看板があった。
髭男は窓を閉める。
暫く経って、ビルの横の階段を下りてくる足音が聞こえた。
ぼさぼさの髪、顔の半分を覆っている無精ひげ。
『先生・・・・あんた、医者の滝川京介さんかね?』
『それがどうした?』向こうは胡散臭そうな表情で俺を見る。
俺は何も言わず、拳銃をしまい、懐からライセンスとバッジを取り出してみせた。
『探偵か・・・・乾宗十郎・・・・俺に何の用だ?』
『用があるのは俺じゃない。彼女だ』
俺は隣で震えていた鮎川加奈を前に押し出し、手短に用件を説明した。
滝川先生は無精ひげをしごきながら、彼女の顔を眺めていたが、
『ま、とにかくけが人の治療が先だ。皆で早く中に入れろ!』
否応なしに全員にそう命じた。
彼は流石に名医だった。
たった一人で6人の銃創の手当てを、ほんの30分もかからずにやってのけた。
『さて、次はあんただ。背中を見せろ!』
これまた無駄がない。
彼女はその言葉に従って服を脱ぎ、背中の観音様をこちらに向けた。
ためつすがめつ、彼は絵を調べ、
『大丈夫、なんてことはない。消せるよ。ただし、金はかかるがな。』
『わ、分かりました。直ぐには無理ですが、必ずお支払いします』
『ようし、話は決まった!』
それだけ言うと、後ろで立ち尽くしていた痩せ男とその一味に、
『お前らの中から、傷を負っていない者を直ぐに集めろ。血液検査をして皮膚を頂く。それで今回の治療代はチャラだ!』
あれから2か月が経った。
鮎川加奈は無事女優としてデビューした。
主演映画は大ヒット。その可憐だが大胆な演技は話題の的になり、今やテレビドラマ、舞台とあちこちでひっぱりだこだ。
俺も彼女の映画を観させて貰ったが、見事なものだった。
いや、演技の方じゃない。
背中だ。
観音様は実に綺麗に消えていて、跡形も残っていない。彼女からは手紙が届き、手厚い礼の言葉と共に、幾分多めの探偵料を口座に振り込んだ旨が記されてあった。
滝川先生は、相変わらず『島』で医者の仕事を続けているという。
終わり
*)この物語はフィクションです。登場人物、場所、事件その他は全て作者の想像の産物であります。
悲しき観音様 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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