第7話 少しのあいだ目をつむること

 公園のベンチに腰を掛け、あたりを見回した。どこかからムクドリがやってきて、葉を失った柿の木の枝に足を置き、熟した実をついばんでいた。



 「私と居たら福山くんの人生は良くない方向に流れていってしまうかも」と私は言った。

 「宮野にそんな影響力ないよ」と彼は笑った。


 私が離れようとしているのを彼は感じ取っているのだろう。そしてそれでも私と居ることを望んでいるのだろう。でもどうして?



 「去年、大切な人が死んだんだ」と彼は言った。「それからずっと、自分の生きている意味がわからない。何をしてても空しいんだ。喜びも悲しみも他人のものみたいで。いつ死んでもいいんだけど、もし生きるなら、自分が誰かの役に立っていると思わないと生きていけないんだ。でもそういうのって偽善だし、そうまでして生きていく意味もわからない。だけど、宮野が認めてくれた。俺のやっていることは偽善だ。でもその偽善に救われているんだって」


 私は黙って話の続きを待った。

 「俺は宮野以外の人が嫌いなんだと思う」と彼は言う。

 「私も福山くん以外の人が嫌い」と私は言う。


 好きなんだ、とはお互いに言わなかった。きっと信じられないから。自分への好意よりも他者への敵意のほうが嬉しい。それはいつか来る別れが怖くて深入りすることに怯えているだけなのだろうか? そうかもしれない。そうではないかもしれない。どちらでもいい。歪でも信じられるならそれでいい。



 彼が友達と話している姿を見なくなっていた。福山くんは友達を捨て、私との時間を増やしていた。彼は自分のせいで坂を下っていくのだと思うと心苦しかったが、それ以上に私は嬉しかった。


 しかしながら、彼との時間があれば「どれだけいじめられても学校に行ける」と思えるほど私は強くなかったので、学校を休むようになった。学校を休んで福山くんと会うこともあった。みんなはそれを密会と呼んでるんだよ、と彼は笑っていた。痛々しい頬の痣を手で隠しながら。平日にも会うようになった。彼は一歩ずつ沼に足を入れていった。



 「今さら自分のこと考えられないだけだよ」と彼は言った。「もっと良い人生があるなんて考えられるのは、恵まれた人だけだよ。あのときああしてればとか、俺にはないんだ。どこでどう転んでも、俺はうまくいかなかったと思う」


 「自己評価を落としすぎじゃない?」と私は言った。「私のことを放っておけば、きっと幸せになれたよ」

 「あのとき放っておいたら、宮野のことばっかり考えて何も手に付かない気がする。だからこれでいい。これぐらいがいい」


 私たちは彼の部屋でお酒を飲んでいた。私は彼に教わって煙草やお酒というものを初めて体験した。「宮野はもっと不真面目に生きるべきなんだよ」と彼は言っていた。


 スミノフが空になると、彼はモヒートを持ってきた。アルコールが回るといろいろなことが可笑しく思えた。ナイトテーブルの上にあるのは二人分のグラス、キャスターとセブンスター、それからオイルライター。秋のテストはすっぽかした。季節はもう冬の半ばだった。私たちはもう引き返せないところまできていた。


 閉め忘れたカーテンの隙間、窓から雪が降るのが見えた。部屋は温かかった。福山くんは外からストーブの灯油をくんできてくれた。私がくむからいいよと言うと、俺が行くからいいと彼は言った。そのやりとりを5回繰り返した。彼が戻ってきたとき、私はその冷たい体を抱き締めた。彼も私の背に腕を回した。この先に希望がないことはお互いにわかっていた。でも私たちは決して口にしなかった。

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少しのあいだ目をつむること 七井湊 @nanaiminato

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