第3話 魅せる、そして繋がる

次の日の朝、雪の心配はすぐに現実となる。

「丸山さんおはよう」

黒雪の声が聞こえて無表情の雪の顔が答える。やっぱり駄目だった。たぶん今日もいじめられる。昨日たまたま黒雪が来なかっただけで心がはれてしまった単純な自分の性格が嫌いになった。今日は何をされるのだろう。そう考えるだけで胃が痛くなった。

「今日の放課後、空いてるわよね」

小声の圧力が鼓膜を最大限に震わせる。抵抗できない雪は、はいと答えるしかできない。じゃあよろしく、と一言だけおいてみんなの輪に紛れてしまった。


「時間通り」

指定された屋上には黒雪、ただ一人だけがいた。

「じゃあ、脱いで」

耳を疑った雪は聞き返す。

「え?」

「脱いで。今ここで全部脱いで」

さすがの雪も抵抗する。

「で、できません」

頬がほんのり赤らむ。しかし黒雪は許さなかった。

「は?脱げよ」

そういうと無理やり制服を引っ張る。一瞬ひるんだが雪も全力で抵抗する。しかしその抵抗もむなしく新しい制服は地面に落とされる。薄い水色のパンツが肌色を強調させ、それだけでも剥がされなかったことに感謝した。そして黒雪の視線がゆっくりと雪を弄ぶ。

「へえ、結構いい体してんじゃん」

あの時と同じだ。でも少しだけ悲しく聞こえたのは気のせいだろうか。雪は大きくない胸を隠し、寒さに震える。寒い、そんな理由で制服を着させてくれないことは何となく分かっていた。だからただひたすらに、目の前に揺れる赤いリボンを見て、その時が来るのを待つしかない。そしてそれは突然に起きた。黒雪の赤いリボンが首元から落とされ、雪の視線は奪われる。ボタンに手をかける彼女に息をのんで、徐々に見えてくる肌色と黒がリアルだった。先がほんのりピンク色のふくらみに魅了され、呼吸を忘れる。そして雪と黒雪は同じ格好で向き合った。戸惑う雪の驚きは遅れてやってきた。美しい曲線を邪魔する汚い色。彼女のすべてがそこにあった。

「惨めでしょ、私」

お腹を中心に両腕や太もも、骨盤、脇の下。これが痣であることはすぐに分かった。雪は嘔吐感的な、あるいは哀哭による下からの圧力に必死でこらえた。

「私さ、死のうと思って」

黒雪の言葉に雪が顔を上げる。

「だってさ、私最低でしょ?あなたのこといじめた。それとほら」

黒雪は自分の体を見せる。

「死にたくなっちゃった」

「どうして、どうして私にあんなことしたの」

咄嗟に出た言葉に雪自身が驚く。

「同じ名前。同じ雪って名前なのにどうして私だけ不幸なのかなって考えたらすごく苦しくなって。どんな気持ちか確かめてみたかった。でも」

そこで黒雪の口が重りをつけた。

「私をいじめてすっきりした?」

首を振る黒雪の目は閉じていた。今にも泣きだしてしまいそうな。

「丸山さんには本当にひどいことをした。もっとこれからもひどいことをしようと思ってた。だけど、だけど、できなかった」

出会って間もないが、弱弱しい彼女を見るのは辛かった。

「キス...あれって」

黒雪の深く息を吸う音が聞こえる。

「愛の証明...」

それが何なのかわからなかったがこれ以上のことは聞けなかった。

「ごめんなさい」

小さい声は黒雪の口の動きで拾うことができた。そして繋がる。あの時も...。黒雪は謝っていたのだろうか。確信はないが自信はあった。

お母さん、この子悪い人じゃなかった。かわいそうな子だったよ。雪の心の中で助けてあげたいという気持ちが強くなっていった。しかし今の、裸の彼女にはどうすることもできない。ただ近づいて、そっと抱きしめることしかできない。お互いに冷えてしまったやわらかい体に一つのぬくもりが生まれ、黒雪の声が漏れる。むせび泣く声。

雪と雪。

何もかも違う二人を繋げ合わせた名前。たった一文字が二人の心を傷つけ、癒し、そして白色に染める。愛の証明。黒雪の耳元で雪がつぶやく。初めてのキスは甘い香りとワセリンの味。二回目のキスは鼻を突くような冷たい風と震える唇。今度は黒雪が目を見開き、涙を流す。まるで感動的な音楽が流れているかのように二人は二人の世界にいた。

「黒崎雪」

呼びかけに答えない今の彼女に力はない。

「もう私にあんなことしないで」

うつむく彼女。

「今なら友達になれそうだよ」

ぐっとこらえていた奥の奥に隠れていた声の涙が、黒崎雪からあふれ出し、それがさらに雪を泣かせる。大きく、そして激しく、声をあげて泣く。それでも永遠に続きそうな時間が次第に疲れてきて、乾き始める瞳と寒さに耐え切れなくなった二人は静かに制服に着替える。


「今日は...」

申し訳なさそうに頭を下げる彼女は、入学当初とはまるで別人になっていた。明るくなった表情にほんのり赤く染まっった鼻が本当にかわいかった。

「何かあったら電話して」

痣のことを思い出した雪は電話番号を登録させる。ありがとう、しっかりと聞こえる彼女の声が新鮮だった。二人は一緒に屋上を出て、別れるまで話をしながら帰った。くだらない話。時々黒崎雪の愚痴も聞いてあげたりした。傍から見たら仲のいい友達。

「じゃあ、また明日」

最後の二人は笑顔だった。心からの笑顔。丸山雪と黒崎雪。一人から二人へ。新しい雪が積もる。また明日。雪は嬉しくなって、街灯の少ない暗い帰り道で風を切って、自転車を走らせた。

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