第2章 都(2)

 ある日の教習を終え、宿舎に戻ろうとしたところ何やら広場で人だかりがしている。非番の衛士や兵たちがスマイをとっているらしい。

 戦で刀折れ、矢尽きた時、最後に頼りになるのは己の身一つであるため、無手の技に磨きをかけることは生き延びるためにも必須の事だった。

 だが単に戦技としてのそれだけではなく、力自慢・技自慢の男たちが互いをぶつけ合い、ある種の娯楽的な楽しみとしてもまた親しまれていた。

 人垣の間からその様子を覗いてみると、一見してヤマトの官人と知れる色白で背の高い若者と、どこか遠国から出仕しているのだろうか、隼人たちのように彫りの深い顔立ちをした巨体の衛士が対峙している。

 カザトの側からではヤマトの若者の背中しか見えないが、なぜか殆ど仁王立ちのような姿勢で動く気配がない。

 一方、衛士は低く腰を落としてやや前かがみになり、組みつきに行く構えだ。だがよく見ると身体中にびっしりと汗の玉が浮かび、荒い息をついているようだ。

 組みつきに行く機を窺いながら長時間それを果たせず、消耗し始めているのだ。

 よほど力量に差がある者と対峙したとき、無言の圧に押されて気負けしてしまうことがあるが、ヤマトの若者からはそのような凄みは感じられない。

 一体どうなっているのかと、カザトはつい見入ってしまった。周りで観戦している者たちも固唾をのんで勝負の行く末を見守っている。

 無造作に、ヤマトの若者が一歩前に出た。

 その瞬間、放たれた矢のように衛士が低い位置で突進を仕掛けた。

 組みついた勢いのまま投げ飛ばすつもりなのが傍目にも分かった。だが、その手が届く寸前、鋭く跳ね上げられた若者の脚が衛士の側頭部を捉えた。

 蹴りの衝撃で力の方向を逸らされ、衛士は突進した勢いのまま若者の横をすり抜け、前のめりに倒れこんでそのまま動かなくなった。脳震盪を起こしたのだろう。

 あまりのことに観衆は言葉を失ってしんと静まりかえっている。

 我に返った仕合の差配役が、倒れた衛士を介抱してやるように指示を出し、衛士は数人がかりで運ばれていった。ヤマトの若者はばつが悪そうに頭を掻いている。

「次! 次に挑む者は誰かいないか?」

 差配役が声を張り上げるが、皆尻込みして誰も前に出ようとする者はいない。

 だがその時、血が沸き立つような思いに駆られたカザトは、無意識に人垣をかき分けて進み出ていた。

 まさかの挑戦者の登場に観衆がどよめき、戦う二人のための空間が大きくとられた。

 カザトはようやくヤマトの若者を正面から認めた。

 カザトとは同年代くらいだろうか、切れ長の目に細面の顔は汗一つかいていない。 

 若者もまた、もう一人自分に挑む者が現れるとは思っていなかったのだろう。殆ど表情を変えてはいないものの、ほんの少し、嬉しそうに眼を細めたことにカザトは気付いていた。

 遠く大陸に、スマイとはまた違う拳(けん)足(そく)の技を極めた術がある―。

 亡くなった父が語ったことをカザトは思い出していた。海に開放された阿多の地には、古来よりしばしば海の彼方から流れ着く人や物が多くあった。

 カザトの父はそんな大陸からの漂流者と手合わせをしたことがあったのだ。カザトの見るところ、おそらくヤマトの若者は大陸にあるという拳足の技の遣い手なのだろう。風貌からしても渡来系の氏族なのかもしれない。

 向かい合った二人に、差配役が「はじめ」の声を掛けた。

 先に動いたのはカザトの方だった。

 普通に歩くのと変わらない自然さで無造作に間合いを詰めていく。意表を突かれたヤマトの若者は注意深く相手の動きを見守る構えだ。

 するすると二人の距離は縮まり、やがて互いに手を伸ばせば触れ合うほどの間合いにまで近付いた。先ほどの仕合で、巨体の衛士が最後に突進を仕掛けた時と同じくらいの距離だ。

 数瞬の睨み合いの後、カザトはもう一歩前に出ようとした。

 その瞬間、ヤマトの若者の鋭い蹴りが、腿の辺りを狙って繰り出された。

 カザトは構うことなく、加速するように強引に踏み込んだ。深い間合いで当たった蹴りは力を得ず、その隙を突いてカザトは若者に組み付こうとした。

 しかし、若者は跳び下がって間合いを切り、すんでのところでカザトの手を逃れる。

 だがカザトは距離をとられることを許さず、なおも追撃する。着地と同時に再び蹴りが飛んでくる。同じ要領で深く踏み込んで受け、今度は蹴りを放って一本立ちとなった軸足を刈りにいった。

 若者は跳躍して辛くもこれを避け、更に素早く後退して大きく間合いをとることに成功した。

 カザトもそれ以上深追いすることはできず、立ち合い前よりも大きな距離をもって二人は再び対峙した。濃密な技の応酬に観衆からどよめきが起こる。

 拳足の技の遣い手と戦う時―。その時は相手の手足が伸びきる前に受け止めろ―。

 カザトが父から教わった極意の一つだ。

 突きも蹴りも、その威力が最大になるのは手足が伸びきって相手に当たる瞬間であるため、その前に大きく踏み込んで受けることで衝撃を最小限に抑えることができるのだ。

 もちろん、危険な方法であり、とても技と呼べるような戦い方ではない。だがカザトは、ヤマトの若者の鋭い蹴りに対処するにはこれしかないと思った。

 距離をとられたことで戦況は振り出しに戻った。しかし迅速に勝負を決することができなかったのはカザトにとって不利だ。もう同じ手は通用するまい。

 二人は大きく息をつき、呼吸を整えている。

 互いに油断なく視線が交錯するなか、ヤマトの若者の表情に変化が起きた。

 微笑んでいるのだ。

 自分を窮地に追い込む好敵手の出現を喜び、この勝負の瞬間を心から愛おしんでいるかのような表情だ。

 そして若者は、ひときわ長く息を吐き出すと半身の姿勢になりながら、まるで長柄の鉾を持つかのように両の拳を前に突き出した。

 ついに構えをとったのだ。

 若者の拳から、あたかも刃物を突きつけられるかのような圧力を感じ、カザトは身構えた。

「ィヤアッ!」

 裂帛の気合と共に若者が一気に間合いを詰めてきた。

 両の拳による激しい突きが、まるで雹のようにカザトに降り注ぎ、反撃の暇(いとま)を与えない。

 カザトは両腕を前に立てるようにして身体を庇い、若者の猛攻にじっと耐えるしかなかった。迂闊に動けば隙のできた所に致命的な一撃を受けるだろう。

 拳の連打が一瞬止んだかと思うと、若者は一歩跳び下がり、今度は正面からの蹴りを浴びせてきた。

 両腕で何とか受けるものの、その衝撃でカザトは浮いたように後ろに弾かれる。さらに追い打ちをかけるようにもう一度同じ蹴りが飛んできた。

 二度目の蹴りを受け切れず、カザトの防御が崩れた。

 がら空きになった胴体に若者の拳が突き込まれる。

 かわせない―!

 カザトは咄嗟に強く息を吐き、腹の筋肉を締めて突きを受けた。

 阿陀の翁から伝授された技だ。

 予想外の固い手応えによって、若者の動きに一瞬の戸惑いが生じた。その機を逃さずにカザトは彼の手首を掴み、強く押し出すように力を加えた。

 反射的にそれを拒んだ重心が、倒されまいとして前に向けて押し返してくる。カザトはその瞬間、今度は掴んだ手首を逆に引き込みながら側面に回り込み、若者の肘を小脇に抱え込むようにして逆関節を極め、そのまま投げを打った。

 後の世の相撲でいうところの、「小手投げ」にも似た危険な技だった。

 腕が折れてもおかしくないような、スマイの仕合では禁じ手の部類に入るものだ。だが、カザトが思った通り、若者は投げられるに任せて自ら大きく飛ぶことでその危険を避けていた。

 しかし受け身が間に合わず、肩から落ちるようにして地面に叩きつけられた。殆ど同時にカザトもその場に膝をついてしまう。さっき受けた拳の衝撃で息が詰まっているのだ。

 もし本気で打ち込まれていたら、いかに身体を締めようとも耐えることは出来なかっただろう。

 無我夢中で危険な技を遣ってしまうほどにカザトの相手は強かった。若者もまた、カザトの力を認め、全力に近い戦いを繰り広げたのだ。

「御無礼をいたしました」

 苦しい呼吸のなかでカザトがそう声をかけると、ヤマトの若者は顔をあげ、

「名は?」

 と問うてきた。

 片頬は土埃にまみれている。

「阿多のカザトにございます」

 そう答えたカザトに、若者はさっきまでの表情とは打って変わった人懐こい満面の笑みを浮かべた。

「俺は貴志麻呂(キシマロ)。秦(ハタノ)貴志麻呂だ。強いじゃないか、カザト!」

 そう言って、起こしてくれといわんばかりに手を差し伸べてきた。

 貴志麻呂のその手を握った瞬間、拳の威力にそぐわない意外なほどの柔らかさに、カザトは少し戸惑ってしまった。

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