5-3 メンタルダンジョン

 ①

 万世橋の中央から夜空の黒色が遠くまで伸びていた。

 両脇からビルが黒色を挟み込み、橋の下には川が流れ、僅かな月明かりを泳がせていた。

 ビルと同じように、夜空を中央に挟んで向かい合う猫が二匹──それぞれ人間が猫化したような姿で、四つ足をついて威嚇し合っている。

 

 黄金毛並みの猫は、確実な殺意を込めて相対する黒猫を見ていたが、黒猫のほうはそうでもなかった。

 警戒心こそボスであるバステトへ向いてはいるものの、心は其処になかった。

 ──皐は無事なのだろうか。

 視界の左下に収まる、皐のHPバーを横目にボスへ警戒の視線を注いでいた。


「ボスならまだしも……皐が人間に負ける訳がないよな……」


 猫神に言葉は通じないことが分かっていても、内なる不安を吐露していた。

 勿論返答はない。

 ボスは橋の石畳風の地面を蹴って宙で月を背負う。

 まるで黒乃の問いに反応を見せたかのように、タイミングが偶然重なった。


「《殺意の手料理ファッキン・オム・スタンプ》!」


 巨大な皿が黒乃の頭上へ落下する──四つ足を強く弾いて飛び出すと、ドデカいオムライスが橋に沈む轟音が、直ぐに頭の中へ直接の形で響いた。


「でも……小町の時のような……大変なことになってたらどうしよう……」


 オムライスが粒子に変わり溶けていく中で、再び不安を零していた。


 黒乃には最悪を想定する思考が染みついていた。

 それは自覚のないトラウマという呪いに等しい。

 幾ら皐が小さい頃から空手を習っていて、肉体も鋼のようであり、戦闘経験が豊富であっても──ゲーム世界の戦闘においては問われる是非が違う。

 そのことを身をもって恐怖させられたのが、渋谷で毒を喰った時のことだった。

 あの時、深く思い知った。

 最悪を想像して動かなければならない。

 明日のゲームを楽しみたいのであれば、常にグッドエンドを目指して最良の選択を取り続けなければならない。

 そして──黒乃の胸にこびりつく呪いの数は一つではない。

 黒乃が黒乃へ問いかける──。


 今も──御伽さんが苦痛に横たわるよう背中を押したのは──誰だ?


「ぅ……ぁああ……わぁああああああ!!」


 りんごの痩せこけて骨の浮いた腕が、黒乃の肩を掴むような──仄暗い映像が頭の中で再生される。

 ボスからの猛攻と自身を汚染する呪い。

 その両方を振り払おうと、目を血走らせながら万世橋の上を駆け回る。


「早くクリアするべきだ……早くボスを倒して皐のところへ行かなきゃ……」


 苦い記憶に基づいて、一つの答えを導き出していた。

 もう誰も、自分に関わる人間が危険な目に遭って欲しくはない。

 その焦りが、どれだけの時間で皐の元へ駆け付けられるのかを計算させる。


「毒は三〇秒で1%の固定ダメージ……今のボスのHPは約半分だから単純計算で二五分間しのぎ切れば勝てる……更にダメージを加えれば、ダメージを与えた分だけ時間は短縮出来る……」


 最大でも二五分。

 二五分間、皐が無事である保証は無いのだから、出来るだけ攻撃を加えて時間を短縮するべきだ。

 しかし、その答えの続く道は、もう一つの救助形態に対しては通行止めだった。


「………でもそれだと……叶えられる願いは二つになってしまう……」


 クリア時、もしも皐が10メートル以内に居なかった場合に叶えられる願いは黒乃の分だけである。

 それはりんごの命は救えるものの、全員揃ってゲームは卒業出来ないことを意味する。


「──《ワンコインの機械六触手ユーフォー・アーム》!」


 展開された六つの魔法陣から、機械の触手が迫り来る。

 黒乃がしかと見開いた猫目は、全ての触手の動きを鈍化させる。

 六本全てを躱し切った後、猫神には大きな隙が出来ることを知っていた黒乃はボスの背後に回り込んだ。

 ガラ空きになった背中を見つめ、一撃も浴びせることなくボスから距離を取った。


「僕は……お前のHPをなるべく削らずに二五分間、皐を待つべきなのか? それともなるべく攻撃を加えて、早く皐を追いかければいいのか……?」


 うにゃぁ──と、まるで答えたかのように八重歯を覗かせてバステトは黒乃を正面に捉え直す。

 地を蹴ってメイド服のスカートを靡かせ、黒乃に爪を薙ぎ、スキルをお見舞いしようと猛攻は引き続く。

 一発でも、掠っただけでも終わり──そのシビアな命のやり取りの中でも、黒乃は思考を巡らせていた。


「一番最悪なケースは……一撃も与えなくて二五分待って……それでも皐が戻って来ない時って……それってもう皐に何かあった時ってことじゃないのか……?」


 上空にコントローラーを握る自分が、バステトの隙を発見した。

 ──手を出せ。

 ──皐を助けられなくなる前に、一撃でも多く殴れ。

 最悪を想像する黒乃が攻撃を要請していた──しかし。

 黒乃は手を出せずに飛び退いた。


「っ……だって……願いごとが二つになるって……この世界から二人を出してやれないってことだろ……? 

 運も味方して……無理だと思ってたボスに勝てそうで……折角此処まで頑張って……二人を異世界23区から出してあげられそうなのに……それが無理ってことだろ!?」


 自分がこの世界を脱することはどうでもよかった。

 だって自分は狂ってしまっていると言われたのような奴なのだから。

 この命を落とし易い世界を楽しんでしまっている──現実生活よりもゲーム世界での生活のほうが楽しいと感じてしまっている。

 そんな自分は置きざりで構わない。

 けれど二人は違う。


 りんごは元々が恐怖的世界だと知らないままに逃げて来たし、現に後楽園ではこの世界へ来たことを後悔したように怯えていた。

 皐とは小さい頃に交わした約束はあるものの、守っていかなければならない妹という家族がいる。

 二人にとって、異世界23区の中へ身を置き続ける必要はない筈だ──と、黒乃は自分の物差しで二人の心境を推し量っていた。

 どうにか願い事を四つに整えて二人を逃がしてやりたい──それが根本的解決であり、最大の思いやりだった。

 だからこそ、皐を待つべきか追うべきかの選択はどちらとも決められないままに、ボスからの猛攻を躱し続けていた。


「どうすりゃ……いいんだよ……なぁ!?」


 手を出せない代わりに言葉を投げつけて、バステトに真意は伝わることもなく、ボスもまた言葉の代わりに爪を、スキルを黒乃へ返し続けた。




 ②

 迷路の入り口は皐を追うか待つかという、非常にシンプルなものだった。

 にも拘わらず、本来ある筈の出口はどうして見当たらないのか、黒乃にはわからないままであり、試行錯誤しては行き止まりにぶつかってを繰り返しながら、橋の上でジレンマを抱えて飛び回っていた。

 その迷路の道はどうして入り組んでいるのかもわからないままに、黒乃は彷徨いを続けているようだった。

 

「……元々ゲームの卒業さえすれば天使病はゲーム内のことなんだから、治ったりするんじゃないか?」


 そうやって出口らしい答えを見つけては、何を言うわけでもないボスへ聞いてもらっていた。

 もしもゲームを辞めると同時に病気も治るのであれば、だとすれば願いは二つで構わない。

 皐とりんごの卒業。それだけで構わない。

 しかし、再び最悪を想定する内なる黒乃が口を開く。

 ──ゲームを辞めたからと言って、頭の中のチップが無くなるわけじゃないだろう?

 

「っ……そうだ……公平で残忍な運営であることを忘れるな……ゲームを辞めても病気が治る保証はないんだ……」


 彷徨いは継続されるようだった。


「……一つで御伽さんの回復を願って……もう一つで御伽さんの卒業を願う……皐とは約束もあるし……暫く付き合ってもらうとして……もう一度来るであろうイベントボスを倒す……それでいいんじゃないか!?」


 今までの案に比べれば、解決の糸口は見つかったような感触は有り、難解なパズルが段々と完成していくのを感じていた。

 この決断を皐に伝えたところで、「そうか」などと鼻で笑って付き合ってくれることだろう。

 御伽りんごはつい二週間ほど前に知り合ったばかりの、未だそう親睦は深くない友人だ。

 彼女を異世界23区から出した後でも、今ほど一緒に居る時間は無いにしても関係は問題なく続けられる。

 ──それでいいじゃないか、それがベストだ。

 しかし──。


「──それ、ホントに友達か……?」


 電車で一緒に帰ろうと──そんな当たり前の会話にさえ涙を滲ませるりんご。

 友達になろうと──そんな言葉で涙腺を決壊させてしまうりんご。

 自分に褒められる為に──命を懸けて羽を成長させたりんご。

 そんな彼女をゲーム外へと押し出し、自分と皐が残る。


「……取り残されるのは……どっちだよって話か」


 肝心なところで、大事なピースが一つ足りないようだった。


 結局、ふりだしへ戻る。

 皐を追うべきか、待つべきか。

 それはわからないままだが、確かなことが一つだけあり、それはボスに追われながらも皐を追いかけるのはしてはいけない、ということだった。

 それではサキトいう他プレイヤーを皐が引き離してくれた意味がない。

 仮にそれでも皐を追いかけたとして、途中で他のプレイヤーに出会うかもしれない。

 既に皐が去ってから一〇分の時間が経ち、ボスの残りHPが30%を切っている状態を他のプレイヤーに見せてしまえば、横取りされる可能性は大。

 時間に直せば、ボスが死ぬまで残り一五分。


「……あ。そっか! 電話!」


 一〇分経った今、ボスという脅威を目の前にしながら、危険を冒しながらでも現状を把握する価値はある。

 ──もしかすると、もうサキトというプレイヤーを倒して此方へ向かって来ているかもしれない。

 もしそうなら悩んでいること自体馬鹿らしい。

 そう思い、ボスに目をやりながらもガサゴソとポケットから携帯を取り出す。

 放たれたスキルをしっかり躱し切って、ようやく携帯を目で見て指で操作──しかし皐は電話には出ない。

 

「出ない…………出れない状況ってことは……あまり良い状況じゃないってことだよな……」


 悩まなくて済むかもしれないと縋った気持ちは、むしろ切迫させられる状況となって返ってきてしまった。

 皐のHPは万世橋を出た時から減ってはいないものの、少なくとも電話に出られるような状況ではなく、橋へ帰って来られる状況にはないことも予測できる。

 黒乃は迷い込んだ迷路の中、遂にどう歩いていいかわからなくなった。


「……どぉ…………どぉすりゃ……どぉすりゃいいんだよぉおおおおおおおおお!!」


 黒乃の中に溜まった鬱憤は、遂に破裂を得た。


「──《景品爆弾ファンシー・ボム》!」

「っるさいなぁああああ!」


 バステトが作り出したぬいぐるみが爆発し、ピンク色の雲が橋の上に浮かぶ。

 雲の合間に見えるボスの隙──攻撃したい。

 早く倒してしまいたい。

 拳はずっと固く握られているのに、それを前に突き出せない。

 

「ぅ……ぅううううううう!!」


 攻撃していいのか未だにわからない。

 

「──お前…………何易々と友達作ってんだよ! 元々独りが好きなんだろうが!」


 お前──僕、だった。

 出していいかわからないパンチの代わりに、大声を突き出した。

 言葉が伝わらないことは分かっていた。

 単純な八つ当たりだった。


「独りのほうが気楽でいいって、あれだけ思ってたじゃないか! ほれ見ろ! 結局救えるかわからないで苦しむ羽目になってるじゃないか!」


 バステトの爪が飛んで来た。

 躱した。

 カウンターの代わりに──言葉を出し続けた。


「どうして二人と友達になった!? あれだけ独りになるように計らって来ただろうが!」


 バステトの蹴りが飛んで来た。

 躱した。

 蹴り返せないから──また言葉を返した。


「二人が困ってたからだ! 助けてあげなきゃ……明日のゲームがつまらなくなってしまう……御伽さんも皐も、友達という存在が必要だったんだ! それが二人にとって救いだったんだ!」


 バステトのスキルが飛んで来た。

 躱した。

 防御ですら一撃で殺されてしまうだろうから──自分の心を守った。


「嘘だ……そんなもんは嘘だ! 純粋なる優しさじゃない……僕が寂しかったからだろうが!

 僕は子供の頃からゲームしかないような駄目な奴だと分かってた……何もない自分がどうやって他人と関わっていいかわからなかった……。

 困ってる人相手なら、自分が何も持ってなくてもいいもんなぁ!?

 なんて……なんて卑屈な野郎だ……」


 バステトが放つスキルの合間に隙を見た。

 手を出せずに距離を取った。

 攻めることが出来ないから──自分を責めた。


「優しさでもなんでもない……明日のゲームがつまらなくなるなんて……そんなの言い訳だったんだ……。

 お前は二人に降り掛かった不幸に付け込んだだけだ……不幸な二人なら、何も持ってない自分でも、少し助けてあげれば友達になってもらえるかもしれないって……そう思ったんだろ!?」


 気づけば涙は溢れ、声を枯らして叫んでいた。

 大好きだったゲームは、何一つ楽しくなかった。

 ──人と関わったからだ。

 友人二人の存在が、ゲームの邪魔をしているような気がしてならなかった。


「僕は……どうしてこんなに……折角手に入れた友達を、疎ましく思ってしまっているんだ……」


 自分の中にありながら、正体を不明としている想いを紐解いていく。

 ──何故、友人が居るとゲームを楽しく思えないのだろう。

 ──何故、それだけ欲しがった友人を手放したがっているのだろう。

 その答えに、この迷宮の出口がある気がした。


「あぁ……そっか……僕は未だに……ゲームしかない自分に怯えているんだ……」


 そもそもが不幸に付け込んでスタートした関係だった為に、最初に得た自分の優位性がいつ失われてしまうかと怯えていた。


「そうだよな……二人を助けたことで自分は何か変わったわけじゃない……相変わらずゲームしかない自分だ……二人との距離がどんどん近づいて……それがバレてしまうのが……嫌われるのが怖かったんだ……。

 自信のない自分では……二人を助けてあげられそうにはなくて……無力な自分を痛感するのが苦しかったんだ……」


 無力な自分を自覚してしまえば、友人関係になる前へと逆戻り。

 何もない自分を自覚する寂しい日々が返って来る。

 堂々巡りだった。


 「なんだよ……なんだよそれ……出会う前は二人の不幸に付け込んで、出会ってからの不幸は疎ましく思ってるのかよ……なんて醜悪な身勝手さだ……」


 入り込んでいた迷路を彷徨う、その視点に間違いがあることに気付いた。

 まるで迷路の中を歩く冒険者のような、二人を救う為に奮闘する勇者のような正義を掲げていたつもりだった。

 しかしその中で見つけ、開いた箱は宝箱ではなくパンドラの箱。

 見つけた時の得る筈の爽快感や達成感は一切なく、酷く歪んだ自己防衛を見つけてしまっていた。


「醜い……まるで……モンスターのようだ……」


 自分はダンジョンを彷徨う魔物側だった。

 勇者なんて存在とはまるっきり真逆の存在だった。


「二人を異世界23区から救い出したかったんじゃない……! 二人を追い出したかったんだ! もう一度独りになる為に!」

「フルニャァ……」


 バステトはHPを緩やかに減らしながらも八重歯をニヤリと覗かせた。

 ──僕は人生を投げ打ったのではなく、逃げたんだ。捨てたくなるほど、何もない人生だったんだ。

 内なる自分から返ってきた言葉なのに、まるで目の前に居る亜人の立体映像から嘲笑を送られたようだった。


「そうだよ……特技もない! 運動も苦手! 勉強も出来ない! 困ってる人相手じゃないと、話す理由も見つけられない!

 何もないから……独りだから……だから異世界へ逃げ込んだ! 独りなら……誰も僕を知らなければ……自分が駄目でも誰にも迷惑を掛けないもんなぁおい!」


 バステトのスキルが橋に落ちた。

 ──異世界へ行けば変われると思ってたのにな。

 上がった爆音に、怒鳴られているようだった。


「変わってない……何一つ変わってない……二人と居続けて、そんな自分を自覚したくなくて……だから謝るなとか感謝するなとか言って、二人との距離が近づかないように計らってるだけだろ!」


 バステトの爪が頭上を薙ぐ。

 ──何もない僕は、二人を今まで守って来たじゃないか?

 バステトの牙が鼻先で空気を噛む。

 ──初心者相手にゲーム経験者っぷりを見せつけてやったじゃないか?

 バステトの長い尾が、気持ちを揺らす。

 ──もっと得意気になればいいじゃないか?


「僕は格ゲー世界大会で一位でも獲ったのか!? eスポーツでオリンピックに出れるのか!? あぁ!? 違うだろうが! 自慢出来るほどでもない腕を、無理にでも誇りに思おうとして……。

 何もない自分を認めたくなくて! そんなのは単なる思い込みで、埃だろうが!」


 ──二人が死んでしまうのは怖かった、大切に想ってたことは嘘じゃない。

「…………じゃあ……早くお前を倒すべきだ……どうしてそれをしないんだ……」


 ──無力な自分を自覚したくない。粗末な自分さえ大切だからだ。

「そう……だ……何処まで行っても……折角欲しかった友達が出来ても違う世界へ行っても……自分自分自分自分自分自分自分だぁああああああああああああああ!!」


 ──結局、自分なんだな。

「……そうだ……ホント……最っ低な野郎だ……」


 ──答えは決まりだ。二人を助けるだけ助けて、自分は独りになればいい。そうすれば後悔も残らないで、またゲームに専念できる。無力な自分に怯えることももうない。

「……そう……だな……」


 ──肯定的な零しとは正反対に、頭の中では二人に関する記憶が次々と溢れ出た。

 渋谷では慣れないパーティープレイをして、ゲームそのものに不慣れな皐が、ゲームを楽しいと言ってくれた。

 りんごは自分を認めてくれる黒乃の為に、羽を成長させ、そして嬉しそう笑った。

 そんなりんごの行動は、別に黒乃の為ではなく自分自身の存在意義の為であると知りながらも、黒乃はそれを愛おしく思った。

 溢れ出る楽しかった記憶と共に、溢れ出る本音があった。

 ──独りに戻りたくない。

 難解なパズルは、歪な形のまま完成するかと思われた。

 正解には限りなく近い。その醜悪な手応えは残っている。

 しかし再び、大事なピースはやはり一つ見つからないような気持ちが込み上げる。


「……なんか変だ……僕は……どうしてそこまで独りになりたいんだ……?」


 ──寂しさを感じない為に。

「最初から独りなら、寂しさを感じることもないもんな……でも──」


 ──矛盾。

「──矛盾……してないか?」


 ──何処が。

「孤独になろうとすることは……孤独そのものじゃないか……」


 ──本当は抗うべきだった。

「逃げるべきじゃなかった……二人を遠ざけても孤独は解消されないんだ……」

 ──逃げたいほど、独りが嫌いだ。

「なんだよ僕……独りが好きとか言って……孤独が嫌で逃げ出すほど……孤独、大っ嫌いなんじゃないか!」


 ──《ワンコインの機械六触手ユーフォー・アーム》、とボスが叫んだ。

 六本全ての機械の腕を見切った猫目は、ボスの背中を睨みつけていた。

 黒制服に引っ掛け直していた剣のグリップを強く握り込んだ。


「──アーマースラッシュ!」


 バステトのメイド服が破損し、十字模様を中心にして、その欠片が散っていく中で出した答えの手応えを噛みしめていた。

 ──そもそもが孤独が嫌で逃げ出していて、その原因は二人にはなく、自分にある。

 自分の無力さに気を取られる余り、二人が困っていなければ近寄れもしない。

 本当に必要なものは、そんなものではない。

 ボスの衣服が弾け飛ぶように、二人との間にある壁を壊すことこそが、自分を救うのだ。


「たった一言……たった一言でよかったんだ……『一緒にゲームしようよ』って……それを言うだけでよかったのに……」

 

 それはりんごと友達ではない状態では言ったことがあるものの、二人には友達として放ったことはない言葉。

 壁を壊していく勇気ある破壊行為。

 

 迷宮の出口は恐らく、全てが塞がれていたのだ。孤独感とはそういう抜け道のない迷宮だったのだ。

 だから人はきっと──この壁の向こうに出口があると当たりをつけて、壁を壊して進んでいくしかないのだろう。

 孤独とは、そうすることでしか柔らかくならないのだろう──黒乃は答えを見出したようだった。


 そんな正解を見出しても尚、自分は傷つくまいと保護する自分が未だに問いかける。

 

 ──拒否、拒絶されるかもしれない。

「確かに怖い……怖いけど……ずっと怯えている怖さより遥かにマシだ……」

 ──そう、ボスよりも。二人を失ってしまうことよりも。

「結局は僕の為だけど……」

 ──自分も大切で、二人も大切だ。

「そうだ……だから正解は──皐を待たない! だ!」


 そして命ある二人に向かって、「今度は三人で行こうよ。一緒にゲームしようと」と言えばよかったのだ。

 そんな簡単なことに気付く為に、既に一五分使ってしまっていた。


 バステトの背中に十字が刻まれ、メイド服が壊れた。

 壁は──壊れた。


「──爪砥つめとぎ!」


 バステトは身を捻じって背後に居る黒乃へ爪をぶん回し、それを回避すると同時に地面を爪で引っ掻いた。


「──ギロチン・ネイル!」


 空中に現れた湾曲した断首刀がボスの肩を抉る。

 上空に視点を構える黒乃の集中力は最大限に達した。

 皐を待たずにボスを倒す──その答えに迷いはなかった。

 デバフにバフを上乗せして、たった1㎝という、それでも大きなHPの削り方をした。

 悩みに悩んでいた間に毒がボスのHPを食べ続け、残りは既に10%。

 残り五分。

 既に黒乃には大人しくその五分を待つ気はなかった。


「願い事は二つでいいんだ!」


 爪に爪を返した。

 スキルにスキルを返した。

 英才教育と呼べるゲーム感覚、ゲーム神経に、最大限に引き出した集中力を乗せ、大切な者を守りたい気持ちを更に上乗せし、その全てを黄色い猫目に集めて、必死にボスの攻撃を鈍化させた。

 隙を見出しては手を出し続けた。

 9、8、7%──。

 ボスのHPは毒効果と相まって速度を上げて減っていく。

 6、5、4%──。


「うぉおぁああああああああああああああああああああああ!!」


 単なる爪や鋼の剣での攻撃では、ミリ単位でしか減らないHP。

 秒単位でしか減らない戦闘時間。

 3%──。

 その時、視界左下にずっと捉えていた皐のHPが、ガクンと削れたのが見えた。

 皐の残りHPが、一瞬にして20%ほどまで減った。


「っ!」

 

 それはサキトの短刀を身体に受け、その隙を突いて羽交い絞めに落とし込んだ時のことだった。


「ぅるぁああああああああああああああああああ!!」

 

 途端に黒乃の手数は激増した。

 猛攻を猛攻で返した。

 最大かと思われていた集中力の壁は破られ、一撃に一撃と、自身の命など投げ打つ覚悟で黒乃は拳と剣を繰り出し続けた。

 残り1%──。

 か細い線のような隙でさえ、見つけていっては突っ込んだ。

 残り0.5%──。


 黒乃の前に立ちはだかった、孤独、体力、集中力──その、ありとあらゆるの壁をぶん殴り、ぶっ叩き、壁は破壊されていった。

 命の残り火を燃やしたボスがスキル、《肉球大行進キャット・ウォーク》を放ち──黒乃の頭上でどデカい亜人の手の平が迫る────。


『──全プレイヤーに通達。プレイヤー、《黒猫》がボスの討伐を完了しました』


 黒乃の爪や剣、スキルではなく、毒のダメージによって命を失くした亜人の立体映像は、細やかな光へと姿を変え、その粒子は黒乃の全身へ、上から降り注いだ──そして黒乃の身体を通り抜けるようにして、消えていった。

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