第4話 雪と雪。

訪れる朝は早かった。朝食を済ませた雪は急いで玄関に向かい、まだ新しいローファーに足を通し、制服のリボンを直す。仕上げにお気に入りのヘアピンをつけて、行ってきますと勢いよく玄関のドアに手をかけた。


 教室についた雪は黒崎雪を探す。いつもなら私より先に来ているはず。背伸びをしたり、大げさに周りを見回したりして探す。しかし彼女の姿は見えなかった。少しだけ心配になった。昨日の痣が大きく脳内で再生される。きっと遅れてくるんだ。雪は無理やり自分を安心させ、静かに席につく。


 結局黒崎雪は最後の授業が終わっても現れなかった。我慢できなくなった雪は職員室の戸を叩く。

「舞先生...」

ちょうど教室を出ようとする舞先生の格好は妙にきちんとしていた。

「丸山さんどうしたの?」

息を切らした先生が優しく問いかける。

「黒崎さんのことで聞きたいことが」

先生は唇を噛んで、小さくうなづいた。

「明日は...」

先生の視線だけが下を向き、それがとても嫌だった。しかしすぐに口を開いた。

「黒崎さんは、今朝亡くなったのよ」

ぷつんと何かが切れた音がした。吐く息が震え、上手に呼吸ができない。頭の中が真っ白になって思うように声が出せない。

「あ、あぁ、あ」

15歳の女の子が経験するにはあまりにも残酷すぎた。


 その後の記憶はほとんどない。職員室を出ていく前の先生がかけてくれた言葉。どうやって家に帰ってきたのか。ご飯は食べられたのか。お風呂は。


 明かりをつけない部屋で一人うずくまる。私、何もできなかった。何度も頭の中で黒崎雪の顔が、痣が思い出される。最後に見た彼女の笑顔。なんで、なんで...。


 嫌な奴だった。嫌いな奴だった。でも本当はかわいそうな一人の女の子で、私と同じ名前。これから友達になって、放課後に遊んだり、痣のこととか助けてあげたり、ずっと一緒にいたかった。雪に心を開いてくれた初めての友達。初めていじめられた。初めて殺したいと思った。それでも初めて私を認めてくれた。さらけ出してくれた。キスだって、私の初めてだったんだよ。

悔しくて、悔しくて、静かすぎる夜が、雪の心の震えを、どこにも吐き出せない声を包み込む。

泣いて、泣いて。両手でぬぐっても止まらなくて。自分の息だけの声があまりにも切なくなって、泣いて、泣いて。黒崎雪が手を振ってじゃあねという言葉が妙にはっきり聞こえてきて、それでも泣いて。その日の夜は、ひたすらに泣いていた。生まれてきた赤ん坊が泣くように、誰も止めることができない。


黒崎雪は死んだ。彼女は私をいじめて、キスをして、最後に笑った。


 体の痣は父親による家庭内暴力のもので、彼女と父親は二人暮らしだったそう。雪自身詳しく聞かされてはいないが、彼女が死んでしまったのはそれが原因であるとひそかに噂されていた。後日、保護者会が開かれ、父親が逮捕されたこと、学校側の対応、家庭内暴力についての説明があった。雪はお母さんに懇願してその内容を事細かに聞いた。もちろん納得はいかない。もどかしさだけが大きな塊になっていく。時間は経っても雪の気持ちは変わらない。


桜のつぼみが徐々に顔を出す頃。


 葬式は身内だけで行われたらしい。別れを告げられなかった雪はもどかしくなってせめてお墓参りだけでも、と先生に尋ねてみるが、黒崎雪の墓はどこにもないと謝られた。しかし、一つの手紙を預かった。警察の人が先生に渡したそう。中身は確認されていたけど、黒崎雪が私に宛てた手紙だと伝えられた。ゆっくりと紙の感触を確かめる。丸山雪様。


奇麗な文字で、多くはない文章だが、雪を泣かせるには十分すぎた。


 黒崎雪は最後まで酷い奴で、勝手で、愛情を求めていた。肩を震わせ、手紙を持つ手に力が入る。何度も読み直し、何度も彼女を思い出す。手紙に落ちる涙の粒が、まるで雪が溶けるようで、儚かった。


彼女はきっと雪になって毎年、私に顔を出してくれる。雪は小さく「じゃあね」とつぶやき涙を拭いた。

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いっそ、雪にでもなれたなら 甘津かげ @amatsubooks

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