第2章 都(1)

 郡司に引率されて阿陀の里を出発したカザトは、一路奈良の都、平城京を目指した。

 山間に開けた阿陀の里から都に近づくにつれて、やがてヤマトの中枢である奈良という土地が、巨大な平野であることが実感されてきた。それに伴い人の往来や沿道の民家の数もいや増しに増し、皆がみな都という引力に吸い寄せられているかのように思われた。

 都とはいったいどういうものか。朝貢から無事に帰郷できた先達の話を思い出してみる。

 皆一様に口をそろえて言うことは、その大きさ広さ、人の多さ、建物の壮麗さ、文物の多様さ……しかし、いずれもカザトの想像力の範疇をはるかに超えるものだった。この眼でそれを見、そこに身を投じる日々が目前に迫っている。

 そうこう思ううちに、やがて前方に巨大な丹塗りの門が見えてきた。その大きさ、華麗さはとても「門」という概念が表わすそれとはあまりにもかけ離れていた。

 話に聞く「羅城門」の大きさは、カザトが知る最も大きな建物である郡司の館とてその比ではなかった。

 たくさんの人や物が行列のように門に向かって吸い込まれていく。門には衛士が控えて都への入城を検閲しているようだ。郡司に続いて門を通り抜けたカザトはその光景に絶句した。広い。道幅は二八丈(約八五メートル)よりもう少しあるだろうか。そのだだっ広い道が延々と真っ直ぐに伸びている。

 この朱雀大路の先に、ミカドのおわす宮があるのだという。

 視線のずっと先に見えるのが宮門の朱雀門だろう。あんなに遠いのに少し見上げるような位置に見えるのは、大路がわずかに傾斜して上り坂になっているのだろうか。大路の両脇には一定間隔で柳の木が植えられており、少しの緑を添えてはいるが、カザトは言い知れぬ空恐ろしさを感じていた。

 巨大な人工の空間。

 この途方もない建造物が神ならぬ人の手で造られたということに、何か禁忌を犯したかのような不気味さを感じずにはいられなかった。

 都までの引率をもって郡司の役目は終わり、カザトの身柄は衛門府に属する「隼人司」に預けられることとなった。

 読んで字のごとく、畿内の隼人を統括する機関である隼人司では、今回の朝貢に参集した隼人たちに今後の務めで必要とされる技能や作法の教習が行われるという。

 指定された広場にはすでに多くの隼人たちが集まっている。ざっと百名はくだらないだろう。阿多だけではなく、日向や大隅、甑(こしき)や多禰(たね)など各地からやってきた隼人も含まれているはずだ。

 人ごみの中、カザトの眼は一人の男の姿を捉えた。カザトよりも頭一つ大きい長身に髪を後ろで束ね、闘志を内に押し込めたような静かな気魄をまとっている。

(間違いない、大隅のヒギトだ)

 カザトの脳裏に逆さまになった開聞岳の光景がよみがえる。

 かつて阿多の地で死力を尽くしてスマイの仕合を戦ったあの男もヤマトにやってきていたのだ。

 カザトの視線を感じ取ったかのようにヒギトが振り向いた。数瞬の間、まばたきもせずにじっとカザトを見つめる。だが、その表情からは何も読み取れない。

 カザトが声をかけようとした時、静まって前に注目するように、との達しがあった。その声に皆が一斉に前を向くと、二人の初老の男が広場に入ってきた。

 一人は小柄だが筋骨隆々とした偉丈夫で、白銀と見紛うばかりの白髪をなびかせている。もう一人はやはり白髪だが背が高く、細身でしなやかな身体つきをしている。 二人は高く設えた演台のような場所に立つと、まず小柄なほうの男が口を開いた。

「各々方、長旅ご苦労であった。遠くこのヤマトの地で同胞(はらから)たる諸君らにまみえること、感に堪えない。我は右大衣、阿多のソバカリである。主に吠(はい)を発する法を伝えるものである」

 続いて長身の男が朗々とした声で謡うように語りかける。

「我は左大衣、大隅のサシヒレ。朝廷に奉る舞、音曲を伝える。皆、育った土地も違うだろうがここにおいては兄弟も同然。困ったことがあれば遠慮なく申しつけるように」

 そう言って微笑むと、各自の務めに合わせて組に分かれ、あてがわれた宿舎に向かうように指示を出した。

 このサシヒレ様が自分を此度の任に推してくださったという……。だがカザトにはやはり思い当たる節がない。ましてや大隅の大衣の務めは歌舞音曲の教導であり、吠声を務めとするカザトとは今後も繋がりがあるとは考えにくい。

 腑に落ちない思いのまま、組分けの指示に従ってカザトは右大衣ソバカリの後に続いた。

 大隅のヒギトの姿を探したが見当たらない。おそらく彼はサシヒレのもとで歌舞音曲を奏上する任につくのだろう。いずれまた、ヒギトとは相まみえる日が来るかもしれない。宿舎へと向かいながら、カザトは漠然とそう思った。


 翌日から、右大衣ソバカリによる教習が始まった。それは吠声の発し方のみに留まらず、ヤマトとその周辺の国々、あるいは諸民族との関係についてなど多岐にわたり、カザトは目から鱗の落ちる思いで聞き入った。

 とりわけ、ヤマトより東、あるいはそのずっと北に居住する「蝦夷」と呼ばれる人々の話に興味を覚えた。隼人と同様、彼らもまた長途を朝貢してくるらしいが、未だその全てが朝廷に帰順したわけではなく、依然として国境は緊迫した状態が続いているという。

 隼人とてその例外ではなかった。カザトたち阿多隼人は古くからヤマトとの深い繋がりを持っていたが、隼人の全てがヤマトによる統治を甘んじて受け入れたわけではなかった。

 ヤマトは薩摩・多禰(たね)が朝廷の意にまつろわないことを理由として派兵。大宝二年(七〇二)にはそれまで南九州全域を指していた「日向国」からの分立という形で、「薩摩国」・「多褹(たね)嶋」の新たな行政区画を成立させている。

 同じく日向国から肝坏(きもつき)・贈於(そお)・大隅・姶羅(あいら)の四郡を割き、新たに「大隅国」が設置されたのが和銅六年(七一三)、カザトが都にやってくるつい四年前のことだ。ヤマトによる隼人支配の本格化はやはり更なる摩擦を招くこととなった。

 戸籍への強制登録や重税の強要など、ヤマトの圧政支配に大隅の隼人らは強く反発、大規模な戦闘が繰り広げられた。この戦によって千二百名余りものヤマトの将兵が功を得たとして勲位を受けていることからも、大隅隼人の抗戦の激しさが推し量れよう。

 翌和銅七年(七一四)には教化に従わない大隅の隼人らを指導するためとし、豊前国から二百戸にもおよぶ民の移住を断行している。

 あの時見かけたヒギトをはじめとする大隅の隼人たちは、そうした不安定な情勢下でヤマトに朝貢に来ているのだ。ソバカリから聞いた蝦夷のことといい、近年の隼人との軋轢(あつれき)といい、ヤマトという国はいったい何を目指そうとしているのか。そして、阿多隼人としての自分はヤマトにとっていったい何なのだろうか……。

 カザトは考えもまとまらないまま、複雑な思いで吠を発する法を学んだ。


 ある日、ソバカリは隼人司に保管されている隼人の装備類を皆に披露した。いずれも朝儀の際に参列する隼人たちが身につける品々だ。

「朝儀においてはわしとサシヒレの左右大衣、番上(ばんじょう)隼人二〇名、諸君ら今来(いまき)隼人二〇名、そして一三二名の白丁(はくてい)隼人の、合わせて一七四名が参列することになっておる。そしてここには横刀(たち)が一九〇口(ふり)、胡床(こしょう)(イス)が一八〇脚、一丈一尺の木ホコが一八〇竿、楯が一八〇枚、それぞれ収められている」

 ずらりと並んだ武具類を見渡しながら、ソバカリはそう言って長いホコの柄を撫でた。

 大衣のもとには、畿内に居住して一年を限りに都に上番する「番上隼人」、カザトたちのように南九州から朝貢でやってきた「今来(いまき)隼人」、その他の役をこなす一般の隼人である「白丁(はくてい)隼人」らが所属して朝儀などへの参列の務めを負っていた。

 カザトのような今来隼人は隼人の地で生まれ育った者として、より強力で新鮮な呪力を有していると信じられたのだろう。今来隼人の最も重要な任として吠声が課せられているのはその期待の表れにほかならない。

 大量の武具類の中でひときわ目を引いたのは大きな楯だ。

 長さはおよそ五尺、幅は二尺近くあるだろうか。少し屈めばすっぽりと身を隠してしまえるほどの大きさだ。

 上部には馬の尾だろうか、長い毛のような房が取り付けられ、楯の全面は赤・白・黒に塗り分けられている。異様なのはその中心を占める紋様だ。萌えだした早蕨(さわらび)の芽が渦を巻くように、大きな鈎形(かぎがた)が二つ連なって描き出されている。

「この楯の紋様にはどのような意味があるのでしょうか?」

 誰かが質問を投げかける。皆同じことを考えていたようで、一斉にソバカリの答えに注目する。

「これか。この紋様は古くから王の墓にも描かれたという由緒正しきものであるが……その意味までは伝わっておらん」

 だが、と言葉を切ってソバカリは皆を見渡した。

「わしは、これを〝風〟だと思うておる」

 二つの蕨手(わらびて)の紋様は渦巻く風を表わしており、その風が敵の矢を吹き留め、逆にこちらの矢をより遠くまで吹き導き、もってミカドの王権をお守りする―。それこそがこの楯の紋様に込められた意味だと思っている、とソバカリは語った。

 そういえば阿陀の翁に教わった言い伝えでは、山幸彦は風を招く呪術で潮の満ち引きを操り、兄の海幸彦を服従せしめたという。

 だとすれば風に屈した者の末裔が、その風をもって仕えているというのか―。

ソバカリの解釈は正しいのかもしれない。だがカザトは妙に〝風〟という言葉が心に引っかかっていた。

「若き隼人らよ、〝風〟を起こすのだ」

 そう言ってソバカリは、隼人の楯を高々と掲げてみせた。だが、その風はどこに向かって吹き付けるのか、カザトにはわからなかった。


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