5-5 epilogue 其の後

 灯りを入れまいと何か遮るものを感じる暗闇だった。意識の世界だった。

 動き流れる物は一つもない。起きているか寝ているかの、その中間。


 りんごが深い眠りの底から、意識を這い上げている途中だった。


 吸った酸素が肺から直ぐに失われていくような息苦しさ、身体の節々を覆う神経痛や、ランダムな間隔で襲って来る高熱。

 頭を少しでも働かせることが難しい朦朧さと、日を追う毎に重くなっていく倦怠感。

 何よりも痛々しいのは、栄養を吸う病は毛髪にもその爪痕を残し、りんごの髪は真っ黒だったものから、黄色みを残した白──白金に変わっていた。

 その様子は正に天使のようであり、残すは──輪を頭上に加えるのみ、死するのみである。

 それら全ての苦痛に抗う為に眠り、眠った先までも苦痛はついて来ていた。

 日が昇った分だけ死が一歩近づいたのを感じ、そして羽は一日毎に大きく、美しくなる。

 命を吸い、輝きを増す。

 それが綺麗で残酷な天使病の症状だった。


 だからこそ、その全ての苦しみが身体から消えた時、その解放感から深かった筈の眠りは浅くなり、そして目を開いた。

 開いた目の先には一匹の猫が居た。


 眠りから覚めたりんごは、自分の眠っていたベットの足元部分へ、突っ伏して丸くなって寝ている黒乃を最初に見つけた。

 何やら可愛らしい猫耳が突き出た帽子の鍔を深くして、疲れ切った様子で眠っている。


「ね……まち……くん……」


 名前を呼ぼうとしたが、感極まって上手く発音できない。

 黒乃の疲労困憊している様子と、頬に出来ている真っ直ぐとした、線のような赤い傷痕を見て、りんごは自分の為に奮闘してくれたことを察し、思わず涙が溢れた。

 りんごは知らないが、アルウラネと戦った時に出来た傷だった。


「っ……っぅ……うぅっ……」


 一週間の間、起きた回数は数えられるほど。

 その時でさえも意識は混濁し、鮮明に残っている最後の記憶は黒乃が家を訪れてくれた時のこと。

 その次には、天使病で苦しみ意識朦朧としながらも、左腕に書かれた──友達なら黙って救われろ、の文字を見た記憶が残っているくらいだろうか。

 だからこそ、今、栄養不足で未だ重さは残るものの、やけに身体を覆っていた倦怠感が凡そ消え去り、命の危機を感じずに済んでいるのは、目の前で眠る猫のお陰なのだろうと、直ぐに察することが出来ていた。

 ──もう一人の友人が居ない。

 そう思って、急ぎ辺りを見渡せば、何やら武闘家らしい格好をしたムキムキな男が、椅子の上で大股を広き腕を組み、首を斜めにして眠っているのを見つけた。

 皐のほうもまた、眠りは深そうで、まるで一晩寝ないで動き回っていたようであるとりんごは思ったが、正にその通りだった。

 二人が何をしてそんなに疲れていて、どういった方法で自分の病気は治されたのか──りんごには具体的なことはわからなかった。

 それを知る術は、目の前で眠りこけている友人に聞く他ないが、流石に起こすのは申し訳ない。


 ゲームに詳しくはない為にわからないが、もしかするとそういったプレイヤーの病気を治すようなアイテムが存在していたのだろうか、それとも運営に掛け合ったりしてくれたのだろうか──色々なことを考えてみるもののわからないままだった。

 ──二人の頑張りによって自分は命を救われたのだ。

 それだけを実感していた。


 足元で眠る黒乃を起こさないように、ゆっくりと起き上がり、ベットの上を手を突いて移動し黒乃へ近づく。


「ありがとう……ございます……」


 涙交じりに、その一言だけを十数回繰り返す。

 思わず眠る黒乃の腕を握り取ってしまったが、目覚める気配はない。


「っ……うう……ぅうう……」


 ──早く起きて欲しい。お礼が言いたい。

 そう思うものの起こせず、りんごは黒乃へ顔を唇から近づけた。


「──慈愛の唇キュア・キス


 そっと言って、りんごは眠る黒乃の頬へ口づけをした。

 糸のような傷口を中心に、淡い緑色の温かい光りが広がった。

 ナノチップから送られた信号が、黒乃の回復能力、再生能力を瞬間的に引き上げ、巻き戻し再生でも行っているかのように、頬の上は全ての肌色を取り戻した。


「っ……ぅっ……慈愛の唇キュア・キス……」


 りんごはもう一度、黒乃の頬にキスをした。

 既に其処に、傷はないのに。

 胸の奥から湧きあがる感情を黒乃へ押し付けたくて唇を重ねていた。

 緑の光はもう一度広がった。


「ぅうう……うう……きゅあ……ぅうう……きす……」


 合間合間で涙を啜ったり、泣き声を漏らしてしまう為にスキルは発動しなかった。

 黒乃の頬の上へ、りんごの涙がポタポタと落ちた。


「きゅあぁ……うえぇ……きす……ぅううぁ……」


 大泣きして起こしてしまわないように、唇の押し当てが強すぎて起こしてしまわないように、触れるか触れないかの口づけを、りんごは何度も何度も繰り返した。

 何度も繰り返し、静寂が室内に満ちる。

 そして────。


 「──こんなの……好きに……ならないわけないです……」


 友情から一つ、越えてしまった感情の零れは、深く眠る二人に聞かれることがないまま、平和な室内に満ちている静寂の中へと飲み込まれていった。

 黒乃はなるべくなら人を深く関わらせたくないという発言を残している。

 友人ならまだしも、恋愛感情などは迷惑でしかないのかもしれない。

 そう理解を及ばせつつも、それでも──。


 「猫町君が……好きです……大好きです……」


 りんごは泣き疲れて眠くなるまで、何度も小さく繰り返し続けた。




 ②

 どんな魔法も敵わない、美しく壮大な水色一面の空だった。

 背丈の高いビルたちが、こぞって頭を入れ込むと、其処だけで幻想と現代が合わさった現代ファンタジーの快晴だった。

 ボス戦から一夜明けた六月一九日──その一週間後の、六月二六日はりんごが退院する日だった。


「これからどうする」


 黒乃と皐、りんごの三人が病院の屋上へ出て、青空を拝むなり黒乃へ聞いた。


「先ずは御伽さんのレベル上げじゃない?」


 言いながら視線をやったりんごはの様子は、かなりの様変わりをしていた。

 真っ黒だった髪が白色に近しくなったことや、折角のクリア報酬を自分の為に使わせてしまったことを後で知り、気に病んでいたりんごだったが、気分を上げる為にも髪をバッサリと切っていた。

 天使病が吸い取った栄養は、髪の質さえも変え、毛先がくるくると丸みを帯び、美容院でそういったパーマでも掛けたようだった。

 

 耳下で揃えられた、りんごが雰囲気を一辺させた、くりくりの白金ショートヘアへ、黒乃は正に天使みたいだと喜ぶ様子を見せ、皐がギャルだなとそれぞれ感想を述べていた。


 黒乃の視線を受けたりんごは、頬と耳を真っ赤に染めて、黒乃から視線を急いで外した。


「……え? あれ? 僕なんか変なこと言った……?」

「ちちちち違います! はい、私のレベル上げですね! 頑張ります!」


 乙女が恋する様子を、妹を通して日常的に見ている皐にとって、そのりんごの態度の奥に隠された感情を察するのは容易かった。

 ──どっちの手助けをすればいいのだ。

 皐に悩みの種が一つ増えていた。


「次のイベントの告知が昨日来てたね」


 黒乃が何かを言いたそうに話を切り出した。


「あぁ、次は池袋とか書いてあったな」

「次は私も絶対絶対参加します!」

「うん……あの……次は……その……三人で一緒に行こうよ」


 黒乃は勇気を振り絞って、ずっと言おうと思っていた一言を、視線を外して照れ隠しの下で二人へ投げかけた。


「っ! すいません猫町君、前回参加出来ずに!」


 前回参加出来ないままだったりんごには厭味に聞こえたらしく、瞬間的に目に涙を溜め込んだ。


「え! あ! ち、違う! そういう意味じゃなくて!」

「おいクロ、今のは駄目だろう」

「なっ! だから違うんだってば!」

「ぅうう……」

「……む。待て御伽。どうやら本当に御伽に言っているわけではないらしいぞ」

「おぉ皐!」

「多分、最後の最後に橋の上に居なかった、俺への厭味だ」

「それも違ぁああああああう!」


 長年の勘を働かせるには難しい発言だった。


「違うんだって! 二人に、一緒にゲームしようよって言ってなかったろ?

 友達なら言わなきゃって思ってただけなんだ!」


 目を細める皐とりんごの視線を、黒乃は一手に受けた。


「…………熊杉君。鑑定お願いします」

「うむ。どうやら本当だ」

「え、何その鑑定スキル」

「長年のお付き合いで育まれた理解力を応用し開発致しました、対猫町君兵器、熊杉君式嘘発見器です!」


 皐の巨体に隠れながらドヤるりんごだった。

 

「うむ。俺式嘘発見器だ」

「乗っかるんかーい」


 談笑を上げながら、屋上に三人で座り込んで青空を見上げる。

 雲一つない、水色一色の青空だった。


「あ、そうだ。提案があるんだけど」

「どうした」

「僕ら、クラン結成しない?」

「くらん……ってなんでしょうか?」


 ゲームをしない皐とりんごには耳馴染みが薄い単語だった。


「他のゲームではギルドって言ったりするんだけど」

「あ、説明会の日に質問してる方がいらっしゃいましたね」

「そうそれ。いわゆるチームだよ。ギルド、だと結成人数が二〇人規模くらいの大きいチームを指すらしいんだけど、クリア報酬は五人が上限ってこともあって、結成されるチームも同じ五人が上限なんだって。

 そういう小規模なチーム形態は、クランって言うんだってさ。

 クラン固有マークも、設定したい絵を自由に書いて鴉間のところへ持っていけば、それが旗の表示で頭の上に浮かぶ名前の横に表示されるらしいよ」


 争奪戦が行われている中で、徒党を組んでいる者は見当たらない異世界23区のゲーム内情勢。

 プレイヤーキルシステムは失われたものの、黒乃が秋葉原で行った敵を引き連れての当て逃げ行為や、サキトのようなHPに影響しない盗むスキルなどで、嫌がらせ自体は未だ可能。

 その点、名前の横に旗の表示があることで、仮に黒乃、皐、りんごの三人の内一人が単独行動中の際に他プレイヤーと遭遇したとしても、徒党を組んでいると発信出来ていることで報復を恐れてくれる可能性がある。

 自然とけん制効果も生まれるであろうと、黒乃はクラン結成の意図を二人に説明した。

 そして──。


「っていうのは建前で……本音は二人と友達で居たい……その気持ちを形にしたいってのが本音なんだけどね」

「クロ……」

「びゃぁああああああああああああ!!」


 のっけからトップスピードでりんごが泣いた。

 その後少し遅れて皐が泣いた。


 ──早速三人の間で、何かクランの名前について候補はないかという話になる。


「クロは既に案があったりするのか」

「ないなぁ……」

「そういうのは、何か風潮めいたものはあるのか」

「それもないんだよなぁ……思いっきり格好つけた名前も、思いっきりふざけた名前もどっちもあったりするし……ホント自由性に富んでるよ」


 二人が話す合間にも、うーんうーんと、りんごがひたすら唸りを上げている。


「じゃあ、『打倒・運営団!』とかは? 何か他プレイヤーが協力的になってくれそう」

「クロはいつも効率重視なのがいかんな」

「え、何その、男はいつも答えを急ぐみたいな女性的意見」

「よし、黒乃の素早さに俺の野生感を足し、御伽の女性っぽさを更に足して、『暴走天使』というのはどうだ」

「暴走族か。じゃあ、『第一回クリア者チーム!』 とかは? 強いぞってアピールになって、あんまり下手なことされなさそうじゃん」

「クロ。こういうのは思い出だ。効果を求めるのはいかんぞ」

「ついさっき初めてクランについての説明を聞いた癖に……!」

「よし、『睦美道場』というのはどうだ」

「兄馬鹿めが! じゃあ、『チーム高校生』!」

「や、『たこ焼き・ネギまよポン酢』はどうだ」

「僕はソース派なんだよ!」


 黒乃と皐による発案が飛び交う中、りんごが答えを見つけたように、パンと手を合わせた。


「お。御伽さん何か良いの浮かんだ?」

「はい! 自信あります!」


 精一杯に可愛く挙手をする。


「私は、『クラン・エンジェルパンダちゃん』がいいと思います!」

「…………何やらめっちゃ可愛いのが出てきたんですけど」

「うむ。可愛いな」

「御伽さんの、エンジェルは分かるけど、どうしてパンダちゃん?」


 りんごは満面の笑みで右手の平で黒乃を翳し示した。


「ネコさんと──」


 次に左手で皐を。


「クマさんで──」


 最終的にもう一度、パンと手を合わせた。


「熊猫ちゃんです!」


 天使のような笑みで、自信満々にそう言った。

 黒乃と皐は顔を見合わせ、互いにふっと笑った。


「いいな御伽。決定だな」

「何か……それしかないって感じだ」

「わーい! 嬉しいです!」


 最初のクリア者が出て一週間と一日。

 六月二六日のこの日、《クラン・エンジェルパンダちゃん》が結成された。


 それは異世界23区という他プレイヤーとの争いを前提としたゲーム世界の中では、初めて結成されたクランだった。

 りんごが描いたパンダのマスコットの、その頭の上に羽の生えた輪っかが描かれている、緩いクラン旗が間もなくして添えられることとなった。

 その何とも下手可愛い旗を名前の横に掲げたプレイヤーが池袋で度々目撃され、初のクリア者が所属するチームとして名を知らしめたが──。

 当の三人は夏休みを前にした期末テストという、なんとも現実的な戦闘を控えて苦しんでいるらしかった。

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異世界23区~デスゲーム・イン・トーキョー~ 砂糖 紅茶。 @tea1984

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