夜があけても

上高田志郎

夜があけても

 あの公園は、自転車で渡れば五分もかからないで通り過ぎたはずだ。歩いたことはなかったけれど、どんなにゆっくり歩いても十分はかからないはず。なんといってもまっすぐに伸びた高い木々が魅力的だ。もちろん木の名前は分からない。木や花の名前が当たり前に分かる人もいれば、まったく分からない人もいる。なんとなくクリスマスツリーに似ていて気もするが、下の方は枝がなかった。

 高校に通うようになって何度かその道を使うようになった。その日の気分で道順を決めていたのだ。

 公園の広さから言えば森ではなく林だろうか。木々が多いと森、それより少ないと林。だいたい自分の理解と世間の常識とそんなに外れていないはず。都心には電車で一時間ぐらいの街なら、まだそこらじゅうにちょっとした緑は残っていた。

 あの公園は森の公園と呼ばれていた。誰も林とは呼んでいない。広さはそれほどでなくとも、木々の高さが皆に森と呼ばせていたのだと思う。朝練に行くとき、自転車で公園を抜けようとすると、木々の根っこが地面から浮き出ていて、それが延々と波のように行く手を阻んでいた。こちらもそんなことはおかまいなしで走るのだけれど、四方八方から蹴っ飛ばされているような衝撃があった。抜けたころには足元はよく濡れていた。煙のような薄もやがかかっていてその中に突っこむ楽しさがあった。薄もやの中を人が歩いてくることもあった。犬の散歩を見かけたこともある。しかし、にぎやかな場所ではなかった。入口と出口には、ゴミ箱と小さな郵便ポストのような緑色の吸殻捨てが並んでいた。公園の施設と呼べるものはそれだけだった。夜は照明もないので、どんな理由があっても女が通ることはない。それでも「痴漢に注意!」という看板がないのは公園の周りを住宅が囲んでいたからかもしれない。やはり、それほど大きくない公園だったのだ。

 私は夜でも平気で公園を通り抜けていた。自転車のライトをつけた時のモーターの唸る音がやかましかった。公園の中から通りを走る車や外灯や家の灯りが見えた。高校生の男子、全国優勝するような学校で部活動に励んでいれば、怖いものなど何一つなかった。人間は不思議な勘違いをするということを私は小さい頃に学んでいた。これは私が人生で一番最初に自らの手でつかんだ教訓であり、人生の中心になった。

 幼稚園の頃だ。毎夜、毎夜、私は奇妙な音のとりこになっていた。それは私だけに呼びかけるようで、必ず一人目を覚ました。季節は夏だったと思う。網戸の向こうには光がさしていた。二つの大きな山脈は両親の寝ている姿だ。奇妙な音が何か生き物だということは分かったが、それは私の知識では到底知りようもないものだ。その音は、両親どころか、世界中が知らない生き物の声に違いないと思うと胸がときめいた。虫だろうか? それとももっと違う何かか? これが何日も続くといよいよ音の正体を確かめてみたくなった。私は月明かりのベランダへ二人を起こさないように四つん這いで進んでいった。海に戻っていく子亀さながらに。まさに冒険者の心境で手柄を立てて褒めてもらえると思っていた。音は一定のリズムでずっと繰り返していたが、時おり弱くなったり、また突然吠えるように大きくなった。私はその音の強弱になんとか意思を読み取ろうとしたが、無駄だった。ベランダには何も見つからなかった。二人を起こしてしまう危険もあったが、私は思い切って網戸を開けることにした。これが人生で初めて誰にも気づかれないように窓をずらした最初である。それだけの苦労をはらっても、ベランダには何一つ見つからなかった。月は昼間の太陽のように白々と輝いていた。とにかく音が続く間はあきらめきれなかった。世界中の誰にも気づかれることなくベランダを探している自分と、世界中で自分にだけ届く音。私は冗談ではなくこれが月の声なのではないかと思った。

 規則正しい音はすぐそばだ。うなりを上げ始めた音は、室内から聞こえてくる。ベランダではなかったのだ。私はベランダの柵から下を見下ろしていたのだが、自分のいた部屋を振り返り、いよいよ決着の時が来たと思った。耳をすまし、息を止めて音のなる方へ耳を寄せて行った。その音は母親の開いた口から聞こえてくる。まさか人間からこんな音が聞こえてくるとは思わなかったのだ。母は何かを飲み込んだのだろうか? それともこれは私の知っている母ではなくなってしまったのか。音の正体は分からなかったが、私は今までの神聖な感動が崩れていくのが分かった。

 あの夜、私はベランダから地上を覗いたが、無理に身を乗り出さなくてよかった。落下していたら、私の死は両親にとって永遠に謎のままだっただろう。

 時がたち、高校生になった私は家族で一番ひどいいびきをかいているらしい。私が先に寝てしまうと皆からの不平が辛辣だった。今では我ながら苦笑してしまうが、なんでも最初はあれほどに不思議に感じるものだ。未知との遭遇とはよく言ったものである。今となっては、目に見える全てにピントがあって、未知との遭遇にもなんら恐怖を感じることはない、世界との関係は良好で、世界は常に美しく、私の友人であり恋人であり、教師であり、奴隷だった。十七歳とはそういう年齢ではないだろうか。これから先も無知や単純な思い違いもあるだろうが、あの魔法がかかっているような夜は二度とやってこないだろう。夜の公園から見える窓の灯りの下で、幼い私のように、自転車のライトの唸り声を不思議に思っている者がいるだろうか。

 ある時期、いつもより朝早く家を出るようになった。朝練ギリギリで学校に到着するとろくなボールが残っていないのである。ボールをキープするのは純然たる早い者順で、そこに実力差は関係なかったのだ。その日はいつもより天気が悪かったのか、空は初めて見る色をしていた。朝なのに夜の色が落とし切れていないような感じだった。外灯が朝なのについていることが驚きだった。空気は朝なのに空の色は宵闇とでもいおうか、調子が狂うという言葉がぴったりだった。森の公園も初めて訪れるような心境だった。ちょうどゲームでいつものステージが微妙に変化しているような。

 朝が早いからなのか、天気のせいなのか、もやはいつもより濃いようだった。一瞬なにか光るものが見えて、照明かと思ったが、夜に公園の中で照明を見た記憶はない。なにか動いているようなので、先の方に何かあるか、人が光を出すものを振り回しているのかもしれない。虫か鳥か、大きさからいって虫ではなさそうだ。ちらちらと移動している。風に揺れているのだろうか? 公園の祭りか何かで枝に飾りでもつけているのだろうか? 近づいてはっきり分かるところまで来ると、それは人間の手のひらだった。手のひらが宙に浮いているのだ。枝にぶらさがっているようには見えない。宙に浮かぶ一面の手のひらだった。単細胞生物のように指を動かしていた。私は自転車を止めなかった。手のひらの中に知性を感じさせる動きをしている奴がゆっくりと拍手を始めると、ほかの手のひらもいっせいに拍手を始めた。しかし音はしなかった。私は自転車のスピードを一定に保った。慌てていない、まったく意に介していないというアピールだ。むき出しの木の根っこは罠のようだったけれども、転倒しなかった。転んだらそれで終わりだと思った。

 あの時転んでいたらどうなっていただろう。夜はさすがに公園を避けるようになった。朝は何度か通ったが、二度と出くわさなかった。十七歳という年齢はほとんど無敵だ。今の自分なら泣いてうずくまるだろうし、一生公園に近づかないだろう。十七歳の自分はあの光景を信じ、なおかつ恐れながらも立ち向かえたのだ。そして、大人になった私は、十七歳のころ持っていた勇気に出会うことは二度となかった。これから先もないだろう。


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夜があけても 上高田志郎 @araiyakusi1417

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