5-4 二つの願い事
①
ボス戦が開始されてからの戦闘時間は約一時間。
皐が橋を離れてから二〇分の、午前三時四〇分の現在。
黒乃がボスの討伐を完了させた時間は、皐がサキトを気絶させ、多くの他プレイヤーから報復の為に囲まれた直後の時間と同時刻だった。
猛烈なファンファーレ音が黒乃の頭の中で鳴り響き、何処からともなく現れた紙吹雪が夜空の手前で舞った。
黒乃と皐のレベルが、1上がった。
紙吹雪が消えゆく向こう側に、空は未だ白さを取り戻さない、キラキラと浮かぶ数々の星を、黒乃は橋の上で大の字に寝転がってみていた。
「ハァッ……ハァッ……うっ……今になってまた気持ち悪い……」
体力の少ない脆弱な身体に鞭を打っていた反動に苦しむ中、満天の夜空の景色を汚す顔が、にゅっと出て湧いた。
「──おめでとうつってね」
鴉間のニヤけた顔だった。
鴉間が何処から近づいて来たのか、黒乃は全く気付かなかった。
気付けば、ずっと遠くで鳴っていたサイレンの音も消え、橋の上は静かな夜が満ちていた。
「ハハ…………約束、守ってくれたんだな……」
「……さぁて…………急いでいるんだろう? 願いを聞こうかねぇ」
クリアされた悔しさを、少しは滲ませてくれるかと黒乃は思ったが、相変わらず瞬き少なめで鴉間はニタニタと笑っている。
何を願うかは、黒乃の中で既に決まっていた。
「──デスゲームシステムの廃止」
間髪入れずに黒乃が答えたその願いは、今どこに居て、どんな窮地に立っているかはわからない皐を救う為のものだった。
鴉間もまた、瞬く間に返答を返す。
「──無理だねぇ」
「はぁ……やっぱなぁ……」
「何だ……検討ついてたんじゃないかぁ。人が悪いよぉ黒猫君?」
「運営にとって不都合なことは無理って言ってたからね……試す意味合いじゃなくて、駄目元で言っただけだよ」
黒乃は全身で天を仰ぎながら、鴉間はその黒乃の疲れ切った顔を覗き込みながら、二人は会話を続けた。
「命を失うこと自体のデータを集めている。死んでもらわなくちゃ困るのさぁ」
「ゲームであり……人体実験なんだもんな……」
「そうだねぇ」
「ありがちな、願いごとを増やせとかは?」
「ハッハッハ! 本当にそれを言う人間が居るとはねぇ……モチのロンで駄目さぁ。だってどうせ増えた願いごとで他二人の卒業を願って、自分も卒業するつもりだろう?
それを一回でも許せば、結局いずれは全員卒業出来てしまう……全プレイヤーの卒業を願うようなのは駄目と言っただろう?」
はぁ、と黒乃はわかっていたけど、という風に笑みを交えて溜息を夜空へ放った。
「増えた願い事で、二人の卒業を願わなかった場合も?」
「おや……叶えたい夢は沢山あるのかい?」
「…………ないか。僕の夢は……もう叶ってるんだもんな……」
「ククク……そうだろうねぇ」
PL──事前登録者である黒乃の、ゲーム世界へ入り込んでみたいという夢は、既に叶っている。
鴉間はそんな黒乃を見透かしていたようだった。
「じゃあ仕方ないから──プレイヤーキル制の廃止で勘弁してやるよ」
黒乃が仕方なさそうにポツリと言った。
鴉間はニタニタとした笑みを保ちつつもあっけに取られたようで、頭をポリポリと掻きながら、少し困り顔にして笑みを続けた。
「…………これは……拒否する材料がない……か……?」
「駄目なわけないよな? だって死ぬこと自体は魔物によって残されているし、願いごとも二つのままだ」
「……君さぁ……値引き交渉術じゃないんだからさぁ……最初に無茶に聞こえる願いを言って、本命をまるで小さい願いであるように見せたねぇ?」
黒乃は鴉間から視線を外して、夜空に向けて、ハハッと笑い声を吐いた。
策略を見抜かれた肯定を示すものだった。
それに対して鴉間も、フフフと不気味な笑みを返したのは──願い事が受理された何よりの証だった。
鴉間は何やら、自身の首元へ口を傾けボソボソと呟きを落としている。
どうやらインカムか何かが仕込まれているようで、何処かに居る運営と連絡を取り合っているようだった。
「さて、これで願いの一つは叶えられたよぉ?」
「どのくらいで反映される?」
「ホント直ぐだねぇ。多分あと数秒もすれば全プレイヤーに通知が──」
ポコン──と、黒乃の視界右に、「!」のマークが浮き出た。
急ぎ指で触れ、パネルを展開させる。
丁寧な注意事項が長文として並べられてはいるものの、要約すればプレイヤー間の攻撃は互いのHPに影響を与えない、というものだった。
「何でこんな願いごとぉ?」
「今、皐がどっかで戦ってるかもしれないんだ」
「追いかけて助ければ別の願いに使えたかもって……あー……何処に居るかわからないのぉ?」
「そ。神田方面に行ったのは確かだけど、行っても見つからなくて皐がやられたらって思うと、願い事を使うしかない」
「うーん……そもそも相手がプレイヤーとは限らなくなぁい?」
「や、限るね。僕と皐はこの一週間、何度も秋葉原で魔物に追われた経験がある。
ボスならまだしも、雑魚相手の対処法は身に付いてる筈だから逃げれないわけはない。それでも危険が迫ってるとしたら、やっぱりあの橋に訪れたプレイヤーしかない」
黒乃の憶測は半分がハズレだった。
皐へ迫っていた脅威はサキトではなく、その後に皐を囲んだ無数のプレイヤーだった。
そうなっていることも知らず、しかし結局のところ皐へ危険を及ぼしている相手は魔物ではなくプレイヤーであり、その間柄で行われる戦闘からHPへの影響を取っ払ったのは、皐にとって救いだったことに違いない。
「じゃあ……残りの一つを聞こうかねぇ。まぁ聞かなくてもわかっちゃいるけどさぁ」
「あぁ……御伽りんごの天使病を消してくれ」
「フフ……まぁ……それが目的だったんだもんねぇ」
「ただし──」
「おや? ただし?」
「……多分、純粋に悪意だけではなくて、天使という職業を再現するのに必要だから天使病を発症させたんだろ?
御伽さんはそんな羽のことを誇りに思ってるんだ……例え命を奪う羽でも……自分の個性だと思ってるんだ…………だから羽を失くさないままに、天使で居させてあげたい……それってシステム上可能なのか? いや願い事なんだから可能にしてくれよ……」
畳みかけるように言う願いに、鴉間はうーんと唸りを上げて聞いていた。
「何とも難しい願いだねぇ……羽を生やすイコール命を吸う、だからねぇ」
「頼むよ……勿論、今後羽を成長させてもリスクは無しだぞ」
「まぁ、別に断る気はないさぁ。何だか一つの願いごとには聞こえないような気がしなくもないけどぉ」
「ははは……じゃあえっと……天使の職業がもたらす全てのリスクを消せ、かな……」
「はぁ……別に一言で言えばいいってもんでもないけど……まぁいいさぁ。言われた願いを叶えなければ公平性が保てないからねぇ」
初めて鴉間から笑みが失われた様子が、リスクのない天使の再現が如何に難しいかを物語っていた。
普段見ることのない、開発者の顔をしながら口元を襟元まで下げて指示を飛ばしている。
暫くすると指示出しは完了したのか、溜息を一つ払ってから視線を黒乃ではなく橋の上へやった。
「しかしまぁ……よく思いついたもんだ」
視線の先にあったのは、淡く光りを放ち続ける、不可侵の盾だった。
「これしかないって感じだったけどな」
「これ黒猫君の? だとしたら君、家や学校に使ってないわけぇ?」
「それは皐のだ」
「え? クマ君は家とかで使ってないの?」
「はは……奇跡が起きてたんだよ……皐が異世界23区の世界に入って久しぶりに会った日、色々あって皐の家に行ったんだ」
皐が小町のクナイにより、毒に倒れた日のことだった。
「その時ビックリした。皐の家にはモンスターが出なかったんだ」
「え? どしてぇ?」
「僕と皐の家は、半径500メートル以内にあったらしいんだ」
「っはぁ! それはまたラッキーだったねぇ」
黒乃が自分の家に使った銅像の、その効果範囲内に皐の家はあった。
「僕はもう一つを学校に設置した。つまり同じ学校に通う皐にとっては、二つとも使う必要がなかったんだ。
まぁ一つは御伽さんの病院に使うことになって、元々もう一つはバイト先で使う予定だったけど……今は一週間休んでる最中で、結局ゲームに参加してからは一度もバイトへ行ってないんだよ」
「この先バイト行く時はどうするのさぁ」
「言ったろ。学校には僕が置いたんだ。御伽さんも同じ学校……御伽さんの銅像が一つ余ってるんだよ」
「っはぁ。全くなんというか……機転が利く子だねぇつって」
「ははは……小賢しいだけだよ……」
徐に鴉間は再びインカムへ口を近づける。
どうやらりんごから天使病のリスクが払われた報告を受けているようだった。
「──さて、これよりは勝利者インタビューだ」
視線を黒乃へ戻し、パンと手を叩いた。
②
「……へ?」
「いやなに……これも人間に関する研究の一つだ。聞きたいことが一つあってねぇ。出来れば嘘をつかずに教えてくれると助かるよぉ」
「な、何……?」
「そんな怯えなくてもぉ!」
「いやインタビューなんか受けたことないからさ……」
「もう一度、同じことを聞くだけなんだけどねぇ──君、どうして二人を助けたんだぁい?」
「や、だから──」
「言っておくけど明日のゲームがつまらなくなる、なんてのは答えじゃないよぉ?」
「っう……」
鴉間の先手が如何に鮮やかだったかを、黒乃が言葉に詰まる様子が物語っていた。
「もっと言えば、友達だから、なんてのも御免被りたいねぇ。そんな正義感だけで、ほぼ倒すことは不可能であろうボスに挑むなんてのは……単なるゲームとは違って自分の一つしかない命を懸けるっていうのは……いささか説明不足ってもんだよぉ?
自分に関する願いを言わなかったのも同じだぁ」
「うぐ……」
「聞きたいもんだねぇ。願いで大金持ちになれたんだよぉ? それだけで大好きなゲームが一生出来るってもんなのにさぁ」
相応の理由を聞かないことには黒乃は解放されそうになかった。
黒乃は少し恥ずかしそうに口を開いた。
「答えるけどその前に……お前、プレイヤーの過去について、一体どのくらいまで知ってるんだ?」
「うーん君が母子家庭で、クマちゃん親父さんは暴力団組員、今は刑務所で母親とも別居中……そのくらいかねぇ」
「一体どこでどうやって調べるんだそれ……」
「あっはっはぁ……言ったろ? コネクションは沢山持ってるのさ」
黒乃は首だけを起き上がらせ、未だ鴉間と自分しかいない橋の光景を見渡した。
「……警察組織も、か」
「……フフ……コメントは控えさせてもらおうかねぇ」
「連行された人が死なない理由はそこか……きっと連れて行かれるとFPSゲームみたいに追い出されるんだろ……」
鴉間が現れた頃にパトカーのサイレンなどの喧騒や鳴り止み、それでも未だ警官が橋に戻って来ないのは、ひょっとすると鴉間が言うコネクションに手を回したのかもしれないと思う黒乃だった。
「知ってるかわからないけど……皐が小学生の頃、その親父さんに暴力を受けてたんだ」
「おや、それは知らなかった」
「……ある日、皐が痣を大量に作って登校した時、事情を聞いたんだ」
「っへぇ、放っておけばいいのにねぇ」
「うん……皆そうしてた。関わらないほうがいいだろうってさ……でも僕は……話しかけてしまった」
──不幸に付け込めば友達になってもらえると思ったから。
鴉間に言わないまでも、黒乃は心の中で言葉にしていた。
「その日……僕、何もしなかったんだ」
「まぁ……子供に出来ることってねぇ……あんまりないよねぇ」
「うん……その通りだった……どうしていいかわからなくて、自分から事情を聞いたのに関わらないようにした……逃げたんだ」
「まぁでも……別に当然じゃなぁい?」
「それが普通なのかどうかはさておいて……その日の夜も、いつものようにゲームしたんだ。それが……全然楽しくなかった……僕がゲームしている間にもあいつはきっと殴られて……折角話してくれたのに何も出来なくて……それが気になって、全然ゲームを楽しめなかった」
黒乃がランドセル一杯にカメラを仕込んで持っていったのは、その次の次の日のことだった。
皐の知らない、黒乃が苦悩した空白の一日だった。
「それが……明日のゲームがつまらなくなる、に繋がってたわけかぁ……」
「僕……当時からゲーム以外全然興味が持てなくて……何て駄目な子供なんだろうって思ってた……変わりたいと思ってた……けど……皐が殴られてるってことを知らないフリをして通そうと思った時……自分が変わったのを感じた」
その変化は黒乃が思い描いた、強く輝かしい変化ではなかった。
罪悪感と後悔で自分の心を押し潰した、とても歪な形への変化だった。
「子供心に……その時理解した。あぁこういうことが、ゲームやアニメ、ノベルで言うところのタイムリープして消したい過去ってやつになるんだろうなって思った」
その時、握っていたコントローラーを置き、過去の事例をウェブで調べ上げ、児童相談所へ電話し、母親にカメラを三台ねだって、次の日皐へ手渡したことを鴉間へ説明した。
小学生の子供がそこまで一人で考え、行動を起こしたのは称えられるものがあると鴉間は思ったが、当の本人に自慢げな様子は一切なかった。
むしろ、未だに後悔の念に囚われているような、悲痛な顔だった。
「何とかなった後もずっと考えてた……一度は皐を見捨てたことが、ずっと頭から離れないんだ。
──後悔ってさ、頻度は落ちても色は褪せないんだ。
そうすると人間って都合良いからさ、後悔で胸が痛むことから逃げたくて、仕方なかったんだって自分に言い聞かせるようになるんだよ……そのマインドコントロールには……呪いという副作用が、状態異常があった……。
罪を必死になって隠そうとしている自分自体、褒められたもんじゃない……元から少なかった自信は、更に失われた……自分は無力で駄目な奴だって……その呪いから抜け出せなくなってしまったんだ……」
呪いは自己を歪め孤独感を強めた。
そして孤独感故に異世界へ行きたい、逃げたいという想いは一層強さを増した。
異世界転移という現象は、記憶は持ち越しても過去は捨てられるかもしれない。
黒乃はそう考え、異世界転移に希望を見出していたのだった。
「黒猫君は二人を救えなければ……今度こそ逃げ場がなくなると踏んだわけかぁ」
「そういうこと。だからお前の納得する答えとしては、自分の為ってやつだよ。
もっとも……孤独から抜け出す方法は、元居た世界に……現実世界にこそ在ったんだって……さっき気づいたけどね……」
鴉間は、返って来た答えに満足した様子で、ふふんと鼻で笑うと、徐に橋から続く道路の向こうへ顎をやった。
「そのご友人が到着したようだよぉ?」
「……っえ!」
鴉間は神田方面に視線を向けていた。
黒乃も急ぎ上半身を起こし神田方面へ目を凝らす。
遥か先に、上半身を露わにして猛ダッシュして向かってくる皐が見えた。
「ブッハッハッハ! 超むさ苦しい絵ですけどぉ!」
「おぉおおい! 皐ぃいいい!!」
大きく手を振って出迎えられた皐は、帰って来るなり頭を下げた。
「すまん、クロ」
「あぁ、願い事? 気にすんなよ」
黒乃は即座に謝罪の意を察した。
「クロは願い事の一つをプレイヤー間の攻撃禁止に使ったのか」
「うん。効果あったか?」
「あぁ、絶妙のタイミングだった。あのサキトという男は倒したんだが、他に沢山のプレイヤーに囲まれてな。流石に駄目かと諦めかけながらも交戦していたら、急に相手の名前が青くなって攻撃を与えてもHPが減らなくなった」
黒乃が減らしたボスのHP量は、時間に直せばものの五分といったところだった。
たった五分短縮しただけのことだったが、その五分で皐の命を繋いでいた。
「マジか……え、その後どうしたの?」
「何人かはっ倒したら逃げていったぞ」
「あぁ……単なる実戦なら中々に敵なしだもんな……っていうか空手で暴力は禁止だろ」
「正当防衛は暴力に入るのか?」
「………………入らないです」
「うむ。そうだな」
凛々しくごん太の眉毛を立てて頷く皐だった。
慣れたやり取りを交わすと、黒乃は急に駅へ向かって走り始める。
「鴉間! 次のイベント待ってるからなぁ!」
「えぇ……誰も次もやるとは言ってないんだけどねぇ」
「ハハッ、お前はやるよ! 公平で残忍だからな!」
「ハハハ……正当な評価をどうもぉつってね」
二人は鴉間へ手を振り、走り出す。
鴉間もまた、相変わらずニヤニヤとしたまま手を振り返し、二人が去って行くのを見ていた。
「そんなに急いで何処へ行くんだ」
「決まってるだろ。病院だよ」
「……今、四時前だぞ。入れてもらえないんじゃないか?」
「壁昇って入る」
「…………そうか」
凡そ五〇分後の始発を、二人はじっと待つことが出来ず、りんごが眠る病院の在る渋谷までの道のりを出来るだけ短縮しようと、次の駅である神田駅方面へ向けて走り出した。
途中途中で現れる異世界23区のプレイヤーが、リリーにより伝えられていたクリア者の名前である黒猫を見かけては、未だ頭上に名乗りを残してゲームに残っていることへの驚きを表していた。
同時に畏怖も、そして称賛も。
誰も黒乃へ近寄り声を掛け、激闘の詳細を聞いたりすることはなかった。
そうやってプレイヤー、《黒猫》に数百の数の、静かなる称賛と畏怖が浴びせられると共に、異世界23区の初めてのイベントは終了していた。
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